荒馬のつれづれ日記

好きなことを、好きな時に徒然と綴る日記です。

退院して2週間 誕生日を迎えて思うこと

約1週間の入院を経て

退院してから、すでに2週間が過ぎていました。

 

あっという間に時間が過ぎていて、

日常生活と入院生活の違いに驚いています。

順調に回復し、9割方は元に戻ったと実感。

早めに受診し、自宅での療養ではなく入院したことで

後遺症もなく完治を目指せると医師にも言われホッと胸をなで下ろしています。

 

自宅に戻ってからは、家族がやたらと優しく

「横になったら?」「今日はちゃんと昼寝した?」

「仕事はしばらくセーブだよ」と気を遣ってくれます。

言葉だけでなく、行動でも同様

 

入院中は本当に「休む」を徹底していたので、

日常の暮らしに戻ってみると、

改めて何もしてないように思えて、

何かと動き回っていたのだと感じています。

最初の1週間は、ステロイド点滴からの離脱症状

医師から告げられていた通り、すぐにガクンと疲労が襲います。

今ではすっかり元の生活をしても大丈夫になってきていますが、

これが続くと、また同じ事の繰り返し

 

「する」「しない」を選択できるというのは本当に幸せなこと

「しない」ことのしわ寄せが結局は自分に返ってくるとなると、

「する」一択しか残らない

こういう考え方だからダメなのでしょうか?

明日の自分が少しでもラクできるように、今やってしまおう

昔からそうやって行動してきた気がします

ただ、

明日の自分がラクになったかというと、

今日の自分になってみると、やることが増えている

昨日の自分に「おい、話が違うぞ」と言ってやりたくなる

しかし懲りもせず

明日の自分のために、今日の自分はちょっとだけ無理をする

 

その毎日の「ちょっと」が、

後日、忘れた頃にドカンと大きく直撃する

分かっているのに

やっぱりそれを繰り返す

 

毎日フルタイムで働く日々から離れて10年以上が経過

それでも、フルタイムで働けない事情がそこにはあって、

気持ちは働きたくて、初めての就職活動(と言ってもバイト)を

やってみても不採用通知ばかり

バイトを探している割に、様々な事情によりワガママな求職者ゆえ

雇う側からすると「いや、それなら、いらない」となるのは百も承知

 

介護する側の辛さを痛感

さらに高齢者介護の手厚さを羨ましくも思ってしまう

頭では分かっていますよ

人口に対する割合が低いですよね 子の介護は

しかし現実に

子の介護による離職、再就職の難しさはクリアされない問題

高齢者雇用に積極的な社会だけれど、

働きたいと思っている現役世代って、けっこう多い気がします。

選り好みしているのかな

色んな働き方があるって、よく聞く話だけれど

実際は、色んな働き方ができる場所って限られているよね

 

と、グチグチと書いていますが、

今のこの状況で、何かを得るには、

手放さなきゃならないことがあることも分かっています

それができれば、ほとんどのことがクリアーされる

でも

踏ん切りがつかない 覚悟ができない

だって だって

グチグチ グチグチ グチグチ

 

おっとまたグチグチと…

 

体が戻ってきて、心にも余裕が出てきたので

次の一歩を歩き出そうと思っています

ただ、

入院前と比べると、考え方は少しだけ変化しているかも。

ここでできること

今のスタイルは変えずにできること

やりたいこと

そのために今やるべきこと

焦らずに、じっくり精査してからにしようと思います。

 

そう、なんたって

今日は荒馬の誕生日だから

 

病院食が濃い! さすが?やっぱり?秋田県

入院4日目を迎えて

思いがけない難所に直面している荒馬です。

それは食事

秋田県は塩分摂取量が多いらしい。

確かに

外食は出かけても

誰かに作ってもらっても

ガッツリと味が濃い&しょっぱい

 

全国チェーンの飲食店でさえ、

ついてくる味噌汁がやたら濃く感じる

これはイメージからくる味覚?

 

そして病院食も濃い&しょっぱい

塩分は低めだし

管理栄養士さん考案の

練りになられたメニューのはず。

分かってはいるけれど、

濃いんです。

濃いがゆえに全部食べられない

食後は喉が乾くので

めちゃくちゃ水飲んでます。

だからトイレが近い

 

点滴治療しているので、

味覚の変化とかあるのかな?

と思って聞いてみたら、それはないとのこと。

今回の病気の発症で?

とも思い返してみたけれど、

いや味には全く問題はなかった。

 

病院食って、病院にもよるし

秋田県なんて言い方するのは語弊あるかな

しかし、

病院食=薄味と思っていたので、

驚きと共に、あー秋田なら予想できた

という感想です。

 

私がこれまで入院したことのある病院

北海道のですが、

食事が美味しくて豪華だったんですよね。

入院生活って食事は大事ですよね。

いつもより規則正しい食べてるから

逆に太るかも

疲労やストレスを侮るなかれ

荒馬、昨日から入院をしています。

 

先週末、片側顔面麻痺が突然起きて

耳の痛みをあったので、

週明けに耳鼻科へ

帯状疱疹の中重度

 

帯状疱疹と聞いて妙に安心し、

でもあれっ?発疹が出るんじゃなかった?

すごい痛いとか聞くし

荒馬、その症状がないじゃん

部位や症状は人それぞれなんですね。

さらに

早い段階で受診したので、

後遺症も残らず回復するらしいです。

 

入院は躊躇しました。

あれもこれも私がいないと回らない

家族という集団は社会と本当に似てる

やるかやらないか

選択できる人とできない人がいます。

選択できる人たちは、

その時の気分の向き方に合わせて

選択して気持ちよくなれますよね。

選択できない人たちは、

もう最終手段 最後の砦なんです

面倒くさがろうが嫌だろうが

やらないとならない

 

みんなが少しずつやってくれたら

本当に助かるのに

義実家に住む身にとっては

その一言が言い出せない。

毎日ではないけれど仕事もして

在宅看護介護もして

夜中のケアをして早起きして弁当作って

確かにここ2年くらい、

ハードだなーって思ってはいました。

それでも休めていると思っていたし、

イライラなどのストレスも

馬なりに解消できていました。

 

しかし

ストレスも疲労も解消どころか蓄積

結果、突然体に異変が

診てくれる医師によっては

自宅療養をすすめる人もいるらしい。

でも荒馬を診てくれた医師は

「家にいても休まないよね。

 お母さんという名のアドレナリンで

 やっちゃうんだよ。

 家族が心配なのは分かる

 でも良い機会と思って家族に知ってもらおう

 だから入院しよう

 しっかり休養を取りながら治療すれば

 再発しにくくなるし」

 

プチ説教にも近い説明でしたが、

凡師さんが迷わず「よし入院」と

言ってくれたため

今日で2日目を終えようとしています。

 

休めているのかどうか分かりませんが

3食、時間になったら出てくるのは良い

 

 

「好き」という気持ちが勝っているのは分かるけど…

悩ましい

とにかく悩ましい

私が悩んでもしかたないのだけれど、

悩ましい

私自身のことじゃないから余計に悩ましい

 

長男である小凡師くん。今日は彼のこと

彼はもともと運動が苦手

小学生の頃は運動会の練習が始まる頃から

毎日テンションが低く、周りに何かを言われても

彼なりにひたむきに頑張るタイプ

逃げても良いのに

言い返したって良いのに

高学年になってからは「誰よりも大きな声で応援する」ことを

新たなモチベーションにして方向転換したおかげで運動会も楽しいものに。

その矢先に北海道から秋田へ引っ越すこととなり、

新たな環境で再び苦境に立ったり、それででもひたむきに取り組んでいました。

 

中学生になり体力アップを目的にして陸上部に入った小凡師くん

一番驚いたのは凡師さんと荒馬(小凡師くんの両親)

体はキツいし、結果も残せないけれど、一度やると決めたからと

3年間これまたひたむきに続けていました。

「いつでもやめて良いんだよ」と伝えても「いや辞めない」と言い続ける小凡師くん

 

高校生になった小凡師くんは弓道部員になりました。

もう歴史が好きすぎて、戦国時代が好きすぎて

少しでも当時の武士達の気持ちに近づくことができるかもしれない

彼らが行っていた弓とは違うことも理解した上で、

それでも触れたい。知識だけではなくほんの少しでも体感したいという思いから。

 

まずは射法八節という基本の動きを習います。

その後、巻きわら打ちからスタートしていきます。

部員のほとんどが初心者からのスタートとなります。

ほとんどが3~5ヶ月ほどで、巻きわら打ちから離れ、射場に立ちます。

小凡師くんは1年たった今でも射場に立つことができません。

本人も悔しいけれど、分かっていたことらしいです。

大会に出られない悔しさはもちろんあるようですが、上手くいかないそうです。

 

ここで荒馬が不思議に感じるのは

悔しがる割に努力をしないということ。

これは今に始まったことではなく、弓道に限ったことでもないのですが、

自分の意思で始めた割に、ひたむきな割に、努力や練習をしないんですよね。

好きなはずなのに…

好きならのめり込んで夢中になるのだろうと荒馬は思っていました。

そこまで夢中にはなれないことなのかもしれません。

そこが妙にアンバランスな小凡師くん。正直、荒馬は理解不能なんですよね。

しかし、

親とは言えタイプが違うので、あれこれと口は出しません。

ただただ不思議に思うだけ。

 

そして部活経験も顧問経験もあるので、簡単に予測できること

それは、周りの声と目

一生懸命に努力している人からすると小凡師くんのような存在は不思議

不思議を通り越して、イライラする存在

場を壊しているとか、モチベーションを下げる存在と思う人もいるでしょう。

個人競技なので、集団競技と比べると数は少ないでしょうが、

部員の半数は感じるでしょう。もう半分は構わない、構っていない

さらに何かを感じている人数の半分は、実際に口に出して言っていると思います。

 

実際、一部の部員から「なんで辞めないの?」「辞めれば良いのに」と言われているようです。1年生も入部し、完全な新体制になりました。高体連支部予選も始まりました。来月は県大会を控えている頃です。早ければ6月から入部した1年生も射場デビューするでしょう。

 

しかし小凡師くん、辞めないんですよね。

何か言われて落ち込むし、あまりに言われすぎて心が折れかかっているようですが、「辞めたくない」と言うんです。「弓道が好きなんだ」と。

無理に辞めなさいとは荒馬も言いませんが、少しモヤモヤするんです。

悩ましいなと思うんです。

小凡師くんのことだけを考えると続ける選択を応援できるのですが、

他の部員のことを考えると…

顧問の先生も扱いに困っているだろうと思います。

他の部員や先生と話したわけではないし、今後も話そうとは思いませんが。

 

「好き」という気持ちが勝っているのは分かります。

息子ですから、彼の気持ちや思いを尊重し応援したい気持ちもあります。

しかし、

弓道は部活じゃなくても続けることができますし、

「辞めない」と固持するのは何が理由なんだろうと思うんです。

 

凡師さんも荒馬のスタンスは同じ「辞めたいなら辞めたら良い」

「そんな嫌な思いをしてまで続けなくても良いのに」

 

小凡師くんを理解して、受け入れてくれている人もいるようなのですが、

とは言え不思議で悩ましくて…

超真面目な小凡師くん。

真面目なことは良いことですが、不器用さや頑固さ(柔軟性のなさ)が

玉に瑕な小凡師くん

 

親には気付かれたくないことかもしれません。

話したくないことかもしれません。

ただ、そこが小凡師くんの可愛いところなのですが、

表情で丸わかり

 

自分で言うのもなんですが、

教師経験がこういう場面で活きてくるのか、

息子達に限らず、他者の表情の変化に敏感になります。

良くも悪くも

中学校教員にとって、生徒指導をする上で、言葉にならない言葉

サイレントボイスを読み取る能力は非常に大切なスキルです。

13年も教師をやっていると自然と身につくもので、

退職してから10年経っても体に染みついて離れないんですね。

子育てではずいぶんと、そのスキルに助けられました。

 

先日、改めて凡師さん・小凡師くん・荒馬の3人で

部活について話したのですが、

数日後、やはりこのまま続けたいと言っていました。

大会には出られないし、あーだこーだーと言ってくる人はいるようですが、

それよりも、

弓道が好きで、そんな理由で途中で投げ出したくないのだそうです。

 

自分で決めたことの覚悟がどこまでできているかは分かりませんが、

荒馬は見守りつつ、自分で決めたことの呪縛に捕らわれすぎないよう、

いつでも「ストップ」をかけられるようにしていようと思います。

 

希死念慮って言うらしい

これまで漠然と「死にたい」と感じたことは

一度もありませんでした。

そもそも、自分であれ他者であれ、

誰かを死に至らしめる行為自体が怖いと感じています。

しかし、病気や事故などの不慮の死以外でも

ほぼ毎日のように耳にするのは「死」

 

荒馬が住んでいる秋田県は自殺率がトップらしい。

身近な周りで頻繁に聞くことはありませんが、

それでも確かにこちらに移り住んでからは、

耳にする機会は増えたような気がします。

友人の友人とか、ご近所の近しい人とか…

そこには、

本当にのっぴきならない理由が存在するのだと思います。

 

ただ、のっぴきならない理由がなくても「死にたくなる」ということも

あるのだと、最近知りました。

希死念慮という言葉もその時に知りました。

具体的な理由はないが漠然と死を願う状態を指す言葉です。

 

どうして、荒馬がこの言葉を知ったのかというと

それに襲われたから。

具体的な理由はないのに、ふと「あー死にたい」「消えたい」と感じました。

そんな感情に襲われたことに、まず驚きました。

「えっ!? 今、私、死にたいと思った?」

「どうして、こんな事がよぎったのだろう」

ふと我に返るという状況でした。

 

荒馬にだって

悩みもあるし、ストレスもあるし、イライラすることもあります。

努力とか気持ち1つでなんとかできる状況ではない出来事も起こります。

ただ、

それで「死」を考えたことはありませんでした。

〇〇過ぎないようにしてきたつもりでいます。

悩みすぎない・ストレスためすぎない・イライラいしすぎない などなど

 

問題から目を背けていると言われれば確かにそうですが、

今考えても解決できそうにない時は、いったん忘れて

食べて・寝てをすると、とりあえず感情面は落ち着きます。

その後、

再度、考えて解決もしくは今の妥協点を見いだしていました。

あくまで、自分にとってですが…

 

しかし、悩みとかストレスとかとは無縁のところで、

希死念慮って起こるのですね。

その時に少しでも我に返る(便宜上この言葉を使用します)のが遅くなると、

「死」を選択するのかもしれないと感じました。

 

どうして希死念慮を抱いたのか、不思議で堪らなくて

少しだけ調べてみました。

荒馬は40代中盤

更年期障害の1つにもあるようです。(更年期鬱からくるようです)

すでに認識すらしていない、慢性的なストレスや悩み

あー荒馬にも無いわけではなかったなー

放っておいて向き合わなかった問題

ただ、向き合ったところで好転することでもないので、

現状を受け入れて上手くやっていたつもりでした。

 

ストレスや悩みなどという認識はとうに薄れていたことでもあります。

突然ヒョコッと顔を出す そんな時は要注意ですね。

 

これは正しいのかどうか分かりませんし、

不快に感じる人もいるかもしれません。

それを承知の上で書くのですが、

人は時間に余裕が生まれると(暇ができると)

余計な事を考えてしまうものなのではないかと思うのです。

特に負の感情を。

それが自分に向くのか、他者に向くのかは分かれるところだと思いますが、

荒馬が「暇なんだね」「そんな時間があるんだね」と

少し羨ましくもある感情になるのは、

誰かの悪口を聞いたり、見たりした時。

あおり運転や暴言を吐くなどの行為を目にした時。

 

荒馬の場合、

基本的に小小凡師くんの看護介護をしているので、

暇な時間がありません。

小小凡師くんが学校へ行っている時間帯は「自分時間」

その時も文字通り自分の時間を過ごしています。

それも1日の中で4時間程度

仕事をしたり、こうしてブログを書いたり…

家事に使うこともあれば、読書や映画ドラマなどの視聴にあてることも…

 

ただ、コロナ禍で仕事の依頼が続々と中止となり、

時間に余裕が生まれたのは事実

金銭的な不安が生まれたのも事実

 

仕事面については、

どこかで現状を受け入れていたつもりでした。

オンライン講座なども考えていましたが、

何となく対面にこだわっている自分もいます。

金銭面については、今すぐどうというわけではないので深刻でありませんが、

思考の片隅に常にあります。

重ねて

長期休業中だったので、常に小小凡師くんと一緒で

自分時間が生み出せなかったこともあります。

 

身体は暇ではないけれど、思考は暇という状態

そんな時に襲われた希死念慮でした。

 

体調も考えてみると、不調の日が多く、

1ヶ月の中で調子が良いと感じる日は数日のみ

それとも上手く付き合っていくのが、歳を重ねるということなのだと

どこか諦めというか、納得していた気がします。

 

小小凡師くんが生まれてから12年

諦めることがたくさんあって、諦め上手になったつもりでした。

これを諦めた分、それならこれはできるかな?

そうして折り合いをつけながら、暮らしていると思っていました。

 

希死念慮に襲われるまでは…

今は、無理矢理に蓋をした感情や出来事に

ほんの少しずつ向き合うようにしています。

もちろん、

さっきから書いているように、根本的な解決ができないこともあります。

努力とか強い気持ちなんていうものがアテにならないことも。

それでも、

この希死念慮がそこで踏みとどまらずに

実行に移してしまう日が来るような気がして、

自分が制御不能になるのが怖くなりました。

 

まだ大丈夫

今は大丈夫

 

だから、希死念慮に襲われた日はノートにそのことを書き留めることにしました。

そして、きちんと考えることにしました。

これに関しては、自分がストッパーになるしかありません。

沸き起こるのも自分

それを止めるのも自分

誰かに頼るよりも、まずは自分を頼ってみようと思っています。

 

本当に病んでいるのは誰なのか

荒馬です。

先日とても悲しいことがありました。

怒りよりも悲しみや悔しさの方が大きい出来事です。

 

小小凡師くんの定期受診のため、

住んでいる地域の総合病院小児科へ行きました。

診察は医師や看護師さんと和気藹々の雰囲気で終え、

とても上機嫌の小小凡師くん

会計ゾーンに移動し、名前を呼ばれるのを待っている時です。

1組の親子が会計ゾーンへ歩いてきました。

お子さんは大泣きというか大暴れ

お母さんへ暴言を吐き(本当に驚くくらいの暴言)

ずっとお母さんにパンチしたり、噛んだり…

あまりの暴れように医師や看護師さんが出てくるほど。

 

と言っても

すでにスイッチが入っている子には逆効果

その後も暴言・暴力が続きます。

何があったのかな?

痛かったのかな?

4、5歳くらいかな?

なんて思いつつも離れた場所だったので、

ジロジロ見ることもせず、声をかけることもしませんでした。

小小凡師くんはチラチラと見ながら心配そうな表情。

 

お母さんも嫌気がさしたのか、

「恥ずかしいからやめて」「もういい加減にして」と言いつつ、

お子さんと距離をとって座り、その後はお子さんを無視。

お子さんの方はと言うと、

相変わらずお母さんに対して暴言を吐き続けます。

距離が離れているので、声をだんだん大きくなります。

それでも構ってもらえないからなのか、

じわじわとお母さんに近づくお子さん。

 

荒馬もずっと見ていたわけではありませんが、

声が大きいので、その声の場所から推察。

 

小さな子って、

急に怒りスイッチが入ったり、急にご機嫌スイッチが入りがち。

その上、不機嫌だからこそ

話す言葉が支離滅裂になり、ついついプッと吹き出すような発言も。

 

案の定、

何を言ったのかは聞こえませんでしたが、

お母さんが笑い出していました。

たぶん、

それが嬉しかったんでしょうね。

調子に乗ったお子さんが今度は、

周りに目を向け始め、

目に見える光景を語り始めました。

 

その発言が実に不快

人でも物でも悪意のある表現をしていたんです。

(早く名前呼ばれないかな。嫌な予感がするな)

そう思った矢先です。

やはり、息子が巻き込まれました。

 

「ママー見て見て、あそこに変な顔いるよ」

「黄色い乗り物に乗っている、あれあれ、変な顔」

「ねえ、変な顔でしょ。見てってば」

「わー変な顔ーー」

そして、お母さんが一言「そうだね」

 

その後、何度も「変な顔」が続きます。

 

ほどなくして名前が呼ばれ、いそいそとその場から離れました。

帰り際も

「あっ、ママ、変な顔 帰っちゃうよ」

 

 

その親子の姿が見えなくなってから、

立ち止まり小小凡師くんの顔を覗き込みました。

悲しそうな表情です。

 

全部 聞こえているんだよ

言っている意味だって分かるんだよ

悲しくなるし、腹も立つんだよ

 

幼児だろうが、不機嫌だろうが、

あまりに酷くはないか?

 

その親子に何も言えませんでした。

とにかく怒りを通り越して、悲しくなりました。

そして、

あの親子は病んでると思ってしまいました。

親子だけでやってくれれば良いのに、

なぜ、無関係の周りを巻き込むのだろうか。

なぜ注意をしないのだろうか

なぜ、あの子はあんなにも酷いことをサラッと言えるのだろうか

 

どうして、私たち親子が逃げるように去らなければいけないのだろうか。

 

小小凡師くんとの生活を送って11年

こういう扱いや言動は割と多くあって、慣れていたつもりでした。

聞こえてないフリ

見ていないフリをしながら、やり過ごすようにしていました。

 

別に優しく親しげに話しかけて欲しいなんて思っていない。

なにが共生社会だ。

この世は差別で溢れている

荒馬の正直な気持ちです。

嬉しい出来事もありましたが、圧倒的に不快な出来事のほうが多いです。

 

小小凡師くんが生まれるまで、知らなかった世界です

障害を持った人は確かに周りにいました。

しかし、そこまで深く関わったことはありませんでした。

特別支援学級の担任をしている時でさえ、

気付くことができなかった出来事です。

 

障害を持つ子・その保護者にとって、

学校以外の生活の場が、こんなにも肩身が狭いとは。

 

現在放送されている『ミステリと言う勿れ』というドラマ

コミックがすでに10巻まで発売されており、現在も連載中

その中で、虐めに関するやり取りがあります。

ドラマでもその部分は放送されたので、

翌日のTwitterでは話題になっていました。

 

主人公が語る内容は以下の通りです。

どうして いじめられている方が 逃げなきゃならないんでしょう

欧米の一部では いじめている方を 病んでると判断するそうです

いじめなきゃいられないほど病んでる だから隔離して

カウンセリングを受けさせて 癒やすべきと考える

(中略)

どうして被害者側に逃げさせるんだろう

病んでたり迷惑だったり 恥ずかしくて問題があるのは

いじめてる方なのに

本当は、ここのやり取りは全て載せたいところです。

機会があれば是非読んでみて下さい。第2巻に載っています。

 

確かに日本では

イジメやDVなど、被害者が逃げることが前提です。

加害者側は変わらない日々を過ごすことが多いものです。

事が大きくなると、

転校したり・名字を変えたりというのはありますが…

 

コミックを読んだり、ドラマを観た後の経験ということもあり、

心の中で「この親子、病んでる」と思ってしまいました。

たぶん、

あの親子も特に母親は日常の中では、苦しい思いを持っていると予想できます。

だからと言って、許そうとは思えませんが…

 

同時に思ったのは、

自分も知らず知らずに誰かを苦しくさせているのでは?ということ。

親切や配慮も タイミングや状況によっては、大きな打撃になります。

無関心なのも良くないかもしれないし、

手を出しすぎると倍以上のお返しがあったりします。

つい先日、

電車内で喫煙していた人を注意した高校生が

暴行を受ける事件がありました。

 

10人いたら10通りの正義があって、

その正義という名の攻撃もあります。

私も間違った正義を訴えていることが

あるのかもしれないと感じました。

 

それでもやはり

悲しくなって、憤ることが起きて

許せなくて、モヤモヤする。

人それぞれの当たり前が違うことは

百も承知だけど…

 

本屋大賞ノミネート作品を8冊まで読了して、

今回は似たようなテーマが多く、

様々なことを考えさせられています。

障害だけでなく、性差、環境、貧困などなど。

私はまだまだ知らないことがたくさんあって、

余裕のある暮らしができているのかも。

そんな事も思ったりしています。

 

時間が経ったことで、

感情の偏りに気づき、

冷静になったのだと思う反面、

思考の迷路に迷い込むことになったな

と、そして、思考が面倒になってくる。

 

ただ、

以前より少しだけ小小凡師くんと一緒に

病院へ行くのが怖くなっています。

たぶん、小小凡師くんも。

 

 

 

 

お気に入りの本に出会った2021年 Part1

月日の経つのがあっという間

気付けば残り数日で2021年が

終わろうとしています。

 

今年はこれまでの生活リズムが変わり、

遅寝早起きリズムになりました。

小小凡師くんのケアがあるため、

早寝はできず、毎日1:00前後に就寝

そして、

2人分のお弁当作りがスタートしたので、

朝は5:00起き

 

仕事のない日は、

小小凡師くんを学校へ送り届け、

迎えに行くまでの間に昼寝をして、

不調に繋がらないようにしました。

故に、

自分時間はほとんど睡眠に消えます。

そんな中でも、

今年は努めて読書時間を生み出しました。

 

筆文字メッセージハガキ書きもやりたいし、

ピアノも弾きたいし、運動もしたいし、

やりたいことは溢れていても、

体を壊してはいけないと、

ついつい昼寝の比重が高まっていました。

もちろん、

仕事の依頼が入った時は、

その準備や打ち合わせ、勉強もして、

台本作りも、しっかりやっています。

 

限られた時間で生み出す自分時間

あれもこれもは無理なので、

1番やりたい事を自分と相談し、

今年は読書時間でした。

 

読みました。とにかく読みました。

ただ、ジャンルに偏りありすぎ。

癒し系とサスペンスばかり。

それでも、これまで知らなかった

素敵な本にたくさん出会いました。

それがこちら、

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『満月珈琲店の星詠み』シリーズ

 

そっと寄り添う登場人物や言葉を

自分に投影させたりしながら、

じんわりと温かく、ホッと一息入れられる

そんなシリーズでした。

占星術にも興味が湧きました。

星占いというには奥深い分野なんですね。

そして、

桜田千尋さんの絵が素晴らしい。

カフェメニューがイラストで、

しかもカラーで見られるのですが、

とにかく綺麗

イラスト集も発売されており、

近々、購入予定です。

 

年末年始は

ゆっくり読書タイムを楽しもうと思います。

 

 

それは〇〇の搾取だと思うのは、人情のない冷たくお堅い人なのか?

数年前に『逃げる恥だが役に立つ』というドラマがありました。

逃げ恥ダンスは忘年会の鉄板ネタでしたし、

主題歌もあちこちで流れていました。

共演の2人がご結婚されたことで、

再視聴した人もいるようです。

ドラマの内容やあらすじは割愛するとして、

その中で

「それは好きの搾取」

「それはやりがいの搾取」

というセリフがありました。

 

搾取という表現だからなのか、

「分かるー」「そうだよね」という声の一方

「冷たい」「日本には人情っていうのがあるんだよ」という声もあったような気がします。

賛否両論や多様な意見を見聞きしました。

 

〇〇の搾取という言葉はここ5年くらいの表現としても、このような現象は今に始まったことではなく、荒馬もずっとモヤモヤしていました。モヤモヤしていても、直接相手に伝えることはせず、個人名や細かい背景を濁して、誰かに聞いてもらうことはありましたが…

荒馬がズルイのは、

「そうだよね」「分かるわー」と言ってくれる人に話していたこと。

賛同を得たくて話していましたが、聞いてくれた人達も何らかの形で、〇〇を搾取されていました。

 

元美容師の人は、

「友達価格でカットして」

「友達のよしみで、子どものカットお願い」と言われ、

上手く断れずに引き受けてしまったのだけど、

モヤモヤが残った上に、次からは余計に断れなくなっちゃった。

と話してくれたことがあります。

 

荒馬も現在進行形でこの手の話はあります。

相談をもちかけられることが以前よりも増えて、最初は、

「話を聞くくらいしかできませんが」という前提でお話を伺っていたのですが、

メールや電話の回数が増え、自宅にまで来るようになり、

さらには、

友達を連れてきたり、別の友達が登場したり、

友達数人を囲んで食事会をしましょうと誘われたり…

さすがに食事会は断りましたが、この温度差は縮まらず、むしろ温度差があることすら気付いていないようで、

結局は「相談してって言ったくせに、なんか壁を作られてしまった」と

相手側に言われる始末(間接的に聞いたので、多少の湾曲はあると思いますが)

 

インタビュー記事を読んだ人からも

連絡をもらうことがあります。

その多くは、

仕事の依頼や問い合わせですが、

中には荒馬という人となりに

何らかのアンテナが反応したようで、

書籍類やセミナーの案内や紹介がありました。こういう類ならまだスルー確実ですが、

依頼ではなく、オススメ絵本について質問をしてくる場合があり、それにお答えすると、時間を問わず連絡がきたり、急に距離を縮めた文章になったり…

あまり深入りせず返信しないのですが、

相手からは定期的にメールが来ます。

 

 

親しき仲にも礼儀あり、

親しいからこそ、その対価は正当に行われるべきだと荒馬は思っています。

応援の形は様々ですが、

これからも仲良くする 

とか

代わりにご飯を奢る

と言うのは、なんだかなーと思うわけです。

 

同様に

相手の時間を奪う行為

親切という名の、気遣いという名の◯◯

これらもモヤることがあります。

相手との親密度

相手の立場や思いをまずは考えたのか

自分軸のみの行動ではないか

 

ただ、この類の話を

相手に伝えるのは難しいし

賛否もあり、誤解も招きやすい。

冷たいね

人情ってもんは無いの?

と、なりがち。

こちらの価値観だかは

押し付けるつもりはないけれど、

適切な距離を上手に取れるように

遣う言葉やタイミングを大事にしよう

そんな風に考えています。

 

 

「変わってるね」を褒め言葉として受け取ろう

気付いたら雪が舞う、冬の季節になりました。

最近は特に、時間が過ぎる早さを実感しています。

数年前は、ブログを書く時間をルーティン化できていたのに、

秋田県に引っ越してからは、

すっかり他のことをする時間になってしまっています。

たまに

思い出したようにブログを書く…というルーティンです。

 

さて、表題にあるのは、

荒馬が小凡師くんに伝えた言葉です。

秋田県に来てから、

小凡師くんが周りの人達から、

「変わってるね」とよく言われるようになったそうです。

もう4年半も経つので、

「すっかり慣れちゃって、またかって感じなんだけどね」と

淡々と語る小凡師くん。

高校生になったというのもあるのかもしれませんが、

先日、

この「変わってるね」案件について、

小凡師くんと語り合うことがあったので、備忘録も兼ねて…

 

 

北海道にいる時には、あまり言われなかったのに、

秋田に来てから頻繁に言われるようになった。

ここにも県民性のようなものが潜んでいる気もするのですが…

特に現在住んでいるのは、とても田舎で小さな地域なので。

そのことについても、

多少、小凡師くんと話をしたのですが、

結論から言うと、

地域的に画一性が無意識に重んじられているのかもね。ということ。

目立つのは良くない。

人と同じで居る方が安心。

子どもから大人まで、そういう風潮なのかもしれません。

(あくまで「かもしれない」ですが)

そして、

学校教育による差について。

小凡師くんによると、「普通は〇〇」「みんなは〇〇」という言葉を

やたらと聞くようになったとのこと。

「時代に逆行して多様性を受け入れない気がするよ。

 ちょっと違えば、その人達なりの正義で責められているきがする」

 

実は荒馬も似たようなことを感じていました。

最初こそ、自分って変なのかなと落ち込んだこともあるようですし、

周りの人の言動にトゲを感じていたようです。

最近は、慣れてきたのと、「いいや、自分は自分だし」と思えるように

なってきたようです。

とは言え、

今でも言われると、チクチクと小さく刺される感覚は残っているとのこと。

 

そういえば、荒馬も学生時代は「変わり者」と言われることが多かったな。

ものすごく気にしている わけではないけれど、

小さくチクチクと刺される感覚はよく分かります。

そんな話をしつつ、

「だけどさ、変わり者ってみんなと同じじゃないってことだから、

 唯一無二みたいな感じじゃん。ってことは、褒め言葉なんじゃない?」

と言ってみました。

 

人はそれぞれの正義をぶつけてきます。

しかし、それが正義だと判断する過程では、

人それぞれの価値観や考え方でもって形作られていくもの。

時に、悪口や愚痴に形を変えてしまう可能性があるもの。

特に、

誰かの人となりや考え方などについて「変わってるね」という時には、

まず最初に、その人を否定してしまっています。

そこには、単に正義をぶつけているだけではなく、

嫉妬や羨望もあるんじゃないかと荒馬は思っています。

そのことも小凡師くんに伝えました。

 

案外、「確かに、そうかもね」とあっさりと理解。

加えて、

「それに「変わってるね」って言った時点で終わっちゃうよね。

 相手への理解がさ。あーこの人はこんな事を考えるんだーとか、

 こういう人なんだーっていうのが無くて、

 新しい考え方に出会ったのに、それを流しちゃって…。

 それは、もったいない」

と言っていました。

 

いやー、この成長っぷり、親としてビックリですよ。

この後は、小凡師くんが好きな歴史話を織り交ぜながら、

やれ、

〇〇は△△だったから、□□を成し遂げたんだ

△△は周りから◇◇と言われたけど、〇○を考えたんだ

と、具体例を出しながら、色々と話をしていました。

 

いつのまにか、

誰かに説明するスキルが上がっていて、

ただただ感心するばかりでした。

自分の好きな分野と結びつけて、深く考え、言葉にできる

小凡師くんの強みですね。

どおりで、周りからの言葉に揺れ動かなくなったわけだ。

 

好きを追い続けることで、自分の強みができて、

自信を持つことに繋がるのですね。

 

落ち込んでいると思って、話し始めたことでしたが、

逆に、深い話を息子とできました。

 

「変わってるね」を褒め言葉と受け取る

 

 

シリーズ読了 『BAR追分』シリーズ3冊

小説も映画も続編といのはハードルが高くなりがち。

期待感が買ってしまうからでしょうか。

だからこそ、

続編も面白いと一気にその本が好きになります。

先日のブログで書いた

『BAR追分』シリーズ3冊を読了しました。

 

続編やシリーズ物は世界観が続いていくので、

荒馬は好きです。

とりわけ、この『BAR追分』シリーズ

 

第1弾で小説の世界観を味わい、内容を味わい

一歩踏み入れるという感覚でした。また俯瞰している感じ。

第2弾になるとすでにその世界観の中にいて、

登場する人物も風景も細かなところまでもが

自在に動き出すという感覚になりました。

視野の外でも動いていて続いていて…

活字の映像化というだけでは足りないくらいに。

その場に居る 間違いなく居る

息づかいというかリアルな何かを感じる。

不思議体験ができた本でした。

 

俯瞰して眺めていた世界に

自分もしっかりと降り立ち、歩き、眺め、話す

第3弾になると一層強まりました。

あーなんだろう この感覚

シリーズ物は過去にいくつも読んできたのに、

読んでいるだけではなく、存在している。

パラレルワールドのような

夢遊病のような

不思議な感覚です。

 

第3弾を読み終えた時、

長い旅行から帰った来たようでした。

まだそこにいたい。

第4弾は出ないのかなー

 

この感覚をまた味わいたい。