みなさん、こんばんは。
久々に手に取った絵本を見て、昔を懐かしんだ荒馬です。
以前も書きましたが、幼い頃から本が身近にあり、
よく本を読んでいました。
もちろん、その100倍、外で遊び回っていたのですが…。
帰宅して、寝る前には必ず本を読んでいました。
少しでも時間ができると、本を読んでいました。
友達との遊びの予定がない時には、
図書館や児童館へ行って、本を読んでいました。
そのうち、エレクトーンを弾いている時間が長くなったり、
勉強をする時間が長くなったり、
年齢を重ねるにつれて、時間の使い方は変化しても、
本を読む時間は変わらずに存在しました。
荒馬は、幼少期、あまり絵本を読んでいません。
読み聞かせしてもらったのは、図鑑が多かった記憶があります。
次に、児童書。「続きは明日ね」が定番。
もう、早く明日になって欲しくてという幼少期。
そのうち、続きを待つのが嫌になったらしく(母親談)
自分で読むようになったのだとか…
2番目の子、特に女の子は、読み書きが早くなると言いますが、
その典型だったのかもしれません。
そんな中、荒馬の思い出の絵本は2冊あります。
今日はそのうちの一冊を。
『しあわせなおうじ』は、一冊の絵本ではなく、
おそらく、童話集で読んだのだと思います。
自分が読んだ本の挿絵が思い出せず、この絵本を借りてきました。
このお話は、知っている人が多いと思います。
とても切ないお話なのに、心が温かくなるお話です。
身を挺して町の人のために尽くす王子と、王子のために尽くすツバメ。
ルビーもサファイアも金箔もなくなった王子を見た町の人達の行動が、
とても非情に思ったのですが、
事情を知るはずもない町の人達の視点になると、
納得できてしまうのも事実です。
目に見えるもの・目に見えないもの。
何を信じるのか、何を疑うのか、
どこで判断するのか、
今日の荒馬は、そんな哲学的とも言えることを考えました。
幼少期の荒馬は、なぜ、このお話が、心に残るお話になったのかは、
全く思い出せないのですが、当然、今日の荒馬のように小難しいことは
考えていなかったと思います。
そして、改めて読んでみると、
オスカー・ワイルドのお話は、似たようなエッセンスのお話が多いなぁと
感じました。
しっかりと読んでみたくなりました。