みなさん、こんばんは。
年を重ねると、【お別れ】が、より寂しくなる荒馬です。
別れにも色々あります。
もう一生会えなくなる別れ。
一時的な別れ。
再会が約束された別れ。
決意の別れ。
再会を夢見る別れ。
仲違いの別れ。
未来のための別れ。
幸せのための別れ。
どの【別れ】も年を重ねるとダメージが大きくなる。
と感じた荒馬でした。
昔と違って、連絡を取るツールはたくさんあります。
それでも、顔を合わせて、時間を忘れて、
楽しい時間を過ごすことには、やはり敵うモノはありません。
年を重ねると、
新しい出会いは、恋愛でも、友情でも、能動的にならなければ、
待っているだけでは、難しくなるような気がします。
日常の生活に追われたり、
【自分のための時間】が貴重になるので、
ついつい、時間ができれば、そこに費やしてしまう。
新しい出会いは、無くても困りはしないけれど、
あれば、やはり嬉しくて、
世界が開かれる気がします。
【ようこその世界】【初めましての世界】は、
ワクワクして、ドキドキして、
新しい発見をしたり、これからの未来を考えると、
言葉が過ぎるかもしれませんが、希望に溢れています。
それゆえ、
そこからの【サヨナラ】は、ダメージが大きい。
また会える【かも】。
いつか会える【よね?】
が実に曖昧で、不確かだから寂しくなるけれど、
それでも、
やはり日々に追われ、その気持ちも薄れやすくなります。
会いたいなぁ。どうしているかなぁ。
そう思えば、
色々な手段で【間接的に会う】ことは可能です。
だから、落ちきることはありません。
それでも、やはり、寂しくなるものです。
嬉しいのに、寂しい。
寂しいけれど、未来が楽しみ。
複雑な心境を、抱えながらも、
「さようなら」ではなく、「またね」と笑って手を振る。
今日、大好きな友人との別れ際は、まさにそんな感じでした。
いつもと違って、
別れ際に時間が必要で、お互いに、動き出せず、言葉も発しづらい。
彼女にとっては、新しい世界へ向かうための、
嬉しい船出なのに、
その船出への不安と喜び、もう容易に会えなくなる寂しさ。
たぶん、荒馬も彼女も、あの瞬間、
同じことを考え、同じ事を飲み込み、同じ表情をしていたと思います。
若い頃は、【別れ】が、ただの節目で、
むしろ、これからの未来に出会う人や、起こる出来事への希望の方が
大きく、
通り過ぎる景色の1つ・1つ増えた思い出だけで十分だったのだと思います。
40歳を手前にすると、
簡単に通りすぎるには、心が【今】に強く引っ張られる気がしました。
喪失感の残り方が強いです。
そういう友人に出会えた自分は幸せだと感じます。
荒馬にとって、とても大切な友人なのだと、再認識できました。
顔を合わせる機会は減るけれど、
あらゆるツールを駆使して、
連絡を取り続けようと決意した【別れ】でした。