荒馬のつれづれ日記

好きなことを、好きな時に徒然と綴る日記です。

希死念慮って言うらしい

これまで漠然と「死にたい」と感じたことは

一度もありませんでした。

そもそも、自分であれ他者であれ、

誰かを死に至らしめる行為自体が怖いと感じています。

しかし、病気や事故などの不慮の死以外でも

ほぼ毎日のように耳にするのは「死」

 

荒馬が住んでいる秋田県は自殺率がトップらしい。

身近な周りで頻繁に聞くことはありませんが、

それでも確かにこちらに移り住んでからは、

耳にする機会は増えたような気がします。

友人の友人とか、ご近所の近しい人とか…

そこには、

本当にのっぴきならない理由が存在するのだと思います。

 

ただ、のっぴきならない理由がなくても「死にたくなる」ということも

あるのだと、最近知りました。

希死念慮という言葉もその時に知りました。

具体的な理由はないが漠然と死を願う状態を指す言葉です。

 

どうして、荒馬がこの言葉を知ったのかというと

それに襲われたから。

具体的な理由はないのに、ふと「あー死にたい」「消えたい」と感じました。

そんな感情に襲われたことに、まず驚きました。

「えっ!? 今、私、死にたいと思った?」

「どうして、こんな事がよぎったのだろう」

ふと我に返るという状況でした。

 

荒馬にだって

悩みもあるし、ストレスもあるし、イライラすることもあります。

努力とか気持ち1つでなんとかできる状況ではない出来事も起こります。

ただ、

それで「死」を考えたことはありませんでした。

〇〇過ぎないようにしてきたつもりでいます。

悩みすぎない・ストレスためすぎない・イライラいしすぎない などなど

 

問題から目を背けていると言われれば確かにそうですが、

今考えても解決できそうにない時は、いったん忘れて

食べて・寝てをすると、とりあえず感情面は落ち着きます。

その後、

再度、考えて解決もしくは今の妥協点を見いだしていました。

あくまで、自分にとってですが…

 

しかし、悩みとかストレスとかとは無縁のところで、

希死念慮って起こるのですね。

その時に少しでも我に返る(便宜上この言葉を使用します)のが遅くなると、

「死」を選択するのかもしれないと感じました。

 

どうして希死念慮を抱いたのか、不思議で堪らなくて

少しだけ調べてみました。

荒馬は40代中盤

更年期障害の1つにもあるようです。(更年期鬱からくるようです)

すでに認識すらしていない、慢性的なストレスや悩み

あー荒馬にも無いわけではなかったなー

放っておいて向き合わなかった問題

ただ、向き合ったところで好転することでもないので、

現状を受け入れて上手くやっていたつもりでした。

 

ストレスや悩みなどという認識はとうに薄れていたことでもあります。

突然ヒョコッと顔を出す そんな時は要注意ですね。

 

これは正しいのかどうか分かりませんし、

不快に感じる人もいるかもしれません。

それを承知の上で書くのですが、

人は時間に余裕が生まれると(暇ができると)

余計な事を考えてしまうものなのではないかと思うのです。

特に負の感情を。

それが自分に向くのか、他者に向くのかは分かれるところだと思いますが、

荒馬が「暇なんだね」「そんな時間があるんだね」と

少し羨ましくもある感情になるのは、

誰かの悪口を聞いたり、見たりした時。

あおり運転や暴言を吐くなどの行為を目にした時。

 

荒馬の場合、

基本的に小小凡師くんの看護介護をしているので、

暇な時間がありません。

小小凡師くんが学校へ行っている時間帯は「自分時間」

その時も文字通り自分の時間を過ごしています。

それも1日の中で4時間程度

仕事をしたり、こうしてブログを書いたり…

家事に使うこともあれば、読書や映画ドラマなどの視聴にあてることも…

 

ただ、コロナ禍で仕事の依頼が続々と中止となり、

時間に余裕が生まれたのは事実

金銭的な不安が生まれたのも事実

 

仕事面については、

どこかで現状を受け入れていたつもりでした。

オンライン講座なども考えていましたが、

何となく対面にこだわっている自分もいます。

金銭面については、今すぐどうというわけではないので深刻でありませんが、

思考の片隅に常にあります。

重ねて

長期休業中だったので、常に小小凡師くんと一緒で

自分時間が生み出せなかったこともあります。

 

身体は暇ではないけれど、思考は暇という状態

そんな時に襲われた希死念慮でした。

 

体調も考えてみると、不調の日が多く、

1ヶ月の中で調子が良いと感じる日は数日のみ

それとも上手く付き合っていくのが、歳を重ねるということなのだと

どこか諦めというか、納得していた気がします。

 

小小凡師くんが生まれてから12年

諦めることがたくさんあって、諦め上手になったつもりでした。

これを諦めた分、それならこれはできるかな?

そうして折り合いをつけながら、暮らしていると思っていました。

 

希死念慮に襲われるまでは…

今は、無理矢理に蓋をした感情や出来事に

ほんの少しずつ向き合うようにしています。

もちろん、

さっきから書いているように、根本的な解決ができないこともあります。

努力とか強い気持ちなんていうものがアテにならないことも。

それでも、

この希死念慮がそこで踏みとどまらずに

実行に移してしまう日が来るような気がして、

自分が制御不能になるのが怖くなりました。

 

まだ大丈夫

今は大丈夫

 

だから、希死念慮に襲われた日はノートにそのことを書き留めることにしました。

そして、きちんと考えることにしました。

これに関しては、自分がストッパーになるしかありません。

沸き起こるのも自分

それを止めるのも自分

誰かに頼るよりも、まずは自分を頼ってみようと思っています。