荒馬のつれづれ日記

好きなことを、好きな時に徒然と綴る日記です。

「変わってるね」を褒め言葉として受け取ろう

気付いたら雪が舞う、冬の季節になりました。

最近は特に、時間が過ぎる早さを実感しています。

数年前は、ブログを書く時間をルーティン化できていたのに、

秋田県に引っ越してからは、

すっかり他のことをする時間になってしまっています。

たまに

思い出したようにブログを書く…というルーティンです。

 

さて、表題にあるのは、

荒馬が小凡師くんに伝えた言葉です。

秋田県に来てから、

小凡師くんが周りの人達から、

「変わってるね」とよく言われるようになったそうです。

もう4年半も経つので、

「すっかり慣れちゃって、またかって感じなんだけどね」と

淡々と語る小凡師くん。

高校生になったというのもあるのかもしれませんが、

先日、

この「変わってるね」案件について、

小凡師くんと語り合うことがあったので、備忘録も兼ねて…

 

 

北海道にいる時には、あまり言われなかったのに、

秋田に来てから頻繁に言われるようになった。

ここにも県民性のようなものが潜んでいる気もするのですが…

特に現在住んでいるのは、とても田舎で小さな地域なので。

そのことについても、

多少、小凡師くんと話をしたのですが、

結論から言うと、

地域的に画一性が無意識に重んじられているのかもね。ということ。

目立つのは良くない。

人と同じで居る方が安心。

子どもから大人まで、そういう風潮なのかもしれません。

(あくまで「かもしれない」ですが)

そして、

学校教育による差について。

小凡師くんによると、「普通は〇〇」「みんなは〇〇」という言葉を

やたらと聞くようになったとのこと。

「時代に逆行して多様性を受け入れない気がするよ。

 ちょっと違えば、その人達なりの正義で責められているきがする」

 

実は荒馬も似たようなことを感じていました。

最初こそ、自分って変なのかなと落ち込んだこともあるようですし、

周りの人の言動にトゲを感じていたようです。

最近は、慣れてきたのと、「いいや、自分は自分だし」と思えるように

なってきたようです。

とは言え、

今でも言われると、チクチクと小さく刺される感覚は残っているとのこと。

 

そういえば、荒馬も学生時代は「変わり者」と言われることが多かったな。

ものすごく気にしている わけではないけれど、

小さくチクチクと刺される感覚はよく分かります。

そんな話をしつつ、

「だけどさ、変わり者ってみんなと同じじゃないってことだから、

 唯一無二みたいな感じじゃん。ってことは、褒め言葉なんじゃない?」

と言ってみました。

 

人はそれぞれの正義をぶつけてきます。

しかし、それが正義だと判断する過程では、

人それぞれの価値観や考え方でもって形作られていくもの。

時に、悪口や愚痴に形を変えてしまう可能性があるもの。

特に、

誰かの人となりや考え方などについて「変わってるね」という時には、

まず最初に、その人を否定してしまっています。

そこには、単に正義をぶつけているだけではなく、

嫉妬や羨望もあるんじゃないかと荒馬は思っています。

そのことも小凡師くんに伝えました。

 

案外、「確かに、そうかもね」とあっさりと理解。

加えて、

「それに「変わってるね」って言った時点で終わっちゃうよね。

 相手への理解がさ。あーこの人はこんな事を考えるんだーとか、

 こういう人なんだーっていうのが無くて、

 新しい考え方に出会ったのに、それを流しちゃって…。

 それは、もったいない」

と言っていました。

 

いやー、この成長っぷり、親としてビックリですよ。

この後は、小凡師くんが好きな歴史話を織り交ぜながら、

やれ、

〇〇は△△だったから、□□を成し遂げたんだ

△△は周りから◇◇と言われたけど、〇○を考えたんだ

と、具体例を出しながら、色々と話をしていました。

 

いつのまにか、

誰かに説明するスキルが上がっていて、

ただただ感心するばかりでした。

自分の好きな分野と結びつけて、深く考え、言葉にできる

小凡師くんの強みですね。

どおりで、周りからの言葉に揺れ動かなくなったわけだ。

 

好きを追い続けることで、自分の強みができて、

自信を持つことに繋がるのですね。

 

落ち込んでいると思って、話し始めたことでしたが、

逆に、深い話を息子とできました。

 

「変わってるね」を褒め言葉と受け取る