荒馬のつれづれ日記

好きなことを、好きな時に徒然と綴る日記です。

頭では分かっているのに、うっかり忘れてしまうこと

みなさん、こんばんは。

1人で考え込んだり、悩んでいるよりも、

誰かと話したり、本を読んだりすることで、

「!!!!!」が浮かぶなぁと思った荒馬です。

 

勉強中・食事の支度中・運転中、荒馬はBGMを流します。

ラジオを聴くときもありますが、

曲を聴くときは、割と幅広いジャンルを聴いています。

今日の家事のお供は、

ジャンルで言うと【語り】

CDになっているのですが、歌が入っているわけではなく、

かと言って、講演会などの音声興しをしたものではないのです。

あるテーマについて、語ってくれているCD

こういうのジャンルで分けると何になるのでしょう????

 

塾講師でもあり作家でもある喜多川泰さんの語りCDです。

語りというのも少し違うのですが、

教育について、教師向けに話をして下さっているCDです。

本当に自分にだけ語りかけてくれているようで、

また、喜多川泰さんの声も良くて、

ご飯作りの手が時折、止まってしまうくらいでした。

 

そのCDの中で、

 多面性(色々な顔)についての話がありました。

 

子どもも大人も、色々な顔を使い分けて生活していますよね。

当たり前です。無意識だったり、意識的だったりも様々。

荒馬にも、教師の顔・友達の前での顔・娘の顔・妹の顔・

母の顔・妻の顔など色々あります。

 

それは当たり前と分かっているのに、

相手と接する時に、それをついつい忘れてしまっているんですよね。

相手だけを、自分仕様の顔に変えようとしてしまう。

双方が、互いと接するときの顔を作り出さないといけないのに、

どうも、相手にばかり求めていたような気がしました。

だから、

相手の反応や態度に、一喜一憂したり、イライラしたり。

 

教師時代、保護者の方々に、子どもだって、 

年齢を重ねるほど、顔が増えていきます。それは当たり前のことなのです。

そこにイライラしたり、寂しい思いをせず、一緒に応援しましょう。

なんて偉そうに言っていましたが、

今日、改めてCDを聴いて、

自分自身のことになると、すっかり抜けてしまっている

と気付かされました。

 

今は教師というより、母親として。

小凡師くんにも、色々な顔があります。

分かっているのに、

ついつい、全てを把握しようとしていたのかもしれません。

学校での様子が分からないから、心配という名目で、

何でもかんでも、根掘り葉掘り質問してみたり、

もっと、話を聞かせてよーーーーとせがんでみたり。

これは、小凡師くんだけに限らず、

凡師さんへも同じかもしれません。

 

これは、

仕事を辞めて、家に居るようになってからかもしれません。

外の世界が本当に遠く離れたものになった気がして、

子どもや夫のコトを把握したい

というより、

外との繋がりを失わないために

という気持ちの方が大きい気がします。

 

外へのアンテナや多面的な思考など、

自発的に求めていかなければ、

感度が鈍り、視野も狭まってしまいます。

だから、世間話でもいい、

誰かと話したり、誰かの考え方に触れることって大切ですよね。

世間とズレた思考になってからでは、

自分だけが取り残されたり、全てを他人の責任にしてしまいます。

 

そんなことを、CDを通して感じました。

そして、気付きました。

以前も書きましたが、

ずっと家にいることのほうが、はるかに難しいです。何かの修行みたいです。

たまに、こんな風にリセットする機会を作らないといけませんね。

 

ちょうど、今週末、

1人で勉強の旅に行きます。車で5時間走ります。

凡師家の男衆と離れ、2泊3日。

今の荒馬にとっては、1年の中で数回あるかないかの

1人で外に出る機会です。

たくさんの方から刺激をもらって、新しい縁を見逃さず、

思考が籠もらないための、たくさんのことを学ぼうと思っています。

 

記憶力が良くないので、

また

うっかり忘れそうですが……

こんな時は、

得意のメモ!!メモ!!