荒馬のつれづれ日記

好きなことを、好きな時に徒然と綴る日記です。

謙虚であることと、謙遜すること

こんばんは。

過度な謙遜は、時には、

相手に対して、とても失礼だと思う荒馬です。

 

人は、

人との繋がりの中で、

生きて、生かされています。

全員に嫌われるのは、

もちろん嫌なことですが、

全員に好かれるのも、また、

難しいことです。

とは言え、

せっかく出会えた人達には、

自分との関わりの中で、

笑顔になれたり、嬉しいと思えたり、

そんな気持ちになってもらいたいです。

 

たとえそれが、

一度きりであろうと、

長く続く間柄になろうと、

親友であろうと、恋人であろうと、

店員さんとお客さんであろうと…。

 

特にこの半年の荒馬は、

「初めまして」ばかりの生活です。

凡師さんの地元ですが、

荒馬には縁もゆかりもない土地。

親戚も友人もいない土地での生活。

寂しいなどと言うよりも前に、

様々な関係を構築しないと!と

思いながら暮らしています。

とは言え、

以前のブログでも書きましたが、

無理に仲良しの友達を作ろうとは

思っていません。

知り合い程度、

顔見知り程度の関係でも良いので、

細く小さな繋がりを多く作りたいと

思っています。

 

そんな半年の中で、

ふと感じていることです。

【謙虚な姿勢は大切だが、

      過度に謙遜するのは良くないのでは?】

ということ。

 

自慢話ばかりだったり、

相手を見下すような態度は、

以ての外ですが、

だからと言って、

謙遜しすぎるのも、

かえって良くないと思っています。

もともと、そんな考えや価値観を

持っていたのですが、

周りの人の態度などを見ていて、

最近は強く感じています。

 

過度な謙遜は、

褒めてくれた相手に対して、

「あなたは私を見る目がないのだ」

と伝えているようなもの。

たとえそれが、

社交辞令やその場の雰囲気だけのものだとしても、

「いえいえ、私なんて」

「そんなことはありません」

と返すのは、どうなのでしょう?

「ありがとうこざいます」

「おかげさまで」

で良いのではないでしょうか?

その言葉の後に

「◯◯さんのおかげで」

「そのお言葉に恥じないようにしたいです」

と付け加えるだけでも、

十分、謙遜の意味はありますし、

同時に、

相手に不快な思いをさせる心配もありません。

 

謙虚と謙遜は、似ているようで、

意味が少し違います。

謙虚は、素直に相手の意見を受け入れる

               控えめで慎ましい

               素直な態度で人と接する

 

謙虚は、自分の能力や価値を低く評価する

 

似ているようで違いますよね。

しかも、

謙遜は、本心ではないこともあります。

謙虚は、本心からの言動ととることができます。

 

誰かと話していて、謙遜な態度をしていても、

その人がいなくなった途端に、

悪口を言いだしたり、

相手の態度をバカにしたり、

という人を見かけたことがあります。

それって、

なんか美しくないなぁって思いました。

自分も気をつけようと。

 

あくまで過度な謙遜は、どうかなぁ?

と思うのであって、

それ自体を否定はしませんが、

日本人の美徳と言われていることに、

あまりがんじからめになりすぎたり、

臨機応変な対応ができないのは、

考えものだという話です。

 

褒められて嬉しいのは当たり前です。

それなら、

その気持ちを真っ先にお伝えすれば

良いだけのこと。

同じ謙遜や謙虚な姿勢を見せるなら、

[自分軸]ではなく、

相手にお返しをするつもりで、

「褒め上手ですねー」

「観察力がありますね」

などの方が、何倍も良い気がします。

 

謙虚や謙遜も、

荒馬が思うに、

[自分軸]ではなく、

[他人(相手)軸]なのだと思います。

相手の気持ちや立場などを考えれば、

自然と出てくるであろう言葉や態度。

そちらを磨く方が、より素敵だよなぁと、

最近では思うのです。

 

今は少しだけ[自分軸]が強い人が、

荒馬の周りに多い気がします。

たぶん、

こういうのは引き寄せもあると思うので、

今の荒馬が[自分軸]になっている

ということかもしれません。

 

まだまだ初めましての場面は、

続きそうですし、

講演や絵本セラピーなどで、

初対面の方と接する機会も増えてきたので、

自分への戒めも含めた、

今日のブログでした。