荒馬のつれづれ日記

好きなことを、好きな時に徒然と綴る日記です。

お気に入りの本に出会った2021年 Part1

月日の経つのがあっという間

気付けば残り数日で2021年が

終わろうとしています。

 

今年はこれまでの生活リズムが変わり、

遅寝早起きリズムになりました。

小小凡師くんのケアがあるため、

早寝はできず、毎日1:00前後に就寝

そして、

2人分のお弁当作りがスタートしたので、

朝は5:00起き

 

仕事のない日は、

小小凡師くんを学校へ送り届け、

迎えに行くまでの間に昼寝をして、

不調に繋がらないようにしました。

故に、

自分時間はほとんど睡眠に消えます。

そんな中でも、

今年は努めて読書時間を生み出しました。

 

筆文字メッセージハガキ書きもやりたいし、

ピアノも弾きたいし、運動もしたいし、

やりたいことは溢れていても、

体を壊してはいけないと、

ついつい昼寝の比重が高まっていました。

もちろん、

仕事の依頼が入った時は、

その準備や打ち合わせ、勉強もして、

台本作りも、しっかりやっています。

 

限られた時間で生み出す自分時間

あれもこれもは無理なので、

1番やりたい事を自分と相談し、

今年は読書時間でした。

 

読みました。とにかく読みました。

ただ、ジャンルに偏りありすぎ。

癒し系とサスペンスばかり。

それでも、これまで知らなかった

素敵な本にたくさん出会いました。

それがこちら、

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『満月珈琲店の星詠み』シリーズ

 

そっと寄り添う登場人物や言葉を

自分に投影させたりしながら、

じんわりと温かく、ホッと一息入れられる

そんなシリーズでした。

占星術にも興味が湧きました。

星占いというには奥深い分野なんですね。

そして、

桜田千尋さんの絵が素晴らしい。

カフェメニューがイラストで、

しかもカラーで見られるのですが、

とにかく綺麗

イラスト集も発売されており、

近々、購入予定です。

 

年末年始は

ゆっくり読書タイムを楽しもうと思います。

 

 

それは〇〇の搾取だと思うのは、人情のない冷たくお堅い人なのか?

数年前に『逃げる恥だが役に立つ』というドラマがありました。

逃げ恥ダンスは忘年会の鉄板ネタでしたし、

主題歌もあちこちで流れていました。

共演の2人がご結婚されたことで、

再視聴した人もいるようです。

ドラマの内容やあらすじは割愛するとして、

その中で

「それは好きの搾取」

「それはやりがいの搾取」

というセリフがありました。

 

搾取という表現だからなのか、

「分かるー」「そうだよね」という声の一方

「冷たい」「日本には人情っていうのがあるんだよ」という声もあったような気がします。

賛否両論や多様な意見を見聞きしました。

 

〇〇の搾取という言葉はここ5年くらいの表現としても、このような現象は今に始まったことではなく、荒馬もずっとモヤモヤしていました。モヤモヤしていても、直接相手に伝えることはせず、個人名や細かい背景を濁して、誰かに聞いてもらうことはありましたが…

荒馬がズルイのは、

「そうだよね」「分かるわー」と言ってくれる人に話していたこと。

賛同を得たくて話していましたが、聞いてくれた人達も何らかの形で、〇〇を搾取されていました。

 

元美容師の人は、

「友達価格でカットして」

「友達のよしみで、子どものカットお願い」と言われ、

上手く断れずに引き受けてしまったのだけど、

モヤモヤが残った上に、次からは余計に断れなくなっちゃった。

と話してくれたことがあります。

 

荒馬も現在進行形でこの手の話はあります。

相談をもちかけられることが以前よりも増えて、最初は、

「話を聞くくらいしかできませんが」という前提でお話を伺っていたのですが、

メールや電話の回数が増え、自宅にまで来るようになり、

さらには、

友達を連れてきたり、別の友達が登場したり、

友達数人を囲んで食事会をしましょうと誘われたり…

さすがに食事会は断りましたが、この温度差は縮まらず、むしろ温度差があることすら気付いていないようで、

結局は「相談してって言ったくせに、なんか壁を作られてしまった」と

相手側に言われる始末(間接的に聞いたので、多少の湾曲はあると思いますが)

 

インタビュー記事を読んだ人からも

連絡をもらうことがあります。

その多くは、

仕事の依頼や問い合わせですが、

中には荒馬という人となりに

何らかのアンテナが反応したようで、

書籍類やセミナーの案内や紹介がありました。こういう類ならまだスルー確実ですが、

依頼ではなく、オススメ絵本について質問をしてくる場合があり、それにお答えすると、時間を問わず連絡がきたり、急に距離を縮めた文章になったり…

あまり深入りせず返信しないのですが、

相手からは定期的にメールが来ます。

 

 

親しき仲にも礼儀あり、

親しいからこそ、その対価は正当に行われるべきだと荒馬は思っています。

応援の形は様々ですが、

これからも仲良くする 

とか

代わりにご飯を奢る

と言うのは、なんだかなーと思うわけです。

 

同様に

相手の時間を奪う行為

親切という名の、気遣いという名の◯◯

これらもモヤることがあります。

相手との親密度

相手の立場や思いをまずは考えたのか

自分軸のみの行動ではないか

 

ただ、この類の話を

相手に伝えるのは難しいし

賛否もあり、誤解も招きやすい。

冷たいね

人情ってもんは無いの?

と、なりがち。

こちらの価値観だかは

押し付けるつもりはないけれど、

適切な距離を上手に取れるように

遣う言葉やタイミングを大事にしよう

そんな風に考えています。

 

 

「変わってるね」を褒め言葉として受け取ろう

気付いたら雪が舞う、冬の季節になりました。

最近は特に、時間が過ぎる早さを実感しています。

数年前は、ブログを書く時間をルーティン化できていたのに、

秋田県に引っ越してからは、

すっかり他のことをする時間になってしまっています。

たまに

思い出したようにブログを書く…というルーティンです。

 

さて、表題にあるのは、

荒馬が小凡師くんに伝えた言葉です。

秋田県に来てから、

小凡師くんが周りの人達から、

「変わってるね」とよく言われるようになったそうです。

もう4年半も経つので、

「すっかり慣れちゃって、またかって感じなんだけどね」と

淡々と語る小凡師くん。

高校生になったというのもあるのかもしれませんが、

先日、

この「変わってるね」案件について、

小凡師くんと語り合うことがあったので、備忘録も兼ねて…

 

 

北海道にいる時には、あまり言われなかったのに、

秋田に来てから頻繁に言われるようになった。

ここにも県民性のようなものが潜んでいる気もするのですが…

特に現在住んでいるのは、とても田舎で小さな地域なので。

そのことについても、

多少、小凡師くんと話をしたのですが、

結論から言うと、

地域的に画一性が無意識に重んじられているのかもね。ということ。

目立つのは良くない。

人と同じで居る方が安心。

子どもから大人まで、そういう風潮なのかもしれません。

(あくまで「かもしれない」ですが)

そして、

学校教育による差について。

小凡師くんによると、「普通は〇〇」「みんなは〇〇」という言葉を

やたらと聞くようになったとのこと。

「時代に逆行して多様性を受け入れない気がするよ。

 ちょっと違えば、その人達なりの正義で責められているきがする」

 

実は荒馬も似たようなことを感じていました。

最初こそ、自分って変なのかなと落ち込んだこともあるようですし、

周りの人の言動にトゲを感じていたようです。

最近は、慣れてきたのと、「いいや、自分は自分だし」と思えるように

なってきたようです。

とは言え、

今でも言われると、チクチクと小さく刺される感覚は残っているとのこと。

 

そういえば、荒馬も学生時代は「変わり者」と言われることが多かったな。

ものすごく気にしている わけではないけれど、

小さくチクチクと刺される感覚はよく分かります。

そんな話をしつつ、

「だけどさ、変わり者ってみんなと同じじゃないってことだから、

 唯一無二みたいな感じじゃん。ってことは、褒め言葉なんじゃない?」

と言ってみました。

 

人はそれぞれの正義をぶつけてきます。

しかし、それが正義だと判断する過程では、

人それぞれの価値観や考え方でもって形作られていくもの。

時に、悪口や愚痴に形を変えてしまう可能性があるもの。

特に、

誰かの人となりや考え方などについて「変わってるね」という時には、

まず最初に、その人を否定してしまっています。

そこには、単に正義をぶつけているだけではなく、

嫉妬や羨望もあるんじゃないかと荒馬は思っています。

そのことも小凡師くんに伝えました。

 

案外、「確かに、そうかもね」とあっさりと理解。

加えて、

「それに「変わってるね」って言った時点で終わっちゃうよね。

 相手への理解がさ。あーこの人はこんな事を考えるんだーとか、

 こういう人なんだーっていうのが無くて、

 新しい考え方に出会ったのに、それを流しちゃって…。

 それは、もったいない」

と言っていました。

 

いやー、この成長っぷり、親としてビックリですよ。

この後は、小凡師くんが好きな歴史話を織り交ぜながら、

やれ、

〇〇は△△だったから、□□を成し遂げたんだ

△△は周りから◇◇と言われたけど、〇○を考えたんだ

と、具体例を出しながら、色々と話をしていました。

 

いつのまにか、

誰かに説明するスキルが上がっていて、

ただただ感心するばかりでした。

自分の好きな分野と結びつけて、深く考え、言葉にできる

小凡師くんの強みですね。

どおりで、周りからの言葉に揺れ動かなくなったわけだ。

 

好きを追い続けることで、自分の強みができて、

自信を持つことに繋がるのですね。

 

落ち込んでいると思って、話し始めたことでしたが、

逆に、深い話を息子とできました。

 

「変わってるね」を褒め言葉と受け取る

 

 

シリーズ読了 『BAR追分』シリーズ3冊

小説も映画も続編といのはハードルが高くなりがち。

期待感が買ってしまうからでしょうか。

だからこそ、

続編も面白いと一気にその本が好きになります。

先日のブログで書いた

『BAR追分』シリーズ3冊を読了しました。

 

続編やシリーズ物は世界観が続いていくので、

荒馬は好きです。

とりわけ、この『BAR追分』シリーズ

 

第1弾で小説の世界観を味わい、内容を味わい

一歩踏み入れるという感覚でした。また俯瞰している感じ。

第2弾になるとすでにその世界観の中にいて、

登場する人物も風景も細かなところまでもが

自在に動き出すという感覚になりました。

視野の外でも動いていて続いていて…

活字の映像化というだけでは足りないくらいに。

その場に居る 間違いなく居る

息づかいというかリアルな何かを感じる。

不思議体験ができた本でした。

 

俯瞰して眺めていた世界に

自分もしっかりと降り立ち、歩き、眺め、話す

第3弾になると一層強まりました。

あーなんだろう この感覚

シリーズ物は過去にいくつも読んできたのに、

読んでいるだけではなく、存在している。

パラレルワールドのような

夢遊病のような

不思議な感覚です。

 

第3弾を読み終えた時、

長い旅行から帰った来たようでした。

まだそこにいたい。

第4弾は出ないのかなー

 

この感覚をまた味わいたい。

『BAR追分』『月曜日の抹茶カフェ』『木曜日にはココアを』

この1年くらい、こういう系の小説が好きになりました。

ミステリーやサスペンスは日常的に読んでいますが、

ほっこり癒やし系の作品を読みたい時、

こういった本も必ず積ん読にラインナップ

 

すっかり並行読みが習慣になっていて、

サスペンス・ミステリ

実用書

ほっこり癒やし系

などの本をカバンに入れていたり、机に置かれています。

 

ほっこり癒やし系で気に入ったのが

 

 

こちらの3冊

 

スタートは『木曜日にはココアを』でした。

その続編『月曜日の抹茶カフェ』が発売し、

その流れで、

茶店・カフェが舞台のほっこり系を読むようになっています。

そうして見つけた『BAR追分』

どれもカフェ・喫茶店に集まる人達の人間模様が見られる本

 

短篇集ではありますが、話や登場人物に繋がりがあり、

自分もその場所にいるかのような錯覚に陥ります。

たぶん、願望もあるのでしょう。

自分もそんな場所にいたい

自分もそんな場所を作りたい

そう思うようになっているため、つい感情移入が半端ないのだと…

 

そして人の描き方が素晴らしい

近くにいそうでいない。いないようだけど、いるかもしれない。

場所の人も出来事も

身近で起きそうなストーリーが展開されていきます。

そして、

最後は希望に満ちるというか、前を 上を向いていこうと思わせてくれます。

 

読書の時間の確保を積極的にしている荒馬

家に居るときはもちろんですが、

外に出たときに5分の空き時間や待ち時間がある時は必ず本を読んでいます。

 

以前も書いた気がしますが、

秋田県は読書推進県を謳っており、

大人達も口を揃えて「全国のどこよりも早く朝読書を教育現場に導入した」と

言う割に、大人達の読書率が低く感じます。

紙媒体でもスマホでも本を読んでいる人が本当に少ない。

本の話で盛り上がることが少なくなり、ちょっと寂しく感じています。

 

今、荒馬が絵本セラピストとして活動しているのも

そんな読書離れが進む大人達に、読書の入り口として絵本はいかが?

という気持ちも込めているつもりです。

よく若者の読書離れが深刻という記事をみかけますが、

それって、若者だけじゃないのでは?と思うのです。

本を読む文化自体が廃れてきて、大人達だって読書離れが進んでいるように思います。

目にする大人達が本を読まなければ、読書文化の廃れを感じて、

若い人達も取り入れなくなる。

 

こんなにも面白い素敵な本が絵本も含めて出版されているのに…

 

今日はどんな本を読もうかな

 

みんな誰かに教えたくて堪らない ということは…

最近、Twitterをよく見るようになりました。

InstagramFacebookもやっていますが、

それぞれに特徴や役割があります。

少なくても荒馬は使い分けをしています。

 

Twitterを見ていると感じます。

タイトルにあるようなことを…

みんな誰かに何かを教えたいんだなーって。

みんな誰かに話したいんだなーって。

呟くのが役割だから、当たり前なのですが、

それでも特に【教える】という内容に関しては、

自己満足というよりも承認欲求の高さを強く感じます。

 

認められたい

褒められたい

聞いて欲しい

頼られたい

誰にでもある感情ですよね。

表面化していようが胸の奥に秘めていようが…

 

荒馬だってそうです。むしろ強い方かも知れません。

 

教師を志望する人が減っているという記事を見ました。

みんな、先生になった良いのに…

上記の欲求が満たされるのって「学校の先生」だと思うのです。

教師の過酷な労働状況などがTVでもネットでも賑わせていますが、

荒馬は周りが言うほどキツさや辛さを感じませんでした。

要は

楽しさを見いだせるか

削ぎ落としの思考を持てるか

なのではないかなーと…

 

仕事に限らず、すべてのことに「楽しさ」を見つけられるって

難しいけれど、見つかった時には気持ちがラクになります。

ポジティブ思考にならなくても、その場を楽しむことは可能だと思っています。

考え方は大切ですが、簡単にできることではないし、

思考の癖はなかなか変えられるものではありません。

だからこそ、2つ目の「削ぎ落とし」

文句や批判を言ったり、アドバイスなど人の言葉に耳を貸せない人って、

結局、削ぎ落としができていないのかなーと最近は特に感じています。

 

仕事でも生活でも

自分思考・ベクトルが自分にしか向いていない

聞き入れないし、癖や行動や思考を変えない。

そうなると、

頑張っている自分に酔っちゃって、評価を求める。

欲しがり屋さんになるので、

必要ないことまでやるようになる。削ぐではなく増やす

アピールポイントを増やしていく

気付けば多くの「増やしたの」で溢れる

しかし残念ながら、

評価が得られない・褒められない

だから

文句を言う・批判する・自分で自分を褒めるしかなくなる

プライドが高くなる

 

踏みとどまれる人もいると思いますが、

最悪な道筋でいうと、こんな風になるのかもしれませんね。

 

そんなことまで延々と考えてしまいました。

ポツリと呟くだけの文章と

欲しがり屋の呟きって、どこか雰囲気が違うんですよね。

無機質で同じフォントで表示されるのに…。

たった140字なのに…

もちろん、それが全てではないし、全て分かったつもりになるのも危険

 

調査

研究という名のTwitterサーフィンが本当に最近の楽しみです。

 

 

やはり無理だったか

前回のブログで映画のような夢を観たという話題を書きました。

たまに夢の続きを観られることがあるから、

また観られたら良いなと思っていたのですが……

…………

…………

…………

 

やはり続きは観られませんでした。

分かってはいたんですけどね。

 

さらに映画のような夢を観た翌日は夢を観なかった…

正確に言うと、観た夢を忘れてしまっているのだと思います。

あの後、

夢についての記事をいくつか読んだのですが、

誰でも一夜の中で夢は観るものらしい。

ただ、レム睡眠とノンレム睡眠の周期の関係で、

多くの人が忘れてしまっているということでした。

 

そう、夢を観た記憶はあるのに全く思い出せない。

たぶん観ていたはずなんです。

ということは、もしかしたら続きも観ていたのだろうか。

 

昨夜の夢は内容は忘れてしまっているのですが、

BGMは覚えています。

Uruさんの『Love Song』がエンドレスで流れていました。

これは理由がはっきりしています。

目覚めている時間帯にかなりの回数聴いているから。

特別好きなわけではなくても、耳から離れない曲は、

何度も何度も聴くようにしている荒馬。

『Love Song』はピアノの前奏が好きです。

歌詞よりも曲の雰囲気が荒馬にとっては心地よくて好きです。

こういうコード進行・テンポが大好物

 

脳内で音楽が流れる

イヤーワーム現象

本当にこれが多いのです。

 

イヤーワーム現象が起きた時は潔くその曲を何度も何度も聴きます。

脳が「さすがに飽きたわ」と思うまで。

何度も聴くうちにフレーズも覚えるので特に運転中には

口ずさむどころか、ガチで歌います。

20分ほどの運転で声が枯れるくらいに。

 

イヤーワームの時は夢の中でもエンドレスで流れます。

その記憶だけあるので、悪循環で、起きている時もエンドレス。

おそらく、今夜の夢も『Love Song』のはず。

 

♩あなたと出会い~♩

一本の映画のような夢

幼い頃から夢をよく見ます。

フルカラーでストーリーがしっかりしています。

夢の中なので展開も急に変わるし、

そのストーリーもぶっ飛んでいたりはしますが…

 

小説を読んだり、映画を観てから寝ると、

その世界観の続きを観ることもあります。

気がかりなことがあると、それが夢の中でストーリー展開することも…

 

妄想したり空想するのが今でも好きなので、

寝てから観る夢は本当に楽しみで仕方ありませんでした。

それは今も…。

 

自分の体調が分かるのも夢

不調の時は、たいがい怖い夢を見ます。

リアルだったりすると、翌日1日引きずることも。

 

多くの夢はあんなに面白かったのに(怖い夢も含めて)

その日の夕方には色あせてしまうので、

夢にも録画機能があれば良いのに…と何度も思います。

理系に強ければ、その装置を作る研究をしていたかもしれません。

完全に文系人間ですが…

 

夢日記なるものを書こうと思ったこともあるのですが、

基本的に面倒くさがりなので、長続きするはずもなく…

面白い夢を観た翌日は日記を書く気満々なのですが、

起床してから数時間は大忙しのため、

時間が自由になる時間帯にはその夢を思い出せなくなる…。

断片的でも良いから書き残して多くのも良いな

 

そんな事をこの何十年も思っているのに行動に移さないあたり、

荒馬という人間の浅さを象徴している気がします。

 

さて昨夜みた夢ですが、本当に面白かった。

今朝までは鮮明に覚えていたのに、このブログを書いている今は

超断片的。悔しい。あんなに面白かったのに…

続きを観たいと思えるほどに。

そうそう、

夢の操作ができるのかどうかも知識がないし、

夢診断のような類いを勉強していないので何とも言えないのですが、

荒馬、夢の続きを観ることもあります。

自分の意思ではどうすることもできないのが残念ですが。

見たい夢に限って続きが観られない。

 

夢っていつの間にかスタートして、突然終わりますよね。

ブツリと切れてしまうという表現の方が適切かもしれません。

今朝もそうでした。

まあ、起きたからなんですけど。

 

過去と未来をせわしなく行ったり来たりして、

未来を変えちゃうという夢だったんです。

行き来するのは乗り物。

車だったりバイクだったり飛行機だったり…

詳細は覚えていなくてもどかしいのですが、

何か使命があって行き来しているというよりも、

それを楽しんで、様々な世界を舞台を渡り歩いているという感じ。

その時の出来事に興味がそそられたら、

その人の、その出来事の未来や過去に行く…

 

メルヘンチックな世界だったり、

荒れ狂った世界だったり。

そこで自分も深く関わるのですが、

闘うシーンがあったり、歌うシーンがあったり、

深刻な会議に参加していたり…

 

必ずそこには荒馬の他に相棒がいるのですが、

相棒の顔だけは見ることができません。

どこにも一緒に行っているのに、相棒が分からない。

忘れているのではなく、分からない。

そして、

どの世界に行っても必ず登場するので、俳優の生瀬勝久さん

ストリーテラーのごとく、必ずそこにいて、

彼と話すことで、トリップすることになっている。

 

朝、目覚めた時、ものすごく疲れ果てていました。

体ではなく、頭というか脳が。

夢を観ている時は浅い眠りの時ですよね。

ということは、深い眠りの時間帯がなかったのではないか?

と思うほど、眠りに就いてから起きるまでずっと、その夢を見ていた気がします。

 

当然、昼間は使い物にならず。

仕事の無い日だったので、昼寝をしたくらいです。

 

面白いことに、昼寝をする時は夢を観ません。

夜だけです。

夢の研究をしいている人とじっくり話をしたいくらい、

何十年も興味のある分野です。

 

今日の夢は割と鮮明に覚えているほうだと思います。

タイトルにもあるように、映画のような夢でした。

もちろん、フルカラー

壮大で、細かな描写も繊細に描かれていて、

風や雨なども夢の中なのに妙にリアルに感じました。

感情もダイレクトにくる感じです。

 

慌ただしくて忙しい夢でした。

しかし、

大興奮な夢。

 

今日の夢はどんな夢なのだろうか。

毎日、寝るのが楽しみなのですが、

今年度に入ってから、とにかく睡眠時間が短い。

もともと、

小小凡師くんの介護があるので、早くに寝るのは難しかったのですが、

小凡師くんが高校生になり、出発も早くなったため、

お弁当作りと朝食作りの両方を早起きしてやっています。

 

もともと早起きが苦手な荒馬。

目が覚めても起き上がるのに30分必要なので、

起き上がる30分前から小刻みなアラームをセットしています。

Apple Watchを買ってからは、寝ている時も付けて眠っています。

小小凡師くんがそばで寝ているので、

音が鳴るタイプはNG

振動するタイプが良いのですが、スマホを枕元に置いても、

気付けば遠くにあるので、アラームに気付かず…

腕時計だと、

体に振動がくるので、目覚めやすくなりました。

 

起き上がっても油断すると二度寝するので、

すぐにお弁当&朝食作りをスタートします。

料理って頭を使うので、そこで目覚めてきます。

動き回るので体も目覚めてきます。

その後、みんなで一緒に朝食

後片付けと身支度を調えると、小凡師くんと凡師さん出発します。

送り出した後は、

小小凡師くんの出発まで1時間半あるので、

仮眠を取ります。

夜の睡眠は4時間くらいしか取れないので、

この仮眠を取ることで、1日動ける体が完成します。

起床してから2時間後の仮眠です。

30分ほどの仮眠ですが、

仮眠から目覚めると、頭と身体がスッキリ。

 

正しいのかどうかは分かりませんが、

荒馬にとっては正解

起きてから男衆を送り出すまでの4時間です。

 

小小凡師くんを学校へ送ってからは、

自宅で仕事をしたり、外で仕事をしたり。

その日によって変わります。

自宅ワークの日は、昼寝もします。

夕方から夜に向けての体力温存のためです。

昼間は4、5時間が荒馬の時間です。

家のことをやったり、買い物へ出かけたり、仕事をしたり、昼寝したり。

小小凡師くんの迎えに行って帰宅後は、母親&妻の時間

 

フルタイムの仕事やどこかに所属する働き方は、

今の荒馬にはやりたくてもできません。

小小凡師くんの介護があるので…

 

障害児を持つ親の[働く環境の保証]というワードはよく聞きますが、

現実的には可能な人と無理な人がいます。

気持ちの持ち方という問題ではなく…

障害者(児)を語る時、多くの人達はほんの一握りの人達を対象にします。

人数分布が一番多いからでしょう。

福祉や医療に関しても、同様。

 

小小凡師くんは、そこからも外れることが多々あります。

全体の人口、障害者の人口の中のごくごく少数派の人達

案外、忘れ去られているものです。

現状に特に不満がないので、今はまだ良いのですが、

そのうち、親である荒馬がきちんと知識を身につけ行動しなければ

いけないのでしょうね。

秋田県に移り住んできた時のように…。

 

おっと、夢の話から大きく逸れました。

睡眠と夢の関連性から、ついつい飛躍しすぎました。

 

また面白い夢をみたら、

備忘録の代わりにこちらに投稿しようかな。

いつかどこかの専門家の方の目に触れたら、何か教えてもらえるかも。

それまで、荒馬も独学を進めながら、

夢ライフを楽しんでいこうと思います。

 

大人だからこそ深読みできて楽しめるのが絵本なのだと思う

絵本は子どものための本

多くの人が口をそろえて言うセリフな気がします。

小学生以上の人は自分が読むために

絵本を手に取ることさえ無いと思います。

そもそも、

読書をする人達も本当に少なくなっていると感じます。

 

特に秋田県民になってからは…

病院の待合・乗り物などの待合

ちょっとした隙間時間や待ち時間に

本を読んでいる人が本当に少ないなーと感じます。

読書離れが進んでいるとは言え。

同じように県外から移り住んできた人達と話す機会があったのですが、

「秋田に来てから、読書をしている人を見かけなくなった」

「読書推進県を謳っている割に読書文化が根付いていないよね」

「だから読書環境の整備がされていない」

という声をたくさん聞きます。

確かに…と思うことばかりでした。

 

どの世代も現在は読書をする人が減っているのは分かります。

しかし案外、若い世代の方が読んでいる印象

スマホタブレットで読んでいる人を見かけることもあります。

 

荒馬は読書が好きなので読書は苦痛を感じるという感覚が

イマイチ分からないので、そういった人と話すときに

どんな言葉をかけるのがベターなのかも分からず、

「そうなんだー 面白いのに」

なんて言ってしまうのですが、

「でも本を読みたいとは思うんだよね」

というさらなる返答がきた時には

「なら、絵本が最適だよ!」とキラッとした目で言っています。

その次はお決まりのフレーズ

「えっ!? 絵本でこどもの本じゃん」

 

ですよねーそう来ますよねー

だがしかし、

侮れないのですよ。絵本って。

同じ絵本を読んでも、

子どもと大人ではまるで違う読み方をするんだよ。

読み方ではわかりにくいですね。感じ方のほうが良いでしょうか。

様々な経験をしたからこそ、

あの短い文と絵の本を読むことで、

無意識に深読みをして、何かのメッセージを受け取ろうとするんですよ。

簡単に言うと、

意味を見いだしながら読むのが大人。

 

純粋に楽しむ

というのが難しくなっているんですよ。

そこに意味がないといけないと思っているし、

何かの回答を求めてしまうんです。

絵本なんかを読んでいる自分を正当化するために。

 

ただね、

【絵本なんか】じゃないんですよね。

小説を読むのって、時間がかかるじゃないですか。

読むジャンルによっては、難しい言葉や専門用語は出てくるし、

行間を読むってなんぞや?って人には、理解不能な表現はあるし、

リドルストーリー(結末は読み手の皆さんに委ねます系の話)だと

すっきりしないよーとか。

その点、

絵本は、

だいたい10分程度で読めます。

もちろん、長いストーリーの絵本もありますが…

抽象的な表現の絵本もありますが、

絵や色で理解を補ってくれます。

だから、理解がしやすい。

ということは、メッセージや回答を受け取りやすいんです。

 

本を読むという行為は、どうしても学びと結びつける人が多い気がします。

娯楽のために本を読むという人に、荒馬はあまり会ったことがありません。

これまでの人生で、数えられるくらい。

だから、読む意味やメッセージや回答を求めてしまうのでしょうね。

勉強や学びだから。

 

もっと手軽に気楽に手に取っても良いのに…

それが絵本では可能なのに…

 

でもね、大の大人が絵本コーナーで絵本を吟味するのってヤバくない?

図書館や書店の絵本コーナーで不審者扱いされるよ。

実際に、疑いの目を寄せている店員や職員も見かけるし…

 

話せば話すほど、勧めれば勧めるほど

マイナス要素のネタをぶつけられます。

いや、

私だってごり押しするつもりは毛頭無いのですよ。

でもでも、やっぱり

【絵本は子どもの本ではなくて、子どもからでも読める本】なのだと

お伝えしたいのですよね。

 

数多くある本のジャンルの1つ。

子ども専用とか大人専用の本なんてないじゃないですか。

タバコやお酒と違って、

この本は20歳以上じゃ無いと変えませんっていうのは無いじゃないですか。

幼い子が小説を読んでも良いんですよ。

大人が絵本や図鑑を読んでも良いんですよ。

絵本だけ、妙に強固なカテゴライズをされているのが、

それば「普通」「当たり前」になっているのが、なんだかなーなんです。

 

試しに読んでみたら良いのに…

ここ数年は絵本ブームなんです。

芸能人がこぞって絵本を出版しているし、

今期にドラマには絵本がキーワードとして登場しているし、

ネットで【大人 絵本】と検索すると、

山のように、オススメランキングやコラムが出てきます。

雑誌でも絵本特集を組んでいるところが多くなりました。

 

1冊の絵本でも

その感じ方や意味の付け方は多数存在します。

ぱっと見は同じ意見のように思えても、その背景まで探ると

本当に十人十色。

 

絵本セラピーをしていると、そんな光景をたくさん見かけます。

この絵本で、

こんなことを思い出すのかー

この絵本で、

そういう理由で涙を流すのね

この絵本で、

そんな記憶が呼び起こされるなんて

 

そういう現象を目の当たりにすると、

もっと多くの大人の皆さんに絵本を手に取って欲しいなーと

どこから目線の言い方かはさておき、

感じるのですよ。

 

みなさん、絵本を手に取ってみませんか?

新しい扉が開いて、新しい発見が待っているかもしれませんよ!

 

『百貨の魔法』を読んで母を思い出す

読書の際はいつも先が気になり、どんどん読み進めているのですが、

それとは逆に

「読み終わりたくない」「まだこの世界にいたい」と思える本と

出会うことができました。

それがこちら 

温かくて、素敵なストーリーの一冊です。

百貨店が舞台になっていて、キラキラした雰囲気も感じられます。

そこに勤める従業員さんのプロとしての仕事ぶり

足を運ぶお客さんにとっても百貨店の存在意義

その両者により生み出される奇跡のようなストーリー

 

百貨店に行ったことがあり、あのキラキラな雰囲気が分かる人なら、

より一層楽しめることと思います。

 

ストーリーもさることながら、

荒馬が読み終えたくないと感じた理由は他にあります。

それは、

忘れていた母との思い出が次から次へと溢れ出てきたから。

 

荒馬の母も百貨店勤務でした。

当時、私の住む土地での百貨店はいくつかありました。

その中でも少しだけ格が高い百貨店でした。

荒馬はその百貨店の向かいに習い事で通っていました。

週に1回

放課後や休日に1人で30分ほどバスに揺られ通っていました。

習い事が終わると、

母の居る百貨店に行きます。

母の勤務終わりまでそこで待ち、一緒に帰るためです。

 

百貨店の婦人服売り場にいる母

制服着用の時もあれば、私服販売をしていることもありました。

そこに小学生の荒馬は「ただいまー」と向かいます。

他の従業員の方々も「おかえりー」と出迎えてくれます。

母を待つ間、

荒馬はいつも1階から最上階まで、ゆっくりと見て回っていました。

時にはレストランや喫茶店で飲食もしながら…

どのフロアの人にも

「おかえりー」「今日は上手く弾けた?」「コンクールが近いんだってね」

「学校は楽しい?」などと声をかけてもらいました。

 

従業員ではないけれど、お客さんともちょっと違うので、

他のお客さんの邪魔になったり、不快な思いをさせないように

気をつけながら百貨店内を散歩していました。

小学生1人で歩き回っているのを快く思わない人もいるので…

 

閉店時間が過ぎたり、母の勤務が終わると、

従業員用の通路を通り、通用口から出て行きます。

その瞬間、

百貨店の従業員から母に戻ります。

その変化が不思議で、驚きで、嬉しくて…

大人って凄い! 何か魔法がとける瞬間をみるようでした。

その百貨店も経営難で閉店

その後、母は他の百貨店に勤務することになりました。

そちらの百貨店は割とフランクに行ける場所でした。

中学生になっていた荒馬は、

行きも帰りも1人で習い事へ通い、

そのうち部活や勉強との両立が難しくなり、やめてしまいました。

高校生になり、今度は荒馬も

母の2つ目の勤務地である百貨店内のレストランでアルバイトを始めました。

 

百貨店と母と荒馬

10年ほどの思い出があります。

働く母を見るのが大好きでした。

いつもキラキラしていて、お客さんに見せる笑顔が綺麗で。

自慢の母でした。

弱音や愚痴を言うことも無く、いつも凜としていました。

荒馬は自分のことで精一杯で、

母の助けになってあげられていませんでした。

それでも母はいつも周りの人達に

「私の自慢の娘なのよ」と言ってくれていました。

叱る時はめちゃくちゃ怖くて、理不尽な言い分は一切無く、

長々とは叱らず、終わると

「はい!終わり。さて、いつまでも引きずらず切り替えるのが大切よ」と

あの笑顔が戻ります。

 

もっと一緒にいたかったし、もっと話もしたかった。

孫の顔を見せてあげたかったし、色々な場所に連れて行ってあげたかった。

今の私を見て、母はなんて言うのかな。

 

そんなことを次々と思い出して、

恋しくて嬉しくて、なかなか読み終えることができなかった一冊でした。

これは、再読必至