荒馬のつれづれ日記

好きなことを、好きな時に徒然と綴る日記です。

謙虚であることと、謙遜すること

こんばんは。

過度な謙遜は、時には、

相手に対して、とても失礼だと思う荒馬です。

 

人は、

人との繋がりの中で、

生きて、生かされています。

全員に嫌われるのは、

もちろん嫌なことですが、

全員に好かれるのも、また、

難しいことです。

とは言え、

せっかく出会えた人達には、

自分との関わりの中で、

笑顔になれたり、嬉しいと思えたり、

そんな気持ちになってもらいたいです。

 

たとえそれが、

一度きりであろうと、

長く続く間柄になろうと、

親友であろうと、恋人であろうと、

店員さんとお客さんであろうと…。

 

特にこの半年の荒馬は、

「初めまして」ばかりの生活です。

凡師さんの地元ですが、

荒馬には縁もゆかりもない土地。

親戚も友人もいない土地での生活。

寂しいなどと言うよりも前に、

様々な関係を構築しないと!と

思いながら暮らしています。

とは言え、

以前のブログでも書きましたが、

無理に仲良しの友達を作ろうとは

思っていません。

知り合い程度、

顔見知り程度の関係でも良いので、

細く小さな繋がりを多く作りたいと

思っています。

 

そんな半年の中で、

ふと感じていることです。

【謙虚な姿勢は大切だが、

      過度に謙遜するのは良くないのでは?】

ということ。

 

自慢話ばかりだったり、

相手を見下すような態度は、

以ての外ですが、

だからと言って、

謙遜しすぎるのも、

かえって良くないと思っています。

もともと、そんな考えや価値観を

持っていたのですが、

周りの人の態度などを見ていて、

最近は強く感じています。

 

過度な謙遜は、

褒めてくれた相手に対して、

「あなたは私を見る目がないのだ」

と伝えているようなもの。

たとえそれが、

社交辞令やその場の雰囲気だけのものだとしても、

「いえいえ、私なんて」

「そんなことはありません」

と返すのは、どうなのでしょう?

「ありがとうこざいます」

「おかげさまで」

で良いのではないでしょうか?

その言葉の後に

「◯◯さんのおかげで」

「そのお言葉に恥じないようにしたいです」

と付け加えるだけでも、

十分、謙遜の意味はありますし、

同時に、

相手に不快な思いをさせる心配もありません。

 

謙虚と謙遜は、似ているようで、

意味が少し違います。

謙虚は、素直に相手の意見を受け入れる

               控えめで慎ましい

               素直な態度で人と接する

 

謙虚は、自分の能力や価値を低く評価する

 

似ているようで違いますよね。

しかも、

謙遜は、本心ではないこともあります。

謙虚は、本心からの言動ととることができます。

 

誰かと話していて、謙遜な態度をしていても、

その人がいなくなった途端に、

悪口を言いだしたり、

相手の態度をバカにしたり、

という人を見かけたことがあります。

それって、

なんか美しくないなぁって思いました。

自分も気をつけようと。

 

あくまで過度な謙遜は、どうかなぁ?

と思うのであって、

それ自体を否定はしませんが、

日本人の美徳と言われていることに、

あまりがんじからめになりすぎたり、

臨機応変な対応ができないのは、

考えものだという話です。

 

褒められて嬉しいのは当たり前です。

それなら、

その気持ちを真っ先にお伝えすれば

良いだけのこと。

同じ謙遜や謙虚な姿勢を見せるなら、

[自分軸]ではなく、

相手にお返しをするつもりで、

「褒め上手ですねー」

「観察力がありますね」

などの方が、何倍も良い気がします。

 

謙虚や謙遜も、

荒馬が思うに、

[自分軸]ではなく、

[他人(相手)軸]なのだと思います。

相手の気持ちや立場などを考えれば、

自然と出てくるであろう言葉や態度。

そちらを磨く方が、より素敵だよなぁと、

最近では思うのです。

 

今は少しだけ[自分軸]が強い人が、

荒馬の周りに多い気がします。

たぶん、

こういうのは引き寄せもあると思うので、

今の荒馬が[自分軸]になっている

ということかもしれません。

 

まだまだ初めましての場面は、

続きそうですし、

講演や絵本セラピーなどで、

初対面の方と接する機会も増えてきたので、

自分への戒めも含めた、

今日のブログでした。

 

               

 

 

『えらい えらい!』 『コウノドリ』

こんばんは。

当たり前の事に感謝したり、

自分の事を「偉いなぁ」「がんばっているよね」と

思えたら良いなぁと感じた荒馬です。

 

久しぶりに絵本をご紹介。 

えらいえらい! (ケロちゃんえほん)

えらいえらい! (ケロちゃんえほん)

 

くつはえらい えらい えらい

なんでえらい?

まいにち いっぱい あるくから

えらいこっちゃ えらいこっちゃ

はくしゅ~

こんな感じで、「えらい」がたくさん出てきます。

絵本の後ろの方には楽譜も付いているので、

歌いながらやるのも面白いかもしれません。

覚えやすいメロディーなので、

ついつい口ずさんでしまうかもしれません。

 

大人の方を対象に読み聞かせをすると、

一緒に歌ってくれる人は、なかなか居ませんが、

もともと仲良しのグループの皆さんへ読み聞かせをすると、

みなさん、ニコニコしながら歌ってくれます。

それでも、

この絵本は、拍手する場面があるので、盛り上がる一冊です。

 

そして、

【我ながら、自分って偉いなぁと思うことは何ですか?】という

質問を投げかけると、

ワークシートに書いている最中も、グループ内でシェアしている最中も

照れ笑いをする人、真剣に悩む人、それぞれ。

大人も子どもも普段は色々な【役割】があり、

【仮面】をつけています。

お父さんやお母さんという役割(仮面)

お仕事での役割(仮面)

息子・娘という役割(仮面)

児童生徒という役割(仮面)などなど。

役割や仮面と表現すると、

何だか堅苦しかったり、偽っている印象を受けるかもしれませんが、

実は、どの部分の自分を褒めてあげているかが

分かります。

 

それを記入し、シェアした後に告げると、

「ほお~」「なるほど~」「あっ、そうかも」などという声が聞こえます。

 

いつしか当たり前になっていること。

誰にも褒められたりしないこと。

そもそも褒められるためにやっていないこと。

しかしそれは、

他の誰かから見ると、「偉いなぁ」と思えることかもしれません。

ということは、

当たり前であって、当たり前ではない。

 

毎日、色々な【仮面】の自分を無意識に使い分けながら、

みんなが生活をしています。

仕事でも子育てでも、何にでも言えますが、

日常の中では、ついつい、短所の方が見えやすくなってしまうもの。

たまには、ちょっと視点を変えて、

「頑張っていること」「偉いなぁ」という視点に立つだけで、

少しだけ、モノの見え方が違ってくるのではないでしょうか。

 

ただ、

「そうだよ!!! 私はこんなに頑張っているんだから」

という思いが行き過ぎてしまうと、

やはり、他人に対して厳しくなってしまいます。

何事も【良い加減】が必要ですよね。

 

自分を褒めてあげること。

自分の機嫌をとること。

人は承認欲求がある生き物ですから、

できれば、自分以外の人から評価してもらいたい。

しかし、

それがままならない場面の方が圧倒的に多いはずです。

それなら、せめて、

自分で自分を褒めてあげて、

気分良くなるくらいは良いのではないでしょうか。

 

荒馬は、基本的に自分に甘く、

すぐに自分で自分を褒めては、自己満足しています。

ただ、

自分で自分に、とてつもなく厳しい時もあります。

 

何かで読んだのですが、

荒馬はずっと陸上をやってきました。

個人競技は、他者との闘いではなく、自分との闘い。

たとえ優勝したとしても、自己新記録を更新しなければ、

あまり嬉しくならない。

常に自分と比較し、自分を奮起させ、自分を労うという習慣があります。

結果が良くないのは、自分の責任です。

その原因も自分にあります。

 

そんな生育環境もあったから、今の荒馬があるのだと思います。

以前も書きましたが、

集団競技でしか味わえないモノもあったのだと思いますが、

荒馬はそれがよく分かりません。

部活動の顧問を通して、何となく理解はしていますが、

実感としては無いので、本当に分かっているとは言えないのかもしれません。

 

とは言え、

どちらにせよ、人は常に【自分】とは一緒です。

ドラマ『コウノドリ』でも言っていました。(四宮先生役の星野源さんのセリフ)

人間は二人で一つになんかなれない。

死ぬまで一人なんだよ。

たとえ夫婦でも別々の人間だからこそ、

お互いを尊重し合う。

それで初めて助け合えるんだろ

一見すると冷たい表現ですが、

荒馬は、このセリフがとても気に入っています。

これが「夫婦」ではなくても、同じ事が言えると思います。

そこをはき違えると、

人とのコミュニケーションも、相手への労いや心遣いも

まるで様相を呈すると思います。

 

まずは、自分で自分をしっかり見つめてあげて、

大切にし、褒めてあげて、受け入れて。

そうして、初めて他人のことも考えてあげられるのだと

思うのです。

 

ですので、

『えらい えらい!』を読んで、

今日も自分を褒めてあげようと思います。

今週から12月上旬までは、とっても忙しい日が続くので……

 

井の中の蛙なりに思うこと

こんばんは。

自分がいかに狭い世界で生きてきて、

それに慣れてしまってるが故に、

新しいことを受け入れる前に、

必ずイライラしてしまうという、

醜さと適応能力の低さと不器用さを

痛感している荒馬です。

 

中学卒業の時、

可愛がってくれていたけど、

こちらとしては、

あまり好きではない先生から、

井の中の蛙大海を知らず

   ではなく、

    どんどん荒波を超えていけ]

という言葉を貰いました。

今になって、妙に響いてきます。

 

荒馬は38年間、北海道民

秋田県民になって7ヶ月。

 

海外で暮らしたり、旅をして、

自分の中の慣習や慣例が、

実にちっぽけかを思い知った。

という話を聞きます。

 

しかし荒馬、今まさに、

同じ国内でも大いに感じています。

 

体に染み付いて、

当たり前になっていることが、

実は全国共通の常識ではないのだと…。

もちろん、

育った環境や家庭での躾や価値観も

左右することではありますが、

都道府県でもあると思うのです。

 

言葉のニュアンス。

方言とかではなく、

発信と受信の温度差だったり、

時間に関する表現だったり…

「まず」

「このあと」

「あとで」

の時間感覚が、じわりじわりと

荒馬のストレスになっています。

「あとでって、いつ?」

「まずって、最初にじゃないの?」

「このあとって、言ってたのにー」

などなど…言葉のニュアンスについては、

あげるとキリがないくらい。

 

運転に関すること。

北海道では、

教習所で教わるわけではないけれど、

ドライバーのたしなみ程度で、

[いかにブレーキを踏まずに運転するか]

[ブレーキの踏む回数で運転技術が分かる]

みたいなものがある気がしています。

あっ、信号とか一時停止は別です。

基本的に1時間の運転は、

ほとんど苦にならない人が多い道民。

むしろ、

近所に行く感覚の人が多いかもしれません。

冬道はアイスバーンになるので、

ブレーキが多いと、追突事故に直結します。

車間距離もそれを想定して、

運転するので、エンジンブレーキを駆使。

これが夏場でも適用になるわけです。

しかし、

こちらは、一般道でも高速でも、

やたらと車間距離が近い。

そして、

ブレーキのオンパレード。

黄色信号は[急いで通過]と言わんばかり。

無理な追い越しも多い。

これが毎日だとプチストレス。

 

そんな日々の些細なことに、

プチストレス・プチイライラするのも、

荒馬が当たり前になっていることが、

見事に覆されて、

適応したり、受け入れられないから。

というのも分かってはいます。

 

そして、荒馬が勝手に

東北の人は、のんびりゆったり朗らか柔らか。

というイメージを作り上げていて、

実際とのギャップの数々に、

追いついていけていないから。

 

息子達の学校で、

日々の暮らしで、

スーパーでの買い物で、

交わす会話で、

運転で。

 

総じて言えるのが、

まずは[自分(達)が 自分(達)が]が

先に来ていて、

相手が置いてけぼりにされている

気がしています。

 

周りに優しくない とまでは言いませんが、

自分さえ良ければOKなの?

それって、

相手の感情や状況を完全無視では?

と思うことが本当に多くて…。

 

最近になって、そう感じるのは、

こちらに慣れて来て、

少しずつ周りを見る余裕が生まれた証

なのだと思いますが、

同時に、

自分がこんなにもイライラ体質だったのかと、

こんなにカチカチに固くなっているのだと、

思い知らされて、

自己嫌悪です。

少し落ちている荒馬です。

 

でも、上手く伝えられません。

荒馬のこの感覚は、

こちらで暮らす人には、

「何がそんなにストレスなの?」

という些細なことばかり。

ですので、

荒馬兄に聞いてもらうのですが、

兄にしても、

「実際に経験していないからなぁ」

「お前のモヤモヤ・イライラの半分も

    分かってやれてないんだろうなぁ」

と…。

 

凡師さんに伝えようかと思うのですが、

生まれ育った場所や人の悪口にもなるので、

不用意な発言はできません。

たぶん、とても傷つけてしまうはずです。

でも、

この孤独感・疎外感が、

毎日、

弱いジャブを打たれ続けられているようで、

そして、

初めての経験なので、

荒馬も自分で処理するには、

けっこう辛くなっています。

 

これは早めに対処しなければ…。

体の不調が出てきたり、

心の不調が出てくる前に…。

 

こういう時、どうしたら良いのかなぁ?

 

口約束が正式な頼み事になるの?

こんばんは。

己の傲慢さや小ささを実感しつつも、

なんだかモヤモヤが消えない荒馬です。

 

以前から書いていましたが、

絵本セラピストとしての活動は、

今年度は精力的には行わず、

頂いた依頼を心を込めて…にし、

今は勉強や準備の時期と思っていました。

そんな中でも、

ありがたい事に数件ですが、

ご依頼を頂くことがあります。

 

秋田県では聞きなれない

[絵本セラピー]という言葉。

しかし、

そこに興味を持って下さり、

まずはお話を聞きたいとおっしゃって頂いて、

概略を話したりします。

そこから、

正式な依頼に発展することもありますし、

「体験してみたいなぁ」という言葉だけの時も。

もちろん、

そこにピンッと来る来ないは、様々なので、

ゴリ押しは禁物だと肝に命じています。

 

正式な依頼の場合は、

テーマやねらい、対象となる人、

おおよその日時や場所、どんな会にしたいかなど

依頼主の方から頂戴した上で、

お引き受けするかなお返事をしています。

 

荒馬も、

しっかりとした職業としてではなく、

とは言え、

完全なボランティアというわけでもない

と言う曖昧な活動をしていたり、

ご依頼のための書類を、

これまでは作っていませんでした。

荒馬の落ち度ですし、正すべき部分だと、

今は実感しています。

 

と言うのも、

数ヶ月前に

「今度、お願いします。11月くらいに」と

いう話になり、

「では、時期が見えたり、

    詳細が固まりましたら、改めてご連絡下さい」

とお伝えして、

その時は終わった依頼がありました。

 

なかなか連絡が来ないなぁと、

思ってはいましたが、

あくまで依頼を頂いた案件。

こちらから、

催促するというのは違うと考え、

あちらの都合が合わなかったのだと、

思っていました。

 

ところが先日、

電話があり、

「前にお願いしていたセラピー、

   どうなりましたか?

    こちらは11月ならいつでも良いんですが」

と言われました。

 

あれっ⁉︎  おやおや⁉︎

 

あの時の会話が正式な依頼だったの?

 

「11月はすでに数件の依頼があり、

   難しいですねぇ。

   正式な依頼や詳細の連絡がなかったので、

   都合がつかなかったのだと思っていました」

とお伝えしたところ、

 

「えー‼️それなら、いつやってくれるんですか?

    12月ならなんとか可能ですけど」と…

 

「日時については、

    12月は合わせることができます。

    日時の指定と共に、

    以前もお話ししたように、

    大まかで結構なので、

    どんなテーマのものが良いか、

     参加する方が、

    どういった気持ちになってもらいたいか

     というのもお聞かせ下さい」

と返したところ、

 

   「…………」

まさかの無言!

   「要項だったり、依頼文書はありますか?」

    「…………」

さらに無言。

 

実はご依頼主は、ある小学校。

学校や教員によって大きく違うのですが、

学校というのは、

外部から講師を呼ぶことについて、

少々、不得手な傾向があります。

 

もちろん、年に数回、

じゃんじゃん外部から講師を招き、

学級・学年、学校単位で、

講演会や出前授業をやっている学校は、

山ほどありますし、

そういった学校は、

依頼から講演後の対応に至るまで、

管理職を中心に、しっかりと行われています。

しかし、

慣れていない学校は…

 

近所の人を呼ぶ時には、

見知った仲なので、なあなあの所も…

 

これに関しては、

その学校の教職員が、

いかに学校関係の外へ、

研修や勉強会に行っているのかが、

見え隠れしてきます。

要は、

一般社会とどれだけ接しているか。

 

荒馬も教員だったので、

退職後に痛感しています。

いかに自分が失礼をしていたのか、

社会常識やマナー、手順などを

知らずに過ごしていたのか…

よく父親や兄に説教されていました。

荒馬の場合、

父や兄が学校関係者ではなくて助かりました。

 

これまでも学校関係からの依頼は、

何度もお引き受けしています。

その時は、

たとえ顔見知りだったとしても、

しっかり対応して頂いていたので、

荒馬の中でも、

そりゃあ、これくらいは分かるよねー。

荒馬がきちんと分かっていないだけだったのだ、

恥ずかしい時間を過ごしたなぁ

と思っていました。

 

なんと、ここに来て出会うとは…

 

分からない。

知らない。

だから、

無言するしかない。

のだと思います。

 

この先、その学校から、

どんな連絡がくるのかなぁ。

 

まずは荒馬側も、

しっかりとご依頼を頂くにあたり、

準備すべきことをやらなければいけません。

相手を責めたり、

相手のせいにばかりしているうちは、

荒馬も、

まだまだダメ人間ですよね。

 

とは言え、今日だけは、

このモヤモヤを吐き出させて下さい。

 

 

 

その【怒る】のベクトルはどこを向いているの?

こんばんは。

怒る・叱ることについて、

考えてみて、話してみた荒馬です。

 

休日に出かけると、

様々な場所で、

小さな子を連れた家族を多く目にします。

平日なら病院でしょうか。

 

荒馬も母親。

今は2人の息子も小学生。

未就学児の頃とは、

怒り方・叱り方も変化していきます。

もちろん関わり方も。

 

小さな子は騒いでしまうもの。

すぐ泣くし、すぐグズる。

はぁーと溜息をつく親心も分かります。

荒馬が見かけた光景は、

ほんの一瞬だけを切り取っているだけで、

そこには家にいる時からの繋がりや

そこに至るまでの格闘・奮闘があるのも

分かっているつもりです。

 

それでも、

外出先で見かける【怒る叱る】光景は、

当事者ではないのに、

なんだか切なくなってしまいます。

 

特に、

【それって、大人の都合や感情で

    怒ったり叱ったりしていないかなぁ】

という場面を見た時。

 

それは理不尽だよぉー。

それって、子どもが怒られることじゃなくない?

いやいや、そこは大人が何とかしてあげようよ。

その理屈、子どもは分からないんじゃ?

 

なんて思ってしまいます。

先ほども書いたように、

その光景に至るまでの過程で、

何があったかは分からないので、

一方的に批判するつもりはないのですが、

言い方・態度を見ていると、

ついつい…。

 

子育てに関わらず、

怒る時・叱る時、苦言を呈する時、

その理由やその先に求めているものを

明確にしてあげつつ、

使う言葉や接する態度に配慮が

必要だと、荒馬は思っています。

さらに、

タイミングと場所にも
配慮が必要ではないかとも思います。

 

「いや、マジでお前、黙れや」

「うるせーって言ってんの分かんねーの」

 

大人が子どもに向けて、

さすがに、その言葉は無いんじゃないか。

しかも、たくさんの人達が往来する場所で!

 

子どもは、

時間を置くより、

その時に言うのが良い

とは、よく聞きますが、

それなら、

相応の言葉と態度が必要なはずです。

 

子育てだけに限ったことではありません。

若者だろうが、

高齢の方だろうが、

それは、自分中心のベクトルでは?

と感じることも…。

 

そんな風に外に出て見聞しながら、

荒馬自身も

態度や言葉遣いを改める日々です。

 

秋田県に来てから、

方言やイントネーションの違いから、

周りの人達が、みんな怒っているように

感じてしまいます。

みんな笑顔なんですけどね。

 

過敏になって険しい表情を

しているのは荒馬かもしれません。

そして、

微妙な言い回しで、

誤解したり、されたりということが

起きている気がします。

 

同じ日本でも難しいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『僕は46億歳。』

こんばんは。

またまた久しぶりの更新になってしまった

荒馬です。

 

最近は夜は読書だったり、

講演会や絵本セラピーの勉強・準備に

時間を使ってしまい、

ブログを後回しにしてしまっています。

というのも、

PCを起動させないから。

スマホの画面を見ながら、

ブログの更新は、

やはり目の疲労度が高くて…。

 

時間の空いた時に下書き記事を

ストックすれば良いんだ!

と思いつくも、

最近、時間がある時には、

こちらに夢中になっています。

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やっぱり楽しい。

 

とは言え、

絵本から遠ざかっているわけでは

ありません。

先月末に札幌まで行って学んで、

明日も、

秋田市で絵本の勉強です。

 

札幌でのフォローアップ講座の時に、

もっとじっくり読みたいと

思える絵本にたくさん出会い、

買った絵本が続々と届いています。

今日はその中の一冊。

 

僕は46億歳。

僕は46億歳。

 

 地球の歴史を

1年間365日のカレンダーに置き換えて、

ストーリーが進む科学絵本です。

少し長くて、読み応えがある絵本ですが、

楽しく学べて、「面白い」と

思うことができました。

科学絵本は苦手分野でした。

まず、

勉強でも理科分野が苦手で…

ですので、

なんとなーく、

と言うよりも、

無意識に拒絶していたのかもしれません。

 

札幌でのフォローアップ講座では、

科学絵本をたくさん読み聞かせしてもらい、

様々なことを学びました。

 

さて、絵本に話を戻します。

地球上に人類が誕生し、

発展して来たのは、

地球の歴史を1年間365日の置き換えた時、

いつくらいだと思いますか?

 

なんと驚きの結果が分かります。

 

ここでは秘密にします。

是非、『僕は46億歳。』を開いてみて下さい。

本当に驚きですよ。

そして、

考えさせられますよ。

 

 

 

音楽熱・楽器熱 ふたたび

こんばんは。

秋には、何だか、

色々とやりたくなってしまう荒馬です。

 

暑い夏が過ぎて、

過ごしやすい気温が続く秋。

秋晴れは気持ち良いのですが、

この時期はとても不安定。

雨の日も多くなります。

もともと出不精の荒馬。

より一層、

大好きな[家の中で過ごす]が

増えてきます。

 

読書やら映画やらに夢中になりつつ、

来月に控えた、

講演会や学校への出張授業に備えて、

プログラム作成や勉強、

関係各位への打ち合わせなど、

にわかに慌ただしい日々です。

そんな最中、

秋になると高まる音楽熱・楽器熱。

 

今はピアノが楽しいです。

もともとエレクトーン弾きの荒馬。

引っ越し先にも、

エレクトーンは持ってきましたが、

置くスペースはたくさんあるのに、

その大きさ故に、

定位置が決まらず、

ここかなぁ?という場所は、

荒馬が1人でしか楽しめない。

小小凡師くんにも聴かせてあげたいのに…。

 

ということで、

もう少し手軽に弾けるものを…と

凡師さんが、

電子ピアノを買ってくれました。

ピアノの鍵盤の重さと同じタイプの、

電子ピアノです。

エレクトーンとは違って、

本当に重い。

これまでは、楽に指回しができたのに、

苦戦しています。

しかし、

とにかく楽しい。

ピアノソロ用の楽譜も買って、

毎日弾いています。

 

弾き慣れてくると、

少しずつ重さにも慣れてきました。

 

ただ1つだけネックなのが、

慢性的な腱鞘炎が両手首にあるので、

1時間以上弾くと、

痛みが増してしまうこと。

 

慢性的な腰痛や腱鞘炎は、

在宅介護には付き物です。

小小凡師くんも18kgを超えたので、

そろそろ、

きちんと体の支え方などを

プロから学びたいなぁと思っています。

 

絵本の読み聞かせの時にも、

少なからず影響が来るので、

メンテナンスを怠らずに過ごし、

好きなこと、やりたいことを

我慢せず生活できたら、

ストレスフリーで居られる気がします。

 

少し休んだら、また弾きたくなりました。

ヘッドホンを装着して、

弾こうかなぁ。

そうそう、

ヘッドホンは凡師さんのを

借りて使っているのですが、

Boseはスピーカーだけではなく、

ヘッドホンもスゴイのです。

 

むしろヘッドホンを付けて弾く方が、

音も良くなり、

本物のグランドピアノを弾いている錯覚に

陥ります。

周りの音も遮音してくれるので、

ピアノの音に集中できます。

 

あー、弾きたくなってきました。

まずは、

お風呂に入り、

その後、手首の痛みが落ち着いたら、

音楽の秋をもう少し楽しんでから、

寝ようと思います。

痛みが引かなければ、

読書にチェンジ!

 

 

 

 

 

 

『手紙屋』『手紙屋 蛍雪篇』

こんばんは。

読書の秋を満喫中の荒馬です。

 

最近は絵本もコンスタントに購入し、

楽しんでいたり、

ご依頼が増えてきたので、

[子育て][子育て支援][脳科学][心理学]など

復習したり、再度、論文などに目を通して、

アウトプットのための

インプットや持っている知識のアップデートをしています。

とは言え、

ご依頼が増えたということで、

絵本を楽しむと言うよりも、

それらを使って、どのように展開するか、

参加される方々を笑顔にするために、

また、参加して良かったと思って頂けるように、

どうすれば良いのか…ということを考えながらなので、

勉強の延長線上に絵本があるという感じです。

 

ですので、

映画を観たり、読書をして、

日々の子育てや家事・勉強などのスイッチを切り替えるための

そして、心身を癒やすためのリセットをしています。

 

最近の読書は、新刊本も読んでいますが、

自宅の本棚にある本を再読していることが多く、

中でも、喜多川泰さんの作品を再読しています。

ここ最近では、 

手紙屋 蛍雪篇〜私の受験勉強を変えた十通の手紙〜

手紙屋 蛍雪篇〜私の受験勉強を変えた十通の手紙〜

 
「手紙屋」

「手紙屋」

 

こちらの二冊は、何度、再読していることか…。

『手紙屋』は、なぜ働くのか?

『手紙屋蛍雪篇』は、なぜ勉強するのか?

についてがテーマになっている小説。

 

本屋さんへ行くと、

自己啓発小説・若い人に読んでもらいたい本などの

カテゴリーの棚に分類されている本です。 

 

喜多川泰さんの作品は、

言葉を本当に大切にして、紡いでいるのが分かります。

フォント・フォントの大きさ・行間の幅など、

こだわって作っているのだろうと思わせる本。

読みやすく、響きやすく、

いつも喜多川さんの本を読むときには、

メモをとりながら読んでいます。

 

偶然にも、

絵本セラピーや講演で話す内容に参考になる文もあり、

メモをとりながら、そちらの方のアイディアも書き留めています。

 

一気に読んでしまいたいのですが、

睡眠時間も確保しなければいけないので、

読み進められないジレンマとも闘っています。

 

時間がある時は、映画も観ています。

最近は、 

タイタニック (字幕版)
 

  

 

 

 

楽しい時間を過ごしましたが、

少し寝不足です。

 

しかし、本も読みたいし、映画も観たいし、

勉強もしたいし…

 

やりたいことがたくさんの秋です。

 

『この声をきみに』

こんばんは。

朗読に興味津々な荒馬です。

 

朗読の世界を楽しめる、

NHKドラマ10『この声をきみに』

最近の NHKドラマ、好きです。

 

荒馬は読み聞かせはします。

教師時代は、範読も音読もしました。

ただ、

朗読は経験がありません。

絵本セラピストになってから、

とても興味津々の分野です。

絵本セラピスト仲間の中には、

朗読家さんが何人かいて、

イベントをやっていたり、

コンクールに参加したりしています。

 

近くに朗読教室があれば、

すぐに通いたいのですが、

なかなか見つかりません。

 

こうなると、荒馬得意の

【まずは知識の学習】がスタートです。

そして、

機会に恵まれた時に、実際に触れる。

さらに、

とりあえず、

自分が思ったように、考えたように、

やってみること。

 

ということで、

『この声をきみに』で使われていた作品を

荒馬も朗読してみました。

音読と朗読の違いというのを、

ドラマの中では、

[音読は、声に出して読むこと。

   朗読は、誰かに伝えたいと思って読むこと]

と言っていました。

ですので、

目の前にいる小小凡師くんに向けて、

雨ニモマケズ

『ふたりはともだち』

『生きる』

を読みました。

 

感想を聞かないのが残念ですが、

読んでいて感じたのが、

音読と朗読では、

相手の思い方が違うので、

これまでにない感覚でした。

絵本を読み聞かせする時は、

どうしても、

絵本の内容をしっかり伝えたいという事を

考えてしまうので、

声の明瞭さ、声の大きさ、滑舌など、

技術面の読み方を考えていました。

特に絵本セラピーの場合には、

あまり感情を込めすぎないように。

というのがあります。

読み手が、その絵本をどう捉えたのかが

見えすぎてしまうと、

聞き手の方々が、

純粋に感想を抱けなくなり、

読み手側が誘導する事になりかねないからです。

 

読み方の違いは、

聞いてる人には、もしかしたら、

全て同じに聞こえるかもしれませんが、

読んでいる側は、

大きく違いました。

 

益々、

読み聞かせについても、

朗読についても、

学びたくなってきました。

 

やりたいことが溢れて、

全部中途半端にならないよう、

気を付けたいと思います。

今は、

他の分野の勉強の真っ最中なので…

 

伝えようとする力を育て、引き出す

こんばんは。

意思を伝えることについて

考えている荒馬です。

 

以前も書きましたが、

小小凡師くんは医療的ケアが必要な子です。

出産時のトラブルでしたので、

産声も聞いていません。

数ヶ月後には、

気管切開をして、

気管カニューレというものを付けました。

そこで呼吸をしています。

 

声帯の前あたりから切開し、

器具を付けているので、

声を出すことはできなくなりました。

もともと、

声を出せる可能性が低かったので、

声を出す可能性を信じるよりも、

自発呼吸が楽にできることを、

選択しました。

 

この7年、

凡師さん、小凡師くん、荒馬は、

小小凡師くんとのコミュニケーションを

大切にしてきました。

何かを伝えるのは、

言葉だけではないのだ。

それを改めて実感しています。

 

表情で、

自分の意思で動かせられる体の部位で、

小小凡師くんは、

一生懸命に伝えようとしてくれています。

彼が伝えたいことの半分も、

理解したり、

受け取れていないかもしれませんが、

読み取ろうと努力はしています。

 

小学生になり、

家族以外の人との関わりが増えてから、

【伝えたい】が大きくなっているように

感じています。

そして、

その手段も上手になっている気もします。

 

腕をあげる、指を動かす、

まばたきをする、眉間にしわを寄せる、

うなづく。

これまで、

作業療法理学療法の医師の力を借り、

医師と家族が頑張ってきたことが、

少しずつ、

本人の意思で表出できるように

なってきました。

 

まだ、YES・NOの返答だけですが、

大きく前進してきています。

 

家族は、

小小凡師くんの代弁者であり、理解者。

彼の動きや表情を見ながら、

アテレコしたりもします。

気を付けているのは、

こちら側の思いを、

小小凡師くんを媒体にして伝えることは

しないということ。

 

勝手に思いを決めてしまうと、

伝えること、伝わることの楽しさを

諦めたり、辞めてしまうかもしれないからです。

 

荒馬は、

いつか何らかの手段で、

思いを伝えられると信じています。

そのために今は、

こちらもたくさん声をかけ、

反応を引き出したり、

伝え方のパターンを会得して欲しいなぁと

思っています。

 

小小凡師くんが生まれるまでは、

伝達手段は話すこと。

これがスタンダードで、

身近にいないために、そのほかの手段は

イレギュラーなものでしたが、

小小凡師くんが生まれてからは、

その【当たり前】の数々が、

実は、

狭い世界の当たり前だったのだと、

思い知らされています。

 

当たり前を、当たり前のこととして、

できない人はたくさんいます。

そこに固執しすぎないように、

視野を広く、柔軟性を忘れずにいたいものです。