荒馬のつれづれ日記

好きなことを、好きな時に徒然と綴る日記です。

その【怒る】のベクトルはどこを向いているの?

こんばんは。

怒る・叱ることについて、

考えてみて、話してみた荒馬です。

 

休日に出かけると、

様々な場所で、

小さな子を連れた家族を多く目にします。

平日なら病院でしょうか。

 

荒馬も母親。

今は2人の息子も小学生。

未就学児の頃とは、

怒り方・叱り方も変化していきます。

もちろん関わり方も。

 

小さな子は騒いでしまうもの。

すぐ泣くし、すぐグズる。

はぁーと溜息をつく親心も分かります。

荒馬が見かけた光景は、

ほんの一瞬だけを切り取っているだけで、

そこには家にいる時からの繋がりや

そこに至るまでの格闘・奮闘があるのも

分かっているつもりです。

 

それでも、

外出先で見かける【怒る叱る】光景は、

当事者ではないのに、

なんだか切なくなってしまいます。

 

特に、

【それって、大人の都合や感情で

    怒ったり叱ったりしていないかなぁ】

という場面を見た時。

 

それは理不尽だよぉー。

それって、子どもが怒られることじゃなくない?

いやいや、そこは大人が何とかしてあげようよ。

その理屈、子どもは分からないんじゃ?

 

なんて思ってしまいます。

先ほども書いたように、

その光景に至るまでの過程で、

何があったかは分からないので、

一方的に批判するつもりはないのですが、

言い方・態度を見ていると、

ついつい…。

 

子育てに関わらず、

怒る時・叱る時、苦言を呈する時、

その理由やその先に求めているものを

明確にしてあげつつ、

使う言葉や接する態度に配慮が

必要だと、荒馬は思っています。

さらに、

タイミングと場所にも
配慮が必要ではないかとも思います。

 

「いや、マジでお前、黙れや」

「うるせーって言ってんの分かんねーの」

 

大人が子どもに向けて、

さすがに、その言葉は無いんじゃないか。

しかも、たくさんの人達が往来する場所で!

 

子どもは、

時間を置くより、

その時に言うのが良い

とは、よく聞きますが、

それなら、

相応の言葉と態度が必要なはずです。

 

子育てだけに限ったことではありません。

若者だろうが、

高齢の方だろうが、

それは、自分中心のベクトルでは?

と感じることも…。

 

そんな風に外に出て見聞しながら、

荒馬自身も

態度や言葉遣いを改める日々です。

 

秋田県に来てから、

方言やイントネーションの違いから、

周りの人達が、みんな怒っているように

感じてしまいます。

みんな笑顔なんですけどね。

 

過敏になって険しい表情を

しているのは荒馬かもしれません。

そして、

微妙な言い回しで、

誤解したり、されたりということが

起きている気がします。

 

同じ日本でも難しいですね。