荒馬のつれづれ日記

好きなことを、好きな時に徒然と綴る日記です。

遠き母を想う

みなさん、こんばんは。

母が恋しい荒馬です。

 

荒馬母、10年前に他界しています。

10年経っても、いえ、年月が経ったからこそ恋しくて恋しくてたまりません。

母が亡くなった半年後に小凡師くんが生まれたので、

初孫を抱くこともできませんでした。

「こんな時、母がいてくれたら…」「話がしたいよーーーー」と日々思っています。

母は、何でも器用にこなす人でした。

幼少時、着ていた服は母の手作り品多く、幼稚園バッグセットは、卒園時に

「お手本として幼稚園に寄贈して頂けませんか?」と言われるほどの

クオリティの高さ。

料理上手で、小さい頃のおやつは、いつも母の手作りお菓子でした。

センスも良く、参観日に母が来るのが自慢で、嬉しくて。

躾は厳しかったのですが、いつも一番の理解者であり応援団長でした。

働いている姿も素敵で、エレクトーン教室の帰りに、母の職場に行き、

母の接客を観ているのが大好きでした。

 

荒馬が高校生の時に、車の免許を取得したのですが、

真っ赤なスポーツカータイプの車で、洋楽を大音量にして運転する母。

とにかく運転したくて仕方なかった母は、

毎朝、荒馬を学校まで送ってくれたのですが、

これがちょっとした問題になりました。

毎日、大音量の真っ赤な車で登校する女子高生。

先生達の間で、「荒馬は家に帰らず、大学生の家に入り浸っている」という

大きな誤解が生まれ、職員室に呼ばれるハメに。

「母の車です。母に送ってもらっています」と言っても信じてもらえず、

母が学校に呼ばれることに。

真っ赤な車に乗り、カモフラ柄のTシャツにデニムをはいた母を見て、

口があんぐりの先生達の顔は、今でもはっきり覚えています。

母は仕事帰りに、あえて奇抜なファッションで来たのです。

ファンキーな母です。

短大卒業後、地元に戻った荒馬。

最初は期限付き教諭という臨時採用の身分。

教員採用試験に合格した時は、大粒の涙を流し喜んでくれ、

「小学生の頃の夢を叶えた荒馬が誇らしい。挫折しても腐らずに

 努力した結果なんだから、学歴を気にせず、思いっきりやりなさい」と

背中を押してくれた母。

 

母が悲しい涙を流したのを見たのは、たった1度だけです。

癌の手術をする前日でした。

「死にたくない。まだ死にたくない。やりたいことがたくさんあるのに。

 まだまだ話したいこと、教えてあげたいこと、支えてあげたいことが

 たくさんあるのに」と。

手術から約1年後に母は亡くなりました。

 

よくテレビでは、息を引き取る最後の瞬間に会話を交わしますが、

あれ、嘘です。たとえ、心の準備をしていたとしても、

最後の言葉をきちんと聞くことなんてできませんよ。

最後に気の利いた言葉をかけることなんてできませんよ。

 

あの日、母は確かに何かを言いたげでした。

口がほんの少し開きますが、声になりません。

でも、目が訴えているんです。必死に。

あの日、何を伝えたかったのか。

あの日の、あの目が忘れられません。

 

あんなに、たくさんの会話をしてきたのに、

最期の最後の言葉を聞いてあげられませんでした。

大切な言葉を伝えることもできませんでした。

 

もう一度だけ、せめて、もう一度だけで良いので、

母と話がしたいです。

母が恋しいです。