小学生くらいでしょうか、
「物知り博士」になりたいと思い始めたのは。
何でも知っている人になりたい。
何を聞かれても答えられる人になりたい。
学校で周りの人達が話す多くの話題に
「知らない」と言いたくない。
蘊蓄を語る気はないし、
誰かの話を奪い取りはしないけれど、
「それ、知らない」と言いたくない。
友達が多かろうが、少なかろうが
そんなことはどうだって良くて、
「知らない」のは嫌でした。
古きも新しきも情報と知識をインプットしました。
体験が必要なものは、とりあえずやってみました。
そう、広く
そして、かなり浅く
結果、「知らない」ではないけれど、
「それ、知ってるレベル?」と自分で思うほど、
浅く薄いものができあがります。
ただ、
ちりも積もれば山となるで、
その薄い紙も何重にもなると、見映えはするモノで、
中学生になることには、
「荒馬に聞けば、何でも答えてくれる」
「荒馬は何でもできる」
というレッテルが完成しました。
脚光を浴びるのが大好きな荒馬
習い事も部活も
自分が頑張れば、自分だけが目立てるものをチョイス
浅はかですが、実に気分の良い日々でした。
欲しがり屋の荒馬は
表立って「欲しい欲しい」とは言わずに、
見せる・聞かせることで獲得してきました。
今思うと、嫌な奴です。
それでも、目立つという理由ではなく、
ただ色んな事を知りたいと、知っていたいと
思うようになりました。
知識は様々な武器になります。
体験も武器になります。
流行のモノに手を出し、
昔のものを調べたり体験したり
知らないこと・やっていないことも多いけれど、
それなりに蓄積してきたという思いはあります。
そして社会人になり、
器用貧乏が完成しました。
どれも卒なつこなせるけれど、
たいして熱意もなく、努力もせず、
深掘りするもせず、継続もせず…
何者にもなっていないと感じる事も多々
ただ、教師をする上では
かなり役に立ったと思っています。
生徒達と保護者達と同僚達と地域の人達と
あまり話題に困ったことはありませんし、
案外、
深く知らなくても、盛り上がれるものです。
「詳しくはないのですが、知ってはいます」
「もっと教えてください」
そんな展開をしていくと、
目をキラキラさせて教えてくださいました。
老いも若きも。
その快感というか多幸感がクセになりました。
損をすることがないなら、
このまま「器用貧乏」「広いが浅くて薄い」で
良いのではないかと。
周りの人に自己紹介で言うほどではないけれど、
「私は割と、なかなかの、物知り博士です」と、
言えそうな気がします。
(実際、伝えたことは一度もありませんが)
あと数年で50代になろうとしている今、
「物知り博士になりたい」は継続中です。
そう、まだなっていません。現在進行形です。
物知り博士ランクがあれば良いのですが…
(〇級とか〇段とか)
そのおかげで、知らないことに出会うと、
今でもワクワクします。
もっと知りたい
もっと学びたい
もっとやってみたい
が継続中です。
なぜ、物知り顔で学びを止めてしまうのか
もったいないなぁと思う大人ばかりを目にします。
知ることを諦めた人・封じした人・
もう十分と満足している人
そこを突かれると怒り出す人
言い訳を並べる人
とにかくもったいないなぁと感じます。
多様性の世の中にあって、
こんな思いも誹謗中傷の的になってしまうのでしょうか。
考える事
学ぶこと
こんな面白いことはないのに…


