荒馬のつれづれ日記

好きなことを、好きな時に徒然と綴る日記です。

現在進行形で私がなりたいもの

小学生くらいでしょうか、

「物知り博士」になりたいと思い始めたのは。

何でも知っている人になりたい。

何を聞かれても答えられる人になりたい。

 

学校で周りの人達が話す多くの話題に

「知らない」と言いたくない。

蘊蓄を語る気はないし、

誰かの話を奪い取りはしないけれど、

「それ、知らない」と言いたくない。

 

友達が多かろうが、少なかろうが

そんなことはどうだって良くて、

「知らない」のは嫌でした。

 

古きも新しきも情報と知識をインプットしました。

体験が必要なものは、とりあえずやってみました。

そう、広く

そして、かなり浅く

結果、「知らない」ではないけれど、

「それ、知ってるレベル?」と自分で思うほど、

浅く薄いものができあがります。

ただ、

ちりも積もれば山となるで、

その薄い紙も何重にもなると、見映えはするモノで、

中学生になることには、

「荒馬に聞けば、何でも答えてくれる」

「荒馬は何でもできる」

というレッテルが完成しました。

 

脚光を浴びるのが大好きな荒馬

習い事も部活も

自分が頑張れば、自分だけが目立てるものをチョイス

浅はかですが、実に気分の良い日々でした。

欲しがり屋の荒馬は

表立って「欲しい欲しい」とは言わずに、

見せる・聞かせることで獲得してきました。

 

今思うと、嫌な奴です。

 

それでも、目立つという理由ではなく、

ただ色んな事を知りたいと、知っていたいと

思うようになりました。

知識は様々な武器になります。

体験も武器になります。

 

流行のモノに手を出し、

昔のものを調べたり体験したり

知らないこと・やっていないことも多いけれど、

それなりに蓄積してきたという思いはあります。

そして社会人になり、

器用貧乏が完成しました。

どれも卒なつこなせるけれど、

たいして熱意もなく、努力もせず、

深掘りするもせず、継続もせず…

 

何者にもなっていないと感じる事も多々

 

ただ、教師をする上では

かなり役に立ったと思っています。

生徒達と保護者達と同僚達と地域の人達と

あまり話題に困ったことはありませんし、

案外、

深く知らなくても、盛り上がれるものです。

「詳しくはないのですが、知ってはいます」

「もっと教えてください」

そんな展開をしていくと、

目をキラキラさせて教えてくださいました。

老いも若きも。

 

その快感というか多幸感がクセになりました。

損をすることがないなら、

このまま「器用貧乏」「広いが浅くて薄い」で

良いのではないかと。

 

周りの人に自己紹介で言うほどではないけれど、

「私は割と、なかなかの、物知り博士です」と、

言えそうな気がします。

(実際、伝えたことは一度もありませんが)

 

あと数年で50代になろうとしている今、

「物知り博士になりたい」は継続中です。

そう、まだなっていません。現在進行形です。

物知り博士ランクがあれば良いのですが…

(〇級とか〇段とか)

 

そのおかげで、知らないことに出会うと、

今でもワクワクします。

もっと知りたい

もっと学びたい

もっとやってみたい

が継続中です。

 

なぜ、物知り顔で学びを止めてしまうのか

もったいないなぁと思う大人ばかりを目にします。

知ることを諦めた人・封じした人・

もう十分と満足している人

そこを突かれると怒り出す人

言い訳を並べる人

 

とにかくもったいないなぁと感じます。

多様性の世の中にあって、

こんな思いも誹謗中傷の的になってしまうのでしょうか。

 

考える事

学ぶこと

こんな面白いことはないのに…

『鎌倉茶藝館』を読んで、自分の思考がどんどん飛躍していった

1つ前の投稿では、

10月に読んだ小説の表紙の写真を載せました。

 

中でも魅力に取り憑かれてしまった1冊をご紹介。

『鎌倉茶藝館』

大人の恋がテーマなのですが、

私が惹かれたのは、そこではなく、

小説に出てくる茶藝館と台湾茶でした。

文字・文章だけで、

あそこまで表現できる作家さんは素晴らしい。

茶藝の作法

様々な台湾茶の色や香りや味

映像を観ているような

目の前でお点前をいただいているような

そんな感覚が、私の中で終始ありました。

 

小説を読んでいる最中に、親友から中国茶器セットを贈ってもらったことを思い出し、ただ、20年以上前だし、何度か引っ越しもしているから…とキッチンをガサゴソしていると、出てきました。もらった時には分からなかった茶器の使い方も、小説を読んだ事で知ることができました。

台湾茶中国茶)は聞香杯というのがあり、飲む前に香りを楽しむ手順があります。聞香というのが、実に素敵な言葉。[香りを聞く]ですよ。聞香という文化は古くからあり、茶が先だったのか、聞香が先だったのかは、まだ勉強途中です。

長男が歴史好きなこともあり、歴史を学ぶ中で文化や文学も一緒に調べていました。日本に限らず世界中のそれを。私も文学分野から歴史や文化を学んでいたので、よく長男とも[聞香][香道]について話をしていました。

戦国武将達も香道・茶道などを嗜んでいた。〇〇という武将は、△△という香りが好きだった(らしい)などと。

 

日本の茶道には聞香の手順はないはずですが、お茶の文化と歴史を深く紐解きたいと、まずは基本事項から勉強をしています。

 

そして、台湾茶を飲んでみたくて堪らなくなりました。

田舎ゆえ近所には茶葉を売るお店がないので、ネット購入かな?と思っていた矢先、県庁所在地へ行く機会があり、そこで偶然にも茶葉を売るお店を発見。珈琲・紅茶・日本茶・ハーブティ・中国茶などなど、ラインナップも豊富でさっそく購入。

 

『鎌倉茶藝館』の描写で惹かれたお茶の中から、まずは1つずつ。

図書館で借りた小説でしたが、これは手元に残したいと、すぐに購入したこちらの小説。もちろん大人の恋愛の描写も、深みがあって好きでした。学生時代や若者達の恋や韓国ドラマのような胸キュンではないけれど、静かで穏やかな恋愛の形を知ることができました。私は20代で結婚しその後は恋愛をしていないので、もし40代で恋をしたら、こんな経験ができるのだろうかと想いを馳せてみたりしました。

 

恋をしたいと思ったことがないことにも気づきました。

恋人が欲しいと思ったことはあっても、

恋をしたい・恋を楽しみたいというものではなかったと実感

その違いは何?と聞かれても明確に答えられませんが、

それができる環境にありながら、

そこではないものに現を抜かしたいたと言いますか…

今にして思えば、実にもったいなく、

大事な何かが欠落しているかもしれないとさえ思います。

人との恋愛を通して得られる、思考とか感情とかが

何十年か経って形を変えて顔を出す引き出しのようなものを

私は得ること無く生きてきたのかもしれないと…。

 

ある経験を通して、自分の糧となり、

別の形となって現れることってあると思うのです。

思考のクセ

見方のクセ

視点のクセ

それらに置き換えられていくと言いますか。

 

1冊の小説を通じて、思考の飛躍をして

面白いことになる私の頭の中

こういった読書経験はあまりないので、

良い1冊に出会えたと思っています。

 

 

 

久しぶりに読書記録を載せてみる

統一性のない私のブログ

「書きたい」いや「伝えたい」気持ちを誰にともなく呟くことがきっかけでした。短い文章で書けないからブログという選択肢をとってきました。毎日書く日もあれば、ずいぶんと期間が空くこともありました。そのくらいの距離感が私にはちょうど良い。義務になると冷めてしまうという、厄介で致命的な弱点があるが故の付き合い方。

努力や忍耐…耳の痛い言葉です。

器用貧乏と言えば耳障りが良いですが、何となく、どんなこともある程度、短期間でできてしまって、それ以上を望まず挑まずできました。その結果が今。

特に後悔はしていないけれど、その時々で都合の良い言い訳を並べていた気もします。正当化というべきか…だから良しとしています。これも私なんだ。

 

前置きが長くなりました。

今回は久しぶりに読んだ本を載せたくなりました。10月は自分でも驚くほど異常な読書量でした。小説に特化していますが…。常に積読本が何冊もあって、手に取る前に次の作品を買ったり借りたりを繰り返しています。もはや本を読みたいのか集めたいのか。さらに少し前までは、併読読みをしていたのですが、10月は1冊ずつ。読み終えてから次の本に。

当たりを付けて本を借りたり買ったり、書棚をプラプラして「あっ、これ前に読みたいと思っていたかも」「これ何となく読んでみたい」というジャケ買い・ジャケ借りや記憶の引き出しで手に取った本ばかり。

 

どれも面白くて、楽しめて、考えさせられ、響きました。色々な自分に気づくことができます。試されているような、問いかけられているようなそんな作品もありました。フィクションとは言え、誰かのどこかの何かを覗き見している気分になる小説。そこから自分との対話をしたり、思考する時間が好きです。

 

擬似体験・人を知る・感情を知る・仕事を知る

作家さん達がたくさんたくさん調べて考えて紡ぎ出した言葉と文章によって私の世界が広がっていくような。まだまだ知らないことが多いと気づいて、知った気になっているリアルな自分の傲慢さにポンッと何かを置いていかれたような。それでいて、背中を朝れるような。

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自分の足で立ち自分の人生をしっかり歩んでいるからだよ

前回・前々回、息子(小小凡師くん)との

お別れについてブログを書きました。

これまで、

夫(凡師さん)にしか話していなかったことを

ブログにも書いたり、

受け止めてくれる信頼できる友人に

話すようになりました。

 

楽しく幸せな「お裾分け」なら良いけれど、

悲しみやモヤモヤの「お裾分け」は、

かえって失礼だったり、

相手にも荷を負わせてしまいそうで、

荒馬の性分として幼少期から自分の中でのみ抱えていました。

それでも

特に友人達に関して言うと、

本当に心から寄り添ってくれました。

辛いと思うけれど、と前置きした上で、

話すことで少しでも前を向いて歩き出せるなら

いくらでも聞くからと言ってくれる友人が

荒馬の周りにこんなに多く存在したことが、

嬉しく幸せだと感じています。

大事なそのことに目を向けて気づくことができただけで、

十分な救いとなったのです。

 

その上で、友人のその言葉に甘えさせてもらい、

前回・前々回のブログ記事と同じような内容を

何人かに聞いてもらいました。

さすがに

メールや手紙など文字のみのやり取りでは

伝えきれないことが多いので、

対面で会った友人達に限定ですが…

 

タイトルにある言葉は

その中の1人が伝えてくれた言葉です。

友人のお母様も荒馬も同じような感覚をお持ちなのだそうです。

身近で大切な人や動物が亡くなっても

3日もすれば消えてしまう。

そのことに悩み

「私には大事な何かが欠落しているのではないだろうか」

友人のお母様もご自身の友人に話したそうです。

その時に返してくれたのがこの言葉だったとか。

 

依存していたり、そのことだけが生きる意味になっていたり、

特に介護ではそんな状態に陥りがちです。

たとえ無意識だったとしても。

仕事や子育て・人間関係でも

程度の差はあれど、陥る可能性があることです。

〇〇なしじゃ生きていけない

〇〇が生きる糧

私には〇〇がある

場面や場合によっては、プラスの、

美談として受け取られることもあります。

しかし、

落とし穴も隠れているものです。

喪失した時の環境や状態も左右するのでしょう。

 

友人ともその話を時間をかけてしました。

「荒馬さんは極端な言い方をすれば、

 1日1日を悔いを残さず、後回しにせず、

 真剣にかつ愛情を持って向き合えていたんじゃないかな」

 

「小小凡師くんを逃げややらない言い訳に利用しないで、

 過剰に悲観しないで、落ち込んだり、怒ったりしないで

 その時できることを懸命にやっていたんだよ」

 

「その上で、制約のある暮らしの中でも、

 母として妻としてはもちろん、自分の人生も

 自分で考えて作り上げて歩んできた。

 だから、言葉は悪いけれど、

 後悔のない清々しさすら残る感情になったんじゃないかな」

 

 「悲しみや寂しさと上手に付き合いながら

 それでも自分で立ち上がって歩く術を

 すでに持っていたり、新たに作り出しているんじゃないかな」

 

友人達からはそんな言葉の数々を言ってもらいました。

今のこの状態を

「ひどい母親だ」

「人として欠落してる」

「悲しまないなんて信じられない」

と言う人もいるかもしれませんが、

否定せず、むしろ肯定してくれる友人に囲まれて

さらに落ち込まずにすんでいます。

 

そして、

荒馬自身もそんな風に友人に寄り添い、肯定できる

人になりたいと思いました。

 

小小凡師くんの喪失によって

他者への温かさを渡すタイミング・遣う言葉を学びました。

小小凡師くんが産まれた時も

様々な人が、様々な言葉や行動をしてくれたけれど、

逆に辛さが増したり、イラッとするものもありました。

 

彼の誕生から別れまで、

14年間という短い時間でしたが、

人を学び

言葉を学び

思考を学び

行動を学びました。

こんなにも大人達に影響を与える存在なのだと

改めて時間しています。

子育ての神髄かもしれませんね。

 

子どもを育てているようで、

学びを与えられ、育ててもらっている

真っ最中のころは気づけない人が大半ですよね。

失ってから気づくなんて遅すぎました。

よくあるセリフですが、本当に情けない大人です。

 

ただ、荒馬には

寄り添って応援してくれる友人達がたくさんいます。

友人達が灯りを手にして

導いてくれたり、照らしてくれます。

その環境にあぐらをかかず、

感謝をしながら荒馬自身も修行し続けたいと思っています。

 

 

 

第2弾 大切な人を亡くしても悲しみに暮れられないのはダメじゃ無いと思いたい

さて前回のブログの続きです。

 

最愛の次男[小小凡師くん]が亡くなりました。

悲しくて寂しいけれど、

思った以上に心も体も大丈夫だという話題でした。

前回は

小小凡師くんを見送ったあとのことや

凡師さんとの会話を綴り

[大丈夫]に至った理由を書きました。

そして、

ブログの最後に

もう1つの理由があるのですと書きました。

 

この話を書く前にまず触れておかなければならないのが

(その部分が長文になるので2回に分けました)

葬儀のやり方の違いについてです。

 

荒馬は北海道出身です。

両親ともに兄妹が多く、末っ子に近かったため

小学生のころから、とにかく多くの葬儀に参列してきました。

さらに

20代前半で祖母と実母の葬儀を悲しくて放心状態の実父に代わり、兄と2人で進めることになりました。実際に喪主的役割を務めると、実に多くの決め事ややることがあるのだと気づかされます。悲しむ暇がないくらいに。

それでも

北海道の冠婚葬祭は思い切った簡略版が多いです。

全国の通例も知識としては知っていました。ただその頃はあくまで[サラッとしか]だったことが後に分かることになるのですが…。

 

葬儀は宗派によっても違いがあります。

地域による違いも[ある]ことは分かっていましたが、こんなに違うのかと驚きと戸惑いの連続でした。それでも小小凡師くんと[きちんと]見送りたいと考え、恥を忍んでご住職さんや葬儀スタッフに質問攻めをしました。

 

東北地方に多い慣習

秋田県に多い慣習

荒馬の住む市町村に多い慣習

 

それらをごちゃ混ぜになりますが、少しだけ。

湯灌納棺に重きを置いている 納棺の儀というのがある

(北海道ではやらないところが多いです)

お通夜をやらないことが多い

家族葬にすると葬儀に参列できないので、安置所や火葬場に多くの弔問客が訪れるので突然すぎて動揺しました)

前火葬と言って、葬儀(告別式)の前に火葬場へ行く

(通夜も仮通夜もありません。湯灌納棺の後火葬場が空いていれば翌日には火葬場へ向かいます。近年は火葬場で全て終わらせるご遺族もいらっしゃるとか)

骨壺を祭壇に飾って葬儀が執り行われる

(骨上げもやり方が独特でした実父と実兄と荒馬は戸惑い、若干、引きました。便宜上、骨壺と言っていますが、壺ではなく巾着袋に遺骨をいれてそれを木箱にいれるというスタイルでした)

その後すぐに納骨する

(四十九日(忌明け)を待たずに納骨することに戸惑いました。 さらにお墓に巾着袋から遺骨を取り出して砕いて入れると言われましたが、さすがにそれは拒否して袋のまま納めました)

個人位牌と言う概念がそもそもなく家族位牌(先祖位牌)なるものがある

(希望があればご自身でお作りくださいみたいなスタンスでした)

お寺には納骨堂ではなく位牌堂があり、忌明け後はそこに位牌を移動する

(北海道は雪国ゆえお墓ではなく納骨堂に骨壺を入れていました。同じ雪国でも違うものですね。そもそも骨壺が存在しないので)

 

ここまでお読みになった皆さんにとっては、

「それって当たり前じゃん」と思われるかたもいらっしゃるかもしれません。北海道もまた独特の文化と習慣があるので、もはやポピュラーが何なのかさえ分からなくなっています。今回のを機に葬儀後は葬儀のしきたり的なものをかなり読み漁りました。

 

すみません。本題に入るのはここからです。

 

荒馬の実家と偶然にも同じ宗派でしたので、戸惑うことはないだろうと思っていたところ、ここまでお読みなれば、狼狽えすぎだろうというくらい戸惑っているのがお分かりかと思います。一番最初の戸惑いは【納棺の儀】というものです。

 

納棺師さんが旅支度を調えた後、遺族も一緒に棺にご遺体を納めます。

ここまでが湯灌の範囲

今日はここまでだろうと一瞬安心したのもつかの間、

葬儀スタッフの皆さんが実に迅速に祭壇をセッティングしていきます。

ご住職が座るための座布団も用意され、

御膳や積み団子などもセットされていきます。

「もうじき住職が到着なさいます」

そこで初めて【納棺の儀】の意味を理解しました。

 

先ほど実家と同じ宗派だと書きましたが、

納棺の儀の経をは初めて聞きました。

経が始まってしばらくすると(全体の半分くらいが経過していました)

ご住職が立ち上がり、

棺へ近づき、次男の頭部の位置で経を唱え始めました。

そして、

何かを取り出し、頭のところで[何か]の動きをしています。

「何をしているのだろう?」「あれは何なんだろう」

その後は、気になりすぎて経に集中できないくらいでした。

 

終了後に堪りかねて

「先ほど棺のところでは何をなさっていたのか教えていただいても良いですが。納棺の儀を初めて経験するんです。不躾に申し訳ありません」と尋ねると、ご住職が優しく温かい表情で教えてくださいました。

 

納棺の儀は、故人に「あなたは現世での生を終えました」と伝えた上で「これからは仏様に弟子入りをし修行をするのですよ」と教えてあげる儀式なのだそうです。取り出した[何か]はカミソリでした。そして[何かの動き]は剃髪の動き(フリですが)なのだそうです。仏門に入るので剃髪をする。「なるほどー」でした。

 

実は葬儀には小凡師くん(長男)は不在でした。

自宅からはかなり遠方にある大学に通っており、

重要な講義のため休めないとの理由です。

「まとまった休みには帰省してね」と約束し、

亡くなってから毎日、その日の様子などを伝えていました。

 

納棺の儀があった日の夜も

斎場に泊まり込んでいたので、

火葬前の最後の家族団らんの夜です。

納棺の儀について長男も知らなかったので、

詳しく説明をしました。

 

その説明を聞き、しばしの沈黙の後

「お父さん、お母さん、お願いがある。

 明日、僕は火葬の場に一緒にいることはできないけれど、

 その時間帯は小小凡師に思いを馳せているからね。

 悲しくて悲しくて堪らないけど、

 せめて僕たち3人は

「さよなら」じゃなくて「いってらっしゃい」と言って

 送り出そうよ。だって小小凡師は弟子入りして修行するんでしょ」

 

小凡師くんが泣きながら言ったセリフです。

 

そのセリフを聞くまで、

「さようなら」をしたくなくて堪らなかった私。

嫌だ嫌だと思っていました。

 

ただ小凡師くんのそのセリフを聞いて、

何かつっかえていた物が、

スーッと引いていくというか、落ちていく感覚がありました。

悲しみに押し潰されて壊れる直前の心が

徐々に回復されていく感覚と言いますか…

 

昨年4月

小凡師くんが家を巣立ちました

自分が学びたいことを学ぶことができる大学を

早々に自分で決めて見事合格し

1人暮らしをしながら、

充実した日々を送っています。

小小凡師くんも淋しがりつつも

大好きなお兄ちゃんの旅立ちを誰よりも応援していました。

 

その経験が1年前にあったから余計に

「ああそうか、少し早いし突然だったけれど、

 小小凡師も巣立ちなのか、

 もう会うことも抱きしめることもできないけれど、

 彼も修行の旅にでるのか」

そう考えると、悲しんでばかりではいけないと

思ったのかもしれません。当時は。

 

人生が一変した小小凡師くんの誕生とその後の14年

辛く苦しく、悩んだり、ぶつけようのない怒りや嫉妬など

ドロドロとした自分の感情もありました。

それ以上に

楽しく・嬉しく・愛おしく・喜びや幸せもありました。

 

息子達に恥じない人に(母親に)なりたい。

「この人が母親で良かった」と思ってもらいたい

小小凡師くんにそう思ってもらえたかは分からずじまいですが、

今からでも見せることができるかもしれない。

見ていてくれているかもしれない

 

だから悲しみに暮れられなくても良いじゃないか

そんな風に今は考えられます。

昨日は小小凡師くんの15回目の誕生日でした。

生まれた日のことを思い出して、

1人でおいおいと泣いてしまいましたが、

それでも

そんな姿もひっくるめて、

見守ってくれているように感じられます。

 

泣いていないからって、悲しくないわけじゃない

笑っているからって、平気なわけじゃない

奮い立たせなくても、大丈夫なこともある

無理をしなくても、立ち上がることができる

 

実体はなくても、心の中にいると思いたい

彼の命を引き継いだと思いたい

分けてもらえたと思いたい

共に生きていると思いたい

 

だから前を向いて歩み出しても良いじゃないか

早すぎじゃない

悲しくないの

いなくなってスッキリしたんじゃない

そんな雑音が聞こえないフリをしてもいいじゃないか

 

そんなことを考えて思っている荒馬です

今日もとても長文になりました

 

読んでいただいてありがとうございます。

 

大切な人を亡くしても悲しみに暮れられないのはダメじゃ無いと思いたい

荒馬にとって2人の大切な息子

このブログでは【小凡師くん】と【小小凡師くん】という表記をして、たびたび彼らについて書いていました。夫である【凡師さん】に激似がゆえ、2人の息子もこのような呼称にしていました。

 

5月、小小凡師くんが亡くなりました。

小小凡師くんは医療的ケア児。出産時のトラブルにより重度脳性麻痺となり、痰の吸引や胃瘻(胃に付けた器具)からの経管栄養(胃瘻から食べ物を摂取すること)が必要で、全介助が必要で、小児用バギー(車椅子しかも体に合わせて使うフルオーダーの車椅子)での移動が必要でした。

 

彼が産まれた時から、毎日覚悟をしていました。

私たち夫婦よりも先にお別れが来るかもしれない。

体調を崩して入院をしていなくても、

医療的ケア児は思わぬ事でリスクが高まってしまいます。

どれだけ細心の注意を払っていても、

在宅ケアをしていても、施設や病院にいたとしても

覚悟をするのは、細心の注意を払うのは変わりません。

ただ、

覚悟をしていたとは言え、

毎日「この子は今日死ぬかもしれない」なんて考えたくありません。

体調も機嫌も良ければ、

疑いもせず当たり前の明日が訪れると思ってしまいます。

それを油断していると言われると切ないですが、

そんな突然のお別れでした。

前日の夜、

いつもと変わらぬ明日が来ることを疑うことすらせず、

笑顔で声をかけ、眠りにつく姿を見ていたのに…

急変する数時間前には

痰吸引をして変わりないことを確認していたのに…。

 

お見送りを終えてバタバタと最初の1週間が経過しました。

四十九日(忌明け)までの時間は

もっと「バタバタ」が続くと思っていました。

ところが案外、時間がゆっくりと流れて、

今後やらなければいけないことを整理したり、

ボーッとして体は動かなくても頭は冴えているというか、

在りし日の小小凡師くんの14年間を振り返っていました。

 

悲しいし、寂しいし、気づくと涙が流れている時もあります。

ただ、

悲しみに押しつぶされて泣き暮らす

寝食を忘れてしまうような状態にはなりませんでした。

ふと付けたテレビを観て笑っていたり、

グーッとお腹が鳴って空腹感を感じたり、

夜になれば眠たくなってくる。

 

自分には大切な何かがが欠落しているのではないだろうか。

笑ってるよ 眠くなってるよ お腹が空いてるよ こんな時に。

そんな自分に違和感というかモヤモヤを抱いていました。

 

凡師さんも随分と気にかけてくれました。

忌引き休暇を終えて仕事へ復帰してからも

いつもよりも早く帰宅してくれました。

甘い物が苦手なのですが、

それでもスイーツを毎日買って帰宅

すっかり夕食後のスイーツTimeはルーティンになりました。

その[餌付け]で痩せ細るどころか体重が増加を続けています。

 

こんなに気遣ってくれているのに私ときたら…

 

平気なフリをしているように感じているのだろうな。

自分を奮い立たせているように見えているのだろうな。

 

「フリ」でも「無理」でもなく、

喪失感はあるけれど大丈夫だったのです。

 

罪悪感というか、

自分がこんな薄情で母性のない人間なのかと思う気持ちと

いや違う

ちゃんと(?)悲しいよ とても寂しいよ

喜んでなんていないよ という自分もいます。

 

思い切って凡師さんにその時の気持ちを伝えたのが

5月の最終日

奇しくも実母の命日でした。

20年前に亡くなった実母のことは未だに尾を引いています。

実母と次男の想いの違いは無いはずなのに、

なぜこんなにも状態の違いがあるのだろうか。

それも含めて話してみました。

 

話を聴いてくれた凡師さん「実はオレもなんだよね」と。

話を合わせた雰囲気でもなく、

凡師さんも同じようなことを感じて考えていたようです。

 

この時期になると、

訃報を聞いた友人達がお線香を上げに来てくれることが増えました。

遠方に住んでいる友人も何年も会っていなかった友人も。

お手紙をくれたり、供物を送ってくれる友人達もたくさん。

 

皆、とても気遣ってくれていました。

少し時間を置いたほうが良いけれど、空けすぎてもダメだと思ってと。

私たち夫婦の心と体を気遣う温かな言葉をたくさんくれました。

今は休養を一番に考えてねと。

皆さんの目には

【無理に元気にしている夫婦】として映っていたのだと思います。

 

夫婦で話をしてから、

周りが何を思い、何を言ったとしても

オレ達なりの[偲び方][見送り方][生き方][過ごし方]が

あると思っているから、それで良いんじゃないかな。

悲しみに暮れないとダメってことはないんじゃないかな。

と凡師さんが話してくれました。

今後は私たちの体を通して、

色々なことを見聞きし、体験させてあげよう

物理的には離れてしまったけれど、一緒に生きていく

それは変わらないこと

 

今でもそんな風に思い、考えて暮らしています。

 

私たち夫婦がそう思えるようになったのには、

もう一つ理由があります。

それは長男である小凡師くんの言葉です。

 

それについては次回お伝えします。

ずいぶんと長くなってしまったので。

次回は明日なのか、1年後なのか

そのあたりはご容赦ください。

 

 

 

ザワザワする心 無意識に不安定になる心 医ケア児の看護介護

荒馬は医療的ケア児の母です。

次男(小小凡師くん)は出産時のトラブルにより

脳に障害が残り重度心身症児となりました。

嚥下障害のため、気管切開をし、

約2時間おきに痰の吸引が必要です。

同じく嚥下障害のため、口から食べることができません。

ですので、胃瘻ボタンを造設し胃から直接栄養を流しています。

 

先日、医ケア児の保護者が逮捕される事件がありました。

見なきゃ良いのに、SNSなどのコメントを読んでは、

ザワザワザワザワしています。

 

優生思想

医療が発展しすぎて制度などが追いついていない

産まなきゃ良いのに

妊娠した時点で覚悟しろよ

尊厳死の導入を

生きている意味あるの?

勝手に生かされて子どもが可哀想だ

 

当事者としては、ザワザワです。

 

妊娠中、お腹の中では元気に動き回っていた次男

予定日よりも早く陣痛が来て大学病院へ搬送され

感染症のリスクがあるため、すぐに出産へ。

通常の出産を進めていましたが、

急遽、全身麻酔による帝王切開に切り替わりました。

目が覚めて

医師から聞かされたのは

低酸素性虚血性脳症により重症仮死状態で生まれ、

命は繋がったが、重たい障害が残るでしょう とのこと。

 

寝たきりではないし、自発呼吸はできますが、

自力で座ること・立つこと・歩くことはできません。

上記したように、医療的ケアが必要です。

全介助が必要です。

言葉を発することはできませんが、

意思の疎通はできます。こちらの話すことも理解しています。

まばたき・手の指での返事・頷きもできます。

 

現在は14歳

特別支援学校に看護師さんを配置していただき、

学校へ毎日通っています。

 

子育てというより看護介護要素のほうが高いです。

それでも私は彼を手放す選択肢が浮かんだことはありませんでした。

看護介護のために仕事を辞めるという選択肢を選ぶ前、

なんとか教師の仕事を続けることはできないか模索していましたが、

その時、友人から

「働きたいなら、子どもを施設に入れるしかないんじゃない?」と

言われました。

 

少し考えれば思い浮かんだであろう選択肢。

しかし当時の荒馬には、まったくその道が浮かびませんでした。

医療型施設について知ってはいましたが、

友人に言われた後でさえ、「それは嫌だ」「その選択肢はない」

ということだけは決まっていました。

よし、

それならどうしようか。そうか仕事を辞めよう。

 

それから6年間は完全在宅看護介護

当時住んでいた北海道は障害児へのサポートが充実しており、

週に3回は訪問看護が来てくれます。

3回のうち2回は最長2時間、1回は最長4時間

半年に1回は

市の保健師さんが訪問してくれて、話を聞いてくれて、

必要であれば福祉や医療に繋げてくれます。

数ヶ月に1度は、ケース会議(保護者は不在ですが)が開かれ、

息子に関わる皆さん達が、情報共有をしてくれていました。

小児科医・OTPTの先生・保健師・市の福祉課の人などなど、

さらに、

道北圏の重度心身症児に関しては、

旭川市の大学病院・療育センター・医療型入所施設のスタッフの皆さんが、半年に一度、来てくれたり、こちらから行ったりして、装具(車椅子など)の制作などの相談に乗ってくれたり、定期健診をしてくれたり、卒業後の受け入れのために乳幼児のころからの記録を共有してくれていました。

北海道は本当に手厚かったです。

 

秋田県に移り住んでからは、確かに心配しかありません。

しかし、保護者が声をあげ、動きさえすれば、

手を差し伸べてくれて、制度を確認し動いてくれています。

 

今でも、夜はまとめて睡眠は取れませんし、

体のあちこちが常に痛みがあります(抱きかかえたりするので)

それでも、

息子が生きる価値がないとは思わないし、

大切な息子であることは変わりありません。

 

きょうだい児である長男は現在、

他県で一人暮らしをしながら大学生をしています。

ずっと好きだった歴史をさらに学ぶため。

長男も次男が大好きで、次男も長男が大好きです。

 

長男には医療的ケアをさせたことはありません。

ヤングケアラーにはさせないよう、そこだけは気をつけました。

 

働きたくても働けない。

どこかに所属して、フルタイム勤務は無理ですが、

いつか学校へ通うようになった時に、

次男が学校へ行っている時間帯で仕事ができるよう、

カウンセラーや絵本セラピストの資格をとり、

フリーランスの講師として働いてはいます。

年収でいえば、かなり厳しいですが、

お金ではなく、自分の時間を過ごすことを第1にして…。

 

収入を優先するなら、もっとガッツリ働かないといけませんが、

それをやるには、体力的にも環境的にも難しいため、

できる範囲のことをやっています。

 

これまで、

決してラクではないけれど、そこまで辛くないと思っていました。

それは今もそうです。

しかし、

今回のこの事件で、ザワザワするし、

分かっていたいたけれど、目を背けていた

世間の現実を目の当たりにしました。

 

多様性なんて言葉だけですよね。

専業主婦への批判もそうですが、

結局は、生産性のない人・生産性を見込めない人

税金による補助を受けている人は

かなり批判されるのだということ。

 

どうして生かせ続けようとしたの?

なんて言われたこともあるのですが、

次男を見て

この命を終わりにさせるなんて、私にはできません。

 

確かに医ケアがなければ、

SNSでコメントしている人達の言う通り、

簡単に命を落としてしまう存在です。

しかし

無理矢理、生かしているとは思えません。

 

次男がどんな風に考えているかは

全て理解しているわけではありませんが、

少なくても今は

学校へ通うのが何よりも楽しくて、

土日は、平日に学校へ通うための

大切な休養の時間だと思って過ごしています。

 

生きるとは何だろう?

生きているとは何だろう?

そんな

哲学的なことを考えてしまいますが、

SNSのコメント欄にあふれる言葉達に

不安定になっている自分がいるのも事実です。

動揺しているというほうが正しいかもしれません。

 

知ってもらえる機会ではありますが、

理解してもらえることではないようですし、

受け入れてもらえることでもなさそうです。

社会のお荷物としての存在

 

なんとも悲しくなってしまいます。

 

この1週間、モヤモヤザワザワしているので、

吐き出す意味もこめて、こちらに記録

 

受け入れてもらえなくても、

受け止めてもらえるには

親として何ができるだろうか。

ソロツーリングを楽しめるようになったくらいにバイクと仲良くなったのかも

バイクの免許を取得したのは25歳の時

当時は母に大反対されました。

生きていたら、今でもバイクで出かけるたびに

「そろそろ辞めたら?」と言われる気がします。

 

どうも荒馬です

 

Xなどを見ていると、

多様性の世の中と言っても

投稿した内容について、

実に賛否両論(否の割合が高め)が多いことに

「多様性」って何だろう

「もはや色々な「普通」の大渋滞」

と感じています。

 

バイク乗りも同様に

嫌悪派・否定派が多いのだなと…

 

何に時間とお金を使うのか

何に喜びや楽しさを感じるのか

 

人それぞれなんだから良いじゃん

承認欲求かもしれないけど、投稿したって良いじゃん

備忘録程度かもよ

不特定多数が目にするけれど、伝えたい相手がいるのかもよ

そんな風に荒馬は思うのですが、

そうではない人達がいるのは、今も昔も。

今はそれが目立つというか、お互いに気付かれやすくなったのか。

 

おっと

長い前置きはこのあたりで終わり。

 

免許取得は20代でしたが、

頻繁に乗るようになったのは、ここ数年

年々、乗る距離が増えてきています。

とは言え、ガチ勢と比べると、それバイクの良さを活かしてない

なんて声も聞こえてきそうですが…

中古でかったバイク

買った当時の値段と比べると、今はもっと高値になっていて、

絶妙なタイミングで購入できてラッキーでした。

しかも

今は新規製造していないバイクになってしまったため、

より高値になっているのかもしれません。

 

バイクが身体に馴染むまで、割と時間がかかりました。

そもそもバイクの運転スキルが低い荒馬

バイク側としても「えー、こいつ下手じゃん」と

さぞ落胆したことでしょう。

それでも、

バイク側が折れてくれたというか、寄り添ってくれたというか、

荒馬に寄せてくれた感が否めません。

 

今年になってからは、さらに乗る機会が増えたのですが、

昨年までは凡師さんと2人でツーリングが多かったのと比べ、

今年は1人で乗ることが増えました。

正確に言うと、2人で一緒に乗りに行けない事情に変わりました。

交代制です。

年に数回だけ、2人で行ける日が生み出せますが、

天候が悪ければダメとなります。

 

それでも、昨年までの積み重ねのおかげで、

1人で乗っても不安がなくなりました。

バイクが根気強く寄り添ってくれたお陰です。

 

今は快適で、楽しくて、「サイコー」と叫びながら乗るくらい。

荒馬の住んでいる地域は本当に田舎

都会暮らしの人が想像する田舎よりも、もっと田舎。

ザ・田舎の原風景

トトロの世界みたい

と言われることが多い地域です。

 

それゆえ、バイクで走るのが快適なのです。

信号がほとんどない

車の数も多くない

ほどよいスピード感とカーブを楽しめる

高齢者が多いので、飛ばし屋が少ない

軽トラックの数が多い

 

バイクにも乗る と言うと

「飛ばすのが好きなんだね」

と言われることが多いのですが、

荒馬は逆

のんびり走るのが好きです。

 

ですから、集団で走るよりも

ソロツーリングが向いています。

自分のペースで好きなように走ることができるので。

 

荒馬はバイクに乗っている時、

ずっと独り言を発しています。

見えるもの・聞こえるもの・香ってくるもの

五感すべてで感じている状況をとにかく言葉にして発しています。

たぶん、いや、絶対に怪しい奴です。

 

なんなら歌いながら走っています。

 

車の運転の時には必ず音楽をかけているのですが、

バイクの時には耳からの情報も大事なので、

音楽は聞きません。

そもそもヘルメットの形にもよりますが、

風切り音がするので、くぐもった音になるので…。

 

独り言ですが、誰かと会話しているような語り口です

楽しくて、テンションが上がってくるんですよね。

暖かい陽射しが差す日などは、

バイクに乗っているのに眠くなったりするので、

声を発し続けると、眠気防止にもなります。

 

ちょっとした段差や石・砂・葉っぱを踏むだけで、

スリップして転倒になりかねないので、

道路状況には車よりも全神経を研ぎ澄ませていますが…

 

前はソロは嫌でしたが、

今のバイクが良い相棒になってくれたお陰で、

堪らなく良い時間を過ごすことができています。

次の休み、晴れていたら、どこに行こうかな

そんなことを考える平日さえも楽しくてしかたありません。

 

あー、「ボールは友達」と言っていた翼くんの気持ち、

当時は理解できずに、ドン引きして「なんかコワい」と思っていたのですが、

今ならボールではないけど、分かる気がします。あの頃よりは…。

サッカーをやっていた兄に

「お前と観ているとイラつくから、部屋に戻れ」と

よく怒られていましたが、今なら怒られないかも。

(そもそも今は一緒にマンガを観ることじたい、不可能だった)

 

物を擬人化って、笑われそうですが、

昔々は全て物に神が宿ったとか、大事にされた物は意思を持つとか

そういう文化もあったということで、

大事な物ですので、ドン引きせずにお付き合いください。

 

飽きっぽい荒馬が何年も続いているというのも

俯瞰して見て考えると、感慨深いです。

 

さて来週はどこに行こうか、相棒

君はどんな景色を見たい?

 

鳥たちの会話

小小凡師くんは医療的ケア児です。

食事を口から摂ることができないため、

胃瘻ボタンという器具を胃に付けています。

そこへ直接、流し込むという食事方法です。

様々な食事方法はあるのですが、

小小凡師くんは

医師から処方という形で経管栄養剤を出してもらっています。

液体の栄養剤を決められた量・決められた時間に摂取しています。

 

夜の時間帯は22:00からスタートしています。

1時間半~2時間かけて点滴のように落としているのですが、

この時間帯は

この14年間、荒馬の「ひとり時間」となります。

 

講演や講座のための準備をしたり、読書したり、

ドラマを観たり、ゲームをしたり、

ここ数年は、

翌日以降の体力維持のために仮眠タイムにすることもあります。

歳には勝てません

 

起きている時には、定期的に立ち上がり、家の中を歩いたり、外へ出て軽いストレッチをしています。(居眠り防止のため)田舎なので、外に出ても車が通るのはほんの数台。多くの自然の音や鳥たちの声・虫の声が聞こえてきます。

 

先日、

0時を過ぎた頃に外に出ると、

カラスが鳴いています。カラスって夜も活発なのですね。

そのカラスが鳴いた後に、別の鳥が、まるで応えるように鳴き始めました。

声だけでどの種類か分からないのですが、

明らかにカラスとは別の鳥です。

カラスが2度「カーカー」というと、別の鳥が「キューキュー」と2度

カラスが3度「カーカーカー」というと、別の鳥が「キューキューキュー」

 

これって、会話ですよね。

種類の違う鳥でも、共通言語なのでしょうか?

鳥に詳しい人に聞いてみたいと思いつつ、

周りに詳しい人がいないので、いつも「何を話しているのかなー」と

思っています。

 

昼間はその声が聞こえません。

その代わり、隣の空き家に住んでいるスズメの家族の声が聞こえます。

そこに住むようになって、4年くらい経つでしょうか。

毎年、繁殖を繰り返しているようで、

親スズメ・子スズメの声が響いています。

そして、

家の近くには川が流れており、

その周りには、ちょっとした林があります。

(手が入っていないので、割と荒れていますが…)

そこからは「カッコー」という鳴き声も聞こえてきます。

 

北海道にいた頃は、

こんなに、のどかな声が聞こえてくることがなかったので、

それすらも新鮮で、心地よいです。

 

止むこと無く鳴き続けている鳥たちは、

一体、何を伝えているのでしょう?

時期によって、種類があるのでしょうね。

 

昼間と夜に響く鳥たちの止まない世間話

そんなのんびりしたものではないかもしれませんが、

田舎で聞くからでしょうか、

つい「のんびり」と思ってしまいます。

 

今度、鳥の生態や鳴き声について調べてみようと思います。

物の扱いや所作が丁寧って案外大切だと思うのです

人は見た目が9割』という書籍が発売されたのが約20年前

それ以来、そのタイトルというか言葉が一人歩きした感もあります。

私も当時、読んだ記憶が…(本棚を探せば出てくるかも…)

メラビアンの法則を基に書かれていた気がしますが、

本を読んだ人・読まなかった人問わず、

会話の中によく出てくる言葉になった気がします。

 

「確かに一理言えてるな」と当時の私も思っていましたし、

今はその頃より「それが全てではないけど、大事なポイントかも」と思います。

教師をしていた頃も、絵本セラピストとしての今も

[初めまして]の場面では特に大事になります。

 

「この人は大丈夫か?」をなるべく早い段階で払拭することで、スムーズにいくことが多々あるからです。表情・服装・ヘアスタイル・持ち物などなど。

北海道から秋田県に引っ越してきた時も

ご近所やよく行くスーパーで見かける人達の[見た目]から多くの情報を得ることができたのも事実です。

 

最近は、そこにもう一つ、これも大事かもと思うことが…

タイトルにもあるように

[物をどのように扱っているか][所作はどうか]

私自身が母から教えられ、育てられてきたということもあり、他の人のそれらも目に入ってしまうのかもしれません。ですので、そこだけで判断しないように気をつけてはいるのですが、やはり気になるものです。

 

気になり始めるとモヤモヤしたり、時にはイラッとすることもあって、

気にしすぎではないか?と自分にツッコミを入れるほどです。

まず、

物を置く・渡す時に投げるようにする人が気になってしまいます。

自分のものを自分でどんな風に扱うかは、その人それぞれだとは思うのですが、他者に向けた行動の場合は、見ていて不快になる場合もありますし、自分もそうならないようにと思っています。

割と身近な人が、

そんな態度を取るので、毎日毎日、モヤモヤが募り、今ではイライラに変わりつつあります。家族なら「おいおい」と言えるのですが、おそらく本人に悪気はなく、むしろ無意識にやっているのだと思います。無意識の言動って実は一番コワいですけど…

 

ドアの開け閉め・歩くときの足音など、挙げればキリがないのですが…

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の無限ループにならないようにするため、

モヤモヤしていることを、ここに書くことにしたくらいです。

 

凡師さんともつい最近話したのが、2つ目。年齢を重ねた時の言動について

ただ年齢を重ねたから偉いというわけではないし、お客さんだから偉いわけでもありません。周りから慕われたり、尊敬される人には一様に[品がある]と感じます。

それは見た目もそうですし、使う言葉も、所作も。

我々もそうなりたいねと話していたのですが、荒馬や凡師さんの周りにはあまりにも[品の無い]人達が多すぎて…

 

相手に指摘したり、周りに愚痴を言ってはいません。

凡師さんとのみ、「ここだけの話」として話題にしているのみ。

家の外で、そのことに一度でも触れてしまうと、もう止めどなくなりそうで、しかも荒馬の性格上、攻撃的になりそうで… ですからこれも、ここに書くことに…

 

私の母に話すと「分かる!」「私が伝えたかったのはそういうこと」と分かってくれる気がして、彼女と会話できないのが残念でなりません。

 

これらの言動を[八方美人]とか[ごますり]とか[取り入るのがうまい]などと悪く言う人はいるもので、荒馬も学生時代にはそれで苦労した経験があります。でも、結果的にそうなったり、そう見えてしまっていたかもしれませんが、場に応じた対応をしたにすぎないのです。

 

ここに書いても、捉え方は様々でしょうね。

SNSで投稿しようものなら、アンチコメントが溢れる類いの話題かもしれません。

マーケティング要素として、やってみるのも面白いかもしれませんね。

多くの年代の人達のそういった価値観に触れる機会が少ないので、是非、広く聞いてみたい話題でもあります。

 

マナー講座なんかでも出てきそうですよね。

自分がどうしたか、よりも、相手がどう受け取ったのか

 

荒馬は国語教師でしたので、

[書く]授業の時には、「自分がどう書いたかではなく、相手が読める字を書くことが大切だと思う」と話しました。文字や言葉にする時点で、対象は自分以外の人も含まれてきますし、聞いてもらう・読んでもらう前提になります。アウトプット術でもあると思うのです。まずは読んでもらう・聞いてもらうために[できること]の準備の1つだと。そして、相手がそう感じるかは別として[優しさ]の1つなのだと。

中学生にどれだけ伝わり、残ったのかは分かりませんが、これは今も変わらず思っていることです。

 

荒馬は今、絵本セラピストとして活動しています。

リピートのご依頼をいただいても、参加なさる皆さんとは毎回[初対面]

話す内容を聞いてもらうためには、パッと見た瞬間に目と耳に入る情報がその後の講演や講座を左右すると思っています。

特に

大人の皆さんに[絵本の読み聞かせ]をするので、それだけで持たれる印象はある程度作られてしまいます。

 

ギャップを感じて欲しい・新しい世界を発見してほしい・固定概念を壊して欲しい

そんな思いで前に立っていますが、話を聴いてもらわなければ始まりません。

そして、

「これで終わります」と皆さんが会場から帰路につくまで、保ち続けなければならないとも思っています。[終わりで全て台無し]になる可能性もあるからです。

最初の「つかみ」も気を遣いますが、「オチ・締め」も大切です。

 

それもこれも

まずは[見た目][目から入る情報]による、判断が重要です。

自分が普段、気をつけているから余計に、

そうではない人達が気になってしかたありません。

 

何も感じないのだろうか?

どうして、どんな風にするのだろう?

単純な疑問として浮かぶことがあります。

 

今日ここに書いたことで、少し気持ちの整理もできたので、

心の奥の[どす黒い感情]も薄まった気がします。

 

みなさんは、どう思いますか?