こんにちは。
何が正しいのか分からないけれど、
分からないからこそ、モヤモヤとしている荒馬です。
我が家の小小凡師くんは医療的ケアが必要な重度心身障害児です。
出産時のトラブルによるもので、重度の脳性麻痺が残りました。
脳性麻痺と言っても、人によって様々です。
それを、障害児という一括りにすると、一層、複雑で様々です。
障害に限らず、ここ数年[公平と平等]について実によく考えさせられます。
種類を上げれば多岐にわたり、どの部分にもそれぞれの言い分があるのだと思います。
そこまで詳しく調べたり学んでいないので、限定的ですし、私見ばかりです。
小小凡師くんは、特別支援学校に通っています。
公立(市町村立)小中学校は普通級・支援学級と分けられています。
その他に都道府県立学校として、特別支援学校があります。
秋田県に来てから感じるのが、
この普通学級・特別支援学級・特別支援学校の線引きが非常に曖昧だということ。
全ての都道府県の学校現場に調査したわけではありませんが、
少なくても私が知っている範囲で言うと、
あまりにも特別支援学校が軽視というか、便利屋扱いされていると感じています。
特別支援学級を開設している学校も少なく、
開設していても児童生徒数が少ないです。
そして、特別支援学校に転校してくる割合が非常に多いです。
教育委員会・教師は特別支援学校について、しっかりと説明をしているのかな。
そんなことを感じたりする場面を、特別支援学校保護者として感じます。
特別支援学校はカリキュラムが異なるので、
高等部まで在籍していても、高校卒業認定とはちょっと違います。
中学部から、就労に向けて、校内外で実習を行います。
保護者はしっかりと理解した上で、通う決断をしているのだろうか。
特別支援学校の中でも、知的・肢体不自由など様々な児童生徒がいます。
さらに、小小凡師君のような医療的ケア児もいるわけです。
学校生活はどこも集団生活です。
それは十分理解しています。
荒馬は元教師です。支援学級の担任を務めた経験もあります。
障害児の保護者になってみて、さらに重度心身症児の保護者になってみて、
平等って何だろう?
普通って何だろう?(普通という言葉を使ってはいますが…)
と考える機会が多くあります。
心身共に健康な人たちの自己満足に見える時もあります。
平等いう名のナイフを突き立てられている感覚は何度もあります。
角度を変えると、[平等]はナイフにも思いやりにもなるものですね。
それは、感じ方の角度も含めてです。
インクルーシブ教育とか共生の社会という言葉が、
非常に一人歩きしているように見えてきます。
少しだけ勘違いの方向を向いていないだろうか?
そんな風に感じることも…。
何でもかんでも、同じ土俵に上げれば良いというわけではありません。
下図のイラストは、ネット上でよく見られるものです。
左の2つだけという記事もありますし、
[現実]という右図も入ったものもあります。
よく分かるんです。理想と現実が。
小小凡師くんが生まれて10年。
荒馬の生活環境が大きく変化し、同時に物の見方が大きく変わりました。
これまで、知らなかった(見ようとしなかった)こと知らないフリをしていたこと
そこを直視しなければいけなくなった状況。
家を一歩出れば、あちこちに存在しています。
荒馬自身もそうなのだと思いますが、
結局のところ、自分が一番カワイイというのが土台にあるんです。
そして、
社会的に弱者の立場である人達も様々だというのも…。
やってもらって当たり前と思っている人
ひたすら方々に謝っている人
立場を利用し我を通しすぎる人
遠慮しすぎる人
学校でも病院でも役場などでも、その他の場所でも、
それに対応する人達の大変さは理解しているつもりです。
個に応じた対応には限界があるのも理解しているつもりですが、
それでも、
「ここは一括りにしちゃダメじゃない?」
「むしろこころは、一括りで良いだろう」
これを行ったり来たりです。
今、多くの場所で[平等と公平]がフツフツと煮立とうとしている気がします。
様々な場所で、様々な種類の[差]
どちらかを立てれば、どちらかが…というのを、あちこちで目にします。
公平と平等を、今一度、学び確認する時期なのかもしれません。
先日、あるテレビ番組で大正・昭和初期の頃が取り上げられた番組を観ました。
その時代の人達の多くは亡くなっているかもしれませんが、
その人達に育てられた子ども達が、今、後期高齢者
10代の子ども達が生きている世の中とは、
それこそ[普通]が大きく違う時代
多くの世代が生きている現代で、全員が幸せというのは無理なのでしょう。
しかし、
互いに理解し、歩み寄ることはできます。
そのためには、
互いの[普通]を理解するための学びが必要です。
様々な立場の人達の声を聴きたいな。
正解は出ないけれど…
昨夜『にじいろカルテ』というドラマを観ました。
みんなそれぞれ[山あり谷あり][激動のストーリー]を抱えていて、
[普通][何もない]と思っている人がいて、
その[普通]であることが自分を苦しめている人がいて。
ドラマを観てもスッキリ解決はしないけれど、
荒馬自身も小小凡師くんに関して、
見ないようしていた現実を目の当たりにして、悲しく落ち込んでいたので、
いやむしろ、
「あー、吹っ切ってはいなかったんだ。私。」
「本当はまだ引っかかっているんだ。私。」
と気付かされたというか。
冒頭でも書いたように、モヤモヤしているだけで、
正解も何も分からないし、出す必要もないと思っています。
でも、何かにぶつけたくて、
ブログに書き綴ってみました。