荒馬のつれづれ日記

好きなことを、好きな時に徒然と綴る日記です。

本当に病んでいるのは誰なのか

荒馬です。

先日とても悲しいことがありました。

怒りよりも悲しみや悔しさの方が大きい出来事です。

 

小小凡師くんの定期受診のため、

住んでいる地域の総合病院小児科へ行きました。

診察は医師や看護師さんと和気藹々の雰囲気で終え、

とても上機嫌の小小凡師くん

会計ゾーンに移動し、名前を呼ばれるのを待っている時です。

1組の親子が会計ゾーンへ歩いてきました。

お子さんは大泣きというか大暴れ

お母さんへ暴言を吐き(本当に驚くくらいの暴言)

ずっとお母さんにパンチしたり、噛んだり…

あまりの暴れように医師や看護師さんが出てくるほど。

 

と言っても

すでにスイッチが入っている子には逆効果

その後も暴言・暴力が続きます。

何があったのかな?

痛かったのかな?

4、5歳くらいかな?

なんて思いつつも離れた場所だったので、

ジロジロ見ることもせず、声をかけることもしませんでした。

小小凡師くんはチラチラと見ながら心配そうな表情。

 

お母さんも嫌気がさしたのか、

「恥ずかしいからやめて」「もういい加減にして」と言いつつ、

お子さんと距離をとって座り、その後はお子さんを無視。

お子さんの方はと言うと、

相変わらずお母さんに対して暴言を吐き続けます。

距離が離れているので、声をだんだん大きくなります。

それでも構ってもらえないからなのか、

じわじわとお母さんに近づくお子さん。

 

荒馬もずっと見ていたわけではありませんが、

声が大きいので、その声の場所から推察。

 

小さな子って、

急に怒りスイッチが入ったり、急にご機嫌スイッチが入りがち。

その上、不機嫌だからこそ

話す言葉が支離滅裂になり、ついついプッと吹き出すような発言も。

 

案の定、

何を言ったのかは聞こえませんでしたが、

お母さんが笑い出していました。

たぶん、

それが嬉しかったんでしょうね。

調子に乗ったお子さんが今度は、

周りに目を向け始め、

目に見える光景を語り始めました。

 

その発言が実に不快

人でも物でも悪意のある表現をしていたんです。

(早く名前呼ばれないかな。嫌な予感がするな)

そう思った矢先です。

やはり、息子が巻き込まれました。

 

「ママー見て見て、あそこに変な顔いるよ」

「黄色い乗り物に乗っている、あれあれ、変な顔」

「ねえ、変な顔でしょ。見てってば」

「わー変な顔ーー」

そして、お母さんが一言「そうだね」

 

その後、何度も「変な顔」が続きます。

 

ほどなくして名前が呼ばれ、いそいそとその場から離れました。

帰り際も

「あっ、ママ、変な顔 帰っちゃうよ」

 

 

その親子の姿が見えなくなってから、

立ち止まり小小凡師くんの顔を覗き込みました。

悲しそうな表情です。

 

全部 聞こえているんだよ

言っている意味だって分かるんだよ

悲しくなるし、腹も立つんだよ

 

幼児だろうが、不機嫌だろうが、

あまりに酷くはないか?

 

その親子に何も言えませんでした。

とにかく怒りを通り越して、悲しくなりました。

そして、

あの親子は病んでると思ってしまいました。

親子だけでやってくれれば良いのに、

なぜ、無関係の周りを巻き込むのだろうか。

なぜ注意をしないのだろうか

なぜ、あの子はあんなにも酷いことをサラッと言えるのだろうか

 

どうして、私たち親子が逃げるように去らなければいけないのだろうか。

 

小小凡師くんとの生活を送って11年

こういう扱いや言動は割と多くあって、慣れていたつもりでした。

聞こえてないフリ

見ていないフリをしながら、やり過ごすようにしていました。

 

別に優しく親しげに話しかけて欲しいなんて思っていない。

なにが共生社会だ。

この世は差別で溢れている

荒馬の正直な気持ちです。

嬉しい出来事もありましたが、圧倒的に不快な出来事のほうが多いです。

 

小小凡師くんが生まれるまで、知らなかった世界です

障害を持った人は確かに周りにいました。

しかし、そこまで深く関わったことはありませんでした。

特別支援学級の担任をしている時でさえ、

気付くことができなかった出来事です。

 

障害を持つ子・その保護者にとって、

学校以外の生活の場が、こんなにも肩身が狭いとは。

 

現在放送されている『ミステリと言う勿れ』というドラマ

コミックがすでに10巻まで発売されており、現在も連載中

その中で、虐めに関するやり取りがあります。

ドラマでもその部分は放送されたので、

翌日のTwitterでは話題になっていました。

 

主人公が語る内容は以下の通りです。

どうして いじめられている方が 逃げなきゃならないんでしょう

欧米の一部では いじめている方を 病んでると判断するそうです

いじめなきゃいられないほど病んでる だから隔離して

カウンセリングを受けさせて 癒やすべきと考える

(中略)

どうして被害者側に逃げさせるんだろう

病んでたり迷惑だったり 恥ずかしくて問題があるのは

いじめてる方なのに

本当は、ここのやり取りは全て載せたいところです。

機会があれば是非読んでみて下さい。第2巻に載っています。

 

確かに日本では

イジメやDVなど、被害者が逃げることが前提です。

加害者側は変わらない日々を過ごすことが多いものです。

事が大きくなると、

転校したり・名字を変えたりというのはありますが…

 

コミックを読んだり、ドラマを観た後の経験ということもあり、

心の中で「この親子、病んでる」と思ってしまいました。

たぶん、

あの親子も特に母親は日常の中では、苦しい思いを持っていると予想できます。

だからと言って、許そうとは思えませんが…

 

同時に思ったのは、

自分も知らず知らずに誰かを苦しくさせているのでは?ということ。

親切や配慮も タイミングや状況によっては、大きな打撃になります。

無関心なのも良くないかもしれないし、

手を出しすぎると倍以上のお返しがあったりします。

つい先日、

電車内で喫煙していた人を注意した高校生が

暴行を受ける事件がありました。

 

10人いたら10通りの正義があって、

その正義という名の攻撃もあります。

私も間違った正義を訴えていることが

あるのかもしれないと感じました。

 

それでもやはり

悲しくなって、憤ることが起きて

許せなくて、モヤモヤする。

人それぞれの当たり前が違うことは

百も承知だけど…

 

本屋大賞ノミネート作品を8冊まで読了して、

今回は似たようなテーマが多く、

様々なことを考えさせられています。

障害だけでなく、性差、環境、貧困などなど。

私はまだまだ知らないことがたくさんあって、

余裕のある暮らしができているのかも。

そんな事も思ったりしています。

 

時間が経ったことで、

感情の偏りに気づき、

冷静になったのだと思う反面、

思考の迷路に迷い込むことになったな

と、そして、思考が面倒になってくる。

 

ただ、

以前より少しだけ小小凡師くんと一緒に

病院へ行くのが怖くなっています。

たぶん、小小凡師くんも。