荒馬のつれづれ日記

好きなことを、好きな時に徒然と綴る日記です。

『BAR追分』『月曜日の抹茶カフェ』『木曜日にはココアを』

この1年くらい、こういう系の小説が好きになりました。

ミステリーやサスペンスは日常的に読んでいますが、

ほっこり癒やし系の作品を読みたい時、

こういった本も必ず積ん読にラインナップ

 

すっかり並行読みが習慣になっていて、

サスペンス・ミステリ

実用書

ほっこり癒やし系

などの本をカバンに入れていたり、机に置かれています。

 

ほっこり癒やし系で気に入ったのが

 

 

こちらの3冊

 

スタートは『木曜日にはココアを』でした。

その続編『月曜日の抹茶カフェ』が発売し、

その流れで、

茶店・カフェが舞台のほっこり系を読むようになっています。

そうして見つけた『BAR追分』

どれもカフェ・喫茶店に集まる人達の人間模様が見られる本

 

短篇集ではありますが、話や登場人物に繋がりがあり、

自分もその場所にいるかのような錯覚に陥ります。

たぶん、願望もあるのでしょう。

自分もそんな場所にいたい

自分もそんな場所を作りたい

そう思うようになっているため、つい感情移入が半端ないのだと…

 

そして人の描き方が素晴らしい

近くにいそうでいない。いないようだけど、いるかもしれない。

場所の人も出来事も

身近で起きそうなストーリーが展開されていきます。

そして、

最後は希望に満ちるというか、前を 上を向いていこうと思わせてくれます。

 

読書の時間の確保を積極的にしている荒馬

家に居るときはもちろんですが、

外に出たときに5分の空き時間や待ち時間がある時は必ず本を読んでいます。

 

以前も書いた気がしますが、

秋田県は読書推進県を謳っており、

大人達も口を揃えて「全国のどこよりも早く朝読書を教育現場に導入した」と

言う割に、大人達の読書率が低く感じます。

紙媒体でもスマホでも本を読んでいる人が本当に少ない。

本の話で盛り上がることが少なくなり、ちょっと寂しく感じています。

 

今、荒馬が絵本セラピストとして活動しているのも

そんな読書離れが進む大人達に、読書の入り口として絵本はいかが?

という気持ちも込めているつもりです。

よく若者の読書離れが深刻という記事をみかけますが、

それって、若者だけじゃないのでは?と思うのです。

本を読む文化自体が廃れてきて、大人達だって読書離れが進んでいるように思います。

目にする大人達が本を読まなければ、読書文化の廃れを感じて、

若い人達も取り入れなくなる。

 

こんなにも面白い素敵な本が絵本も含めて出版されているのに…

 

今日はどんな本を読もうかな

 

みんな誰かに教えたくて堪らない ということは…

最近、Twitterをよく見るようになりました。

InstagramFacebookもやっていますが、

それぞれに特徴や役割があります。

少なくても荒馬は使い分けをしています。

 

Twitterを見ていると感じます。

タイトルにあるようなことを…

みんな誰かに何かを教えたいんだなーって。

みんな誰かに話したいんだなーって。

呟くのが役割だから、当たり前なのですが、

それでも特に【教える】という内容に関しては、

自己満足というよりも承認欲求の高さを強く感じます。

 

認められたい

褒められたい

聞いて欲しい

頼られたい

誰にでもある感情ですよね。

表面化していようが胸の奥に秘めていようが…

 

荒馬だってそうです。むしろ強い方かも知れません。

 

教師を志望する人が減っているという記事を見ました。

みんな、先生になった良いのに…

上記の欲求が満たされるのって「学校の先生」だと思うのです。

教師の過酷な労働状況などがTVでもネットでも賑わせていますが、

荒馬は周りが言うほどキツさや辛さを感じませんでした。

要は

楽しさを見いだせるか

削ぎ落としの思考を持てるか

なのではないかなーと…

 

仕事に限らず、すべてのことに「楽しさ」を見つけられるって

難しいけれど、見つかった時には気持ちがラクになります。

ポジティブ思考にならなくても、その場を楽しむことは可能だと思っています。

考え方は大切ですが、簡単にできることではないし、

思考の癖はなかなか変えられるものではありません。

だからこそ、2つ目の「削ぎ落とし」

文句や批判を言ったり、アドバイスなど人の言葉に耳を貸せない人って、

結局、削ぎ落としができていないのかなーと最近は特に感じています。

 

仕事でも生活でも

自分思考・ベクトルが自分にしか向いていない

聞き入れないし、癖や行動や思考を変えない。

そうなると、

頑張っている自分に酔っちゃって、評価を求める。

欲しがり屋さんになるので、

必要ないことまでやるようになる。削ぐではなく増やす

アピールポイントを増やしていく

気付けば多くの「増やしたの」で溢れる

しかし残念ながら、

評価が得られない・褒められない

だから

文句を言う・批判する・自分で自分を褒めるしかなくなる

プライドが高くなる

 

踏みとどまれる人もいると思いますが、

最悪な道筋でいうと、こんな風になるのかもしれませんね。

 

そんなことまで延々と考えてしまいました。

ポツリと呟くだけの文章と

欲しがり屋の呟きって、どこか雰囲気が違うんですよね。

無機質で同じフォントで表示されるのに…。

たった140字なのに…

もちろん、それが全てではないし、全て分かったつもりになるのも危険

 

調査

研究という名のTwitterサーフィンが本当に最近の楽しみです。

 

 

やはり無理だったか

前回のブログで映画のような夢を観たという話題を書きました。

たまに夢の続きを観られることがあるから、

また観られたら良いなと思っていたのですが……

…………

…………

…………

 

やはり続きは観られませんでした。

分かってはいたんですけどね。

 

さらに映画のような夢を観た翌日は夢を観なかった…

正確に言うと、観た夢を忘れてしまっているのだと思います。

あの後、

夢についての記事をいくつか読んだのですが、

誰でも一夜の中で夢は観るものらしい。

ただ、レム睡眠とノンレム睡眠の周期の関係で、

多くの人が忘れてしまっているということでした。

 

そう、夢を観た記憶はあるのに全く思い出せない。

たぶん観ていたはずなんです。

ということは、もしかしたら続きも観ていたのだろうか。

 

昨夜の夢は内容は忘れてしまっているのですが、

BGMは覚えています。

Uruさんの『Love Song』がエンドレスで流れていました。

これは理由がはっきりしています。

目覚めている時間帯にかなりの回数聴いているから。

特別好きなわけではなくても、耳から離れない曲は、

何度も何度も聴くようにしている荒馬。

『Love Song』はピアノの前奏が好きです。

歌詞よりも曲の雰囲気が荒馬にとっては心地よくて好きです。

こういうコード進行・テンポが大好物

 

脳内で音楽が流れる

イヤーワーム現象

本当にこれが多いのです。

 

イヤーワーム現象が起きた時は潔くその曲を何度も何度も聴きます。

脳が「さすがに飽きたわ」と思うまで。

何度も聴くうちにフレーズも覚えるので特に運転中には

口ずさむどころか、ガチで歌います。

20分ほどの運転で声が枯れるくらいに。

 

イヤーワームの時は夢の中でもエンドレスで流れます。

その記憶だけあるので、悪循環で、起きている時もエンドレス。

おそらく、今夜の夢も『Love Song』のはず。

 

♩あなたと出会い~♩

一本の映画のような夢

幼い頃から夢をよく見ます。

フルカラーでストーリーがしっかりしています。

夢の中なので展開も急に変わるし、

そのストーリーもぶっ飛んでいたりはしますが…

 

小説を読んだり、映画を観てから寝ると、

その世界観の続きを観ることもあります。

気がかりなことがあると、それが夢の中でストーリー展開することも…

 

妄想したり空想するのが今でも好きなので、

寝てから観る夢は本当に楽しみで仕方ありませんでした。

それは今も…。

 

自分の体調が分かるのも夢

不調の時は、たいがい怖い夢を見ます。

リアルだったりすると、翌日1日引きずることも。

 

多くの夢はあんなに面白かったのに(怖い夢も含めて)

その日の夕方には色あせてしまうので、

夢にも録画機能があれば良いのに…と何度も思います。

理系に強ければ、その装置を作る研究をしていたかもしれません。

完全に文系人間ですが…

 

夢日記なるものを書こうと思ったこともあるのですが、

基本的に面倒くさがりなので、長続きするはずもなく…

面白い夢を観た翌日は日記を書く気満々なのですが、

起床してから数時間は大忙しのため、

時間が自由になる時間帯にはその夢を思い出せなくなる…。

断片的でも良いから書き残して多くのも良いな

 

そんな事をこの何十年も思っているのに行動に移さないあたり、

荒馬という人間の浅さを象徴している気がします。

 

さて昨夜みた夢ですが、本当に面白かった。

今朝までは鮮明に覚えていたのに、このブログを書いている今は

超断片的。悔しい。あんなに面白かったのに…

続きを観たいと思えるほどに。

そうそう、

夢の操作ができるのかどうかも知識がないし、

夢診断のような類いを勉強していないので何とも言えないのですが、

荒馬、夢の続きを観ることもあります。

自分の意思ではどうすることもできないのが残念ですが。

見たい夢に限って続きが観られない。

 

夢っていつの間にかスタートして、突然終わりますよね。

ブツリと切れてしまうという表現の方が適切かもしれません。

今朝もそうでした。

まあ、起きたからなんですけど。

 

過去と未来をせわしなく行ったり来たりして、

未来を変えちゃうという夢だったんです。

行き来するのは乗り物。

車だったりバイクだったり飛行機だったり…

詳細は覚えていなくてもどかしいのですが、

何か使命があって行き来しているというよりも、

それを楽しんで、様々な世界を舞台を渡り歩いているという感じ。

その時の出来事に興味がそそられたら、

その人の、その出来事の未来や過去に行く…

 

メルヘンチックな世界だったり、

荒れ狂った世界だったり。

そこで自分も深く関わるのですが、

闘うシーンがあったり、歌うシーンがあったり、

深刻な会議に参加していたり…

 

必ずそこには荒馬の他に相棒がいるのですが、

相棒の顔だけは見ることができません。

どこにも一緒に行っているのに、相棒が分からない。

忘れているのではなく、分からない。

そして、

どの世界に行っても必ず登場するので、俳優の生瀬勝久さん

ストリーテラーのごとく、必ずそこにいて、

彼と話すことで、トリップすることになっている。

 

朝、目覚めた時、ものすごく疲れ果てていました。

体ではなく、頭というか脳が。

夢を観ている時は浅い眠りの時ですよね。

ということは、深い眠りの時間帯がなかったのではないか?

と思うほど、眠りに就いてから起きるまでずっと、その夢を見ていた気がします。

 

当然、昼間は使い物にならず。

仕事の無い日だったので、昼寝をしたくらいです。

 

面白いことに、昼寝をする時は夢を観ません。

夜だけです。

夢の研究をしいている人とじっくり話をしたいくらい、

何十年も興味のある分野です。

 

今日の夢は割と鮮明に覚えているほうだと思います。

タイトルにもあるように、映画のような夢でした。

もちろん、フルカラー

壮大で、細かな描写も繊細に描かれていて、

風や雨なども夢の中なのに妙にリアルに感じました。

感情もダイレクトにくる感じです。

 

慌ただしくて忙しい夢でした。

しかし、

大興奮な夢。

 

今日の夢はどんな夢なのだろうか。

毎日、寝るのが楽しみなのですが、

今年度に入ってから、とにかく睡眠時間が短い。

もともと、

小小凡師くんの介護があるので、早くに寝るのは難しかったのですが、

小凡師くんが高校生になり、出発も早くなったため、

お弁当作りと朝食作りの両方を早起きしてやっています。

 

もともと早起きが苦手な荒馬。

目が覚めても起き上がるのに30分必要なので、

起き上がる30分前から小刻みなアラームをセットしています。

Apple Watchを買ってからは、寝ている時も付けて眠っています。

小小凡師くんがそばで寝ているので、

音が鳴るタイプはNG

振動するタイプが良いのですが、スマホを枕元に置いても、

気付けば遠くにあるので、アラームに気付かず…

腕時計だと、

体に振動がくるので、目覚めやすくなりました。

 

起き上がっても油断すると二度寝するので、

すぐにお弁当&朝食作りをスタートします。

料理って頭を使うので、そこで目覚めてきます。

動き回るので体も目覚めてきます。

その後、みんなで一緒に朝食

後片付けと身支度を調えると、小凡師くんと凡師さん出発します。

送り出した後は、

小小凡師くんの出発まで1時間半あるので、

仮眠を取ります。

夜の睡眠は4時間くらいしか取れないので、

この仮眠を取ることで、1日動ける体が完成します。

起床してから2時間後の仮眠です。

30分ほどの仮眠ですが、

仮眠から目覚めると、頭と身体がスッキリ。

 

正しいのかどうかは分かりませんが、

荒馬にとっては正解

起きてから男衆を送り出すまでの4時間です。

 

小小凡師くんを学校へ送ってからは、

自宅で仕事をしたり、外で仕事をしたり。

その日によって変わります。

自宅ワークの日は、昼寝もします。

夕方から夜に向けての体力温存のためです。

昼間は4、5時間が荒馬の時間です。

家のことをやったり、買い物へ出かけたり、仕事をしたり、昼寝したり。

小小凡師くんの迎えに行って帰宅後は、母親&妻の時間

 

フルタイムの仕事やどこかに所属する働き方は、

今の荒馬にはやりたくてもできません。

小小凡師くんの介護があるので…

 

障害児を持つ親の[働く環境の保証]というワードはよく聞きますが、

現実的には可能な人と無理な人がいます。

気持ちの持ち方という問題ではなく…

障害者(児)を語る時、多くの人達はほんの一握りの人達を対象にします。

人数分布が一番多いからでしょう。

福祉や医療に関しても、同様。

 

小小凡師くんは、そこからも外れることが多々あります。

全体の人口、障害者の人口の中のごくごく少数派の人達

案外、忘れ去られているものです。

現状に特に不満がないので、今はまだ良いのですが、

そのうち、親である荒馬がきちんと知識を身につけ行動しなければ

いけないのでしょうね。

秋田県に移り住んできた時のように…。

 

おっと、夢の話から大きく逸れました。

睡眠と夢の関連性から、ついつい飛躍しすぎました。

 

また面白い夢をみたら、

備忘録の代わりにこちらに投稿しようかな。

いつかどこかの専門家の方の目に触れたら、何か教えてもらえるかも。

それまで、荒馬も独学を進めながら、

夢ライフを楽しんでいこうと思います。

 

大人だからこそ深読みできて楽しめるのが絵本なのだと思う

絵本は子どものための本

多くの人が口をそろえて言うセリフな気がします。

小学生以上の人は自分が読むために

絵本を手に取ることさえ無いと思います。

そもそも、

読書をする人達も本当に少なくなっていると感じます。

 

特に秋田県民になってからは…

病院の待合・乗り物などの待合

ちょっとした隙間時間や待ち時間に

本を読んでいる人が本当に少ないなーと感じます。

読書離れが進んでいるとは言え。

同じように県外から移り住んできた人達と話す機会があったのですが、

「秋田に来てから、読書をしている人を見かけなくなった」

「読書推進県を謳っている割に読書文化が根付いていないよね」

「だから読書環境の整備がされていない」

という声をたくさん聞きます。

確かに…と思うことばかりでした。

 

どの世代も現在は読書をする人が減っているのは分かります。

しかし案外、若い世代の方が読んでいる印象

スマホタブレットで読んでいる人を見かけることもあります。

 

荒馬は読書が好きなので読書は苦痛を感じるという感覚が

イマイチ分からないので、そういった人と話すときに

どんな言葉をかけるのがベターなのかも分からず、

「そうなんだー 面白いのに」

なんて言ってしまうのですが、

「でも本を読みたいとは思うんだよね」

というさらなる返答がきた時には

「なら、絵本が最適だよ!」とキラッとした目で言っています。

その次はお決まりのフレーズ

「えっ!? 絵本でこどもの本じゃん」

 

ですよねーそう来ますよねー

だがしかし、

侮れないのですよ。絵本って。

同じ絵本を読んでも、

子どもと大人ではまるで違う読み方をするんだよ。

読み方ではわかりにくいですね。感じ方のほうが良いでしょうか。

様々な経験をしたからこそ、

あの短い文と絵の本を読むことで、

無意識に深読みをして、何かのメッセージを受け取ろうとするんですよ。

簡単に言うと、

意味を見いだしながら読むのが大人。

 

純粋に楽しむ

というのが難しくなっているんですよ。

そこに意味がないといけないと思っているし、

何かの回答を求めてしまうんです。

絵本なんかを読んでいる自分を正当化するために。

 

ただね、

【絵本なんか】じゃないんですよね。

小説を読むのって、時間がかかるじゃないですか。

読むジャンルによっては、難しい言葉や専門用語は出てくるし、

行間を読むってなんぞや?って人には、理解不能な表現はあるし、

リドルストーリー(結末は読み手の皆さんに委ねます系の話)だと

すっきりしないよーとか。

その点、

絵本は、

だいたい10分程度で読めます。

もちろん、長いストーリーの絵本もありますが…

抽象的な表現の絵本もありますが、

絵や色で理解を補ってくれます。

だから、理解がしやすい。

ということは、メッセージや回答を受け取りやすいんです。

 

本を読むという行為は、どうしても学びと結びつける人が多い気がします。

娯楽のために本を読むという人に、荒馬はあまり会ったことがありません。

これまでの人生で、数えられるくらい。

だから、読む意味やメッセージや回答を求めてしまうのでしょうね。

勉強や学びだから。

 

もっと手軽に気楽に手に取っても良いのに…

それが絵本では可能なのに…

 

でもね、大の大人が絵本コーナーで絵本を吟味するのってヤバくない?

図書館や書店の絵本コーナーで不審者扱いされるよ。

実際に、疑いの目を寄せている店員や職員も見かけるし…

 

話せば話すほど、勧めれば勧めるほど

マイナス要素のネタをぶつけられます。

いや、

私だってごり押しするつもりは毛頭無いのですよ。

でもでも、やっぱり

【絵本は子どもの本ではなくて、子どもからでも読める本】なのだと

お伝えしたいのですよね。

 

数多くある本のジャンルの1つ。

子ども専用とか大人専用の本なんてないじゃないですか。

タバコやお酒と違って、

この本は20歳以上じゃ無いと変えませんっていうのは無いじゃないですか。

幼い子が小説を読んでも良いんですよ。

大人が絵本や図鑑を読んでも良いんですよ。

絵本だけ、妙に強固なカテゴライズをされているのが、

それば「普通」「当たり前」になっているのが、なんだかなーなんです。

 

試しに読んでみたら良いのに…

ここ数年は絵本ブームなんです。

芸能人がこぞって絵本を出版しているし、

今期にドラマには絵本がキーワードとして登場しているし、

ネットで【大人 絵本】と検索すると、

山のように、オススメランキングやコラムが出てきます。

雑誌でも絵本特集を組んでいるところが多くなりました。

 

1冊の絵本でも

その感じ方や意味の付け方は多数存在します。

ぱっと見は同じ意見のように思えても、その背景まで探ると

本当に十人十色。

 

絵本セラピーをしていると、そんな光景をたくさん見かけます。

この絵本で、

こんなことを思い出すのかー

この絵本で、

そういう理由で涙を流すのね

この絵本で、

そんな記憶が呼び起こされるなんて

 

そういう現象を目の当たりにすると、

もっと多くの大人の皆さんに絵本を手に取って欲しいなーと

どこから目線の言い方かはさておき、

感じるのですよ。

 

みなさん、絵本を手に取ってみませんか?

新しい扉が開いて、新しい発見が待っているかもしれませんよ!

 

『百貨の魔法』を読んで母を思い出す

読書の際はいつも先が気になり、どんどん読み進めているのですが、

それとは逆に

「読み終わりたくない」「まだこの世界にいたい」と思える本と

出会うことができました。

それがこちら 

温かくて、素敵なストーリーの一冊です。

百貨店が舞台になっていて、キラキラした雰囲気も感じられます。

そこに勤める従業員さんのプロとしての仕事ぶり

足を運ぶお客さんにとっても百貨店の存在意義

その両者により生み出される奇跡のようなストーリー

 

百貨店に行ったことがあり、あのキラキラな雰囲気が分かる人なら、

より一層楽しめることと思います。

 

ストーリーもさることながら、

荒馬が読み終えたくないと感じた理由は他にあります。

それは、

忘れていた母との思い出が次から次へと溢れ出てきたから。

 

荒馬の母も百貨店勤務でした。

当時、私の住む土地での百貨店はいくつかありました。

その中でも少しだけ格が高い百貨店でした。

荒馬はその百貨店の向かいに習い事で通っていました。

週に1回

放課後や休日に1人で30分ほどバスに揺られ通っていました。

習い事が終わると、

母の居る百貨店に行きます。

母の勤務終わりまでそこで待ち、一緒に帰るためです。

 

百貨店の婦人服売り場にいる母

制服着用の時もあれば、私服販売をしていることもありました。

そこに小学生の荒馬は「ただいまー」と向かいます。

他の従業員の方々も「おかえりー」と出迎えてくれます。

母を待つ間、

荒馬はいつも1階から最上階まで、ゆっくりと見て回っていました。

時にはレストランや喫茶店で飲食もしながら…

どのフロアの人にも

「おかえりー」「今日は上手く弾けた?」「コンクールが近いんだってね」

「学校は楽しい?」などと声をかけてもらいました。

 

従業員ではないけれど、お客さんともちょっと違うので、

他のお客さんの邪魔になったり、不快な思いをさせないように

気をつけながら百貨店内を散歩していました。

小学生1人で歩き回っているのを快く思わない人もいるので…

 

閉店時間が過ぎたり、母の勤務が終わると、

従業員用の通路を通り、通用口から出て行きます。

その瞬間、

百貨店の従業員から母に戻ります。

その変化が不思議で、驚きで、嬉しくて…

大人って凄い! 何か魔法がとける瞬間をみるようでした。

その百貨店も経営難で閉店

その後、母は他の百貨店に勤務することになりました。

そちらの百貨店は割とフランクに行ける場所でした。

中学生になっていた荒馬は、

行きも帰りも1人で習い事へ通い、

そのうち部活や勉強との両立が難しくなり、やめてしまいました。

高校生になり、今度は荒馬も

母の2つ目の勤務地である百貨店内のレストランでアルバイトを始めました。

 

百貨店と母と荒馬

10年ほどの思い出があります。

働く母を見るのが大好きでした。

いつもキラキラしていて、お客さんに見せる笑顔が綺麗で。

自慢の母でした。

弱音や愚痴を言うことも無く、いつも凜としていました。

荒馬は自分のことで精一杯で、

母の助けになってあげられていませんでした。

それでも母はいつも周りの人達に

「私の自慢の娘なのよ」と言ってくれていました。

叱る時はめちゃくちゃ怖くて、理不尽な言い分は一切無く、

長々とは叱らず、終わると

「はい!終わり。さて、いつまでも引きずらず切り替えるのが大切よ」と

あの笑顔が戻ります。

 

もっと一緒にいたかったし、もっと話もしたかった。

孫の顔を見せてあげたかったし、色々な場所に連れて行ってあげたかった。

今の私を見て、母はなんて言うのかな。

 

そんなことを次々と思い出して、

恋しくて嬉しくて、なかなか読み終えることができなかった一冊でした。

これは、再読必至

汗の質が変わり、汗をかくのが気持ちよい体に変化

荒馬です。

学生時代は家でボーッと過ごすことも外で思い切り体を動かすのも好きでした。

インドアもアウトドアも…

教師時代、ずっと運動部の顧問でした。(バレー・バスケ・バド)

どの競技も選手経験がなかったため、生徒達と一緒に体を動かし、

同時にルールを覚えたり、指導論も学んでいきました。

どの学校も3階建て校舎だったので、

階段の昇降もありますし、時には生徒を追いかけて校舎内外を走り回ることも…

10年前に退職してからは、

まるで運動しない環境になりました。

介護は体力が必要なので、筋トレはしていましたが、

体重も増え、加齢と共に体型も変わっていきました。

 

たまに小凡師くんが通う学校でのレクに参加し、運動する程度。

 

秋田県民になってから丸4年

北海道にいた頃よりは、体を動かす量は増えたのですが、

運動まではなかなかできずの日々でしたが…

今年になってから2つの変化が!!

 

10年ぶりにギアチェンジのあるバイクに乗り始めました。

ずっとビックスクーターだったので…

しかも、ずっと乗りたかったバイクに。

バイクに乗るにも体力が必要で、特に荒馬の乗っているバイクは、

バイクの振動が全身にくるタイプのバイク。

ハンドルにもシートにもタンクにも…

ですので、高速道路を走った後や長時間乗った後には、

掌・腕・太もも・背中に疲労が残ります。正座の後のしびれのような感じ。

しかもバイクは、

体に風をもろに受けるので、上半身にも疲労が…

ですので、

割と良い全身運動になります。

2つ目は、

自転車に乗り始めました。ママチャリではなく、スポーツバイクです。

ロードバイクと呼ばれるタイプの自転車で、

自転車競技などで乗られているものです。

高校生の時に膝をけがし、その後も変形性膝関節症と診断を受けた身としては、

体重を落としすぎても増やしすぎてもダメで、

膝周りの筋肉をつけなければ、日常生活にも割と影響があります。

特に小小凡師くんが20㎏を超えて、介護するのも大変なので…

医師曰く

水泳・自転車・スキーが良いとのこと。

膝への負担が少ないからなのだそうです。

ランニングやウォーキング・スクワット・登山などは以ての外。

凡師さんも膝に怪我をして、リハビリを兼ねてということで、

ロードバイクに乗り始めました。

 

これが何とも楽しい

体はキツいのですが、バイクとはひと味違う楽しさがあります。

 

10年ほどまともに運動していない体は、

完全に非運動体質となっていて、それがよく分かるのが汗の質。

北海道の北の果てでは、夏でも汗をかくほど暑くならないので、

体が寒さ仕様になっているというのもあります。

秋田に来てから、

梅雨を経験し、ジメジメ暑い期間と梅雨明けの猛暑を経験して、

体が悲鳴をあげていました。

寒さ仕様の体と運動不足の体

この2つが合わさった結果、汗がジトッとして不快極まりない

上手に汗をかいて放熱できない体になっていることに気付きました。

放熱がうまくできず、内熱がこもるタイプのようで、

すぐに顔が真っ赤になっていました。

気付けば昔からそうで、よく周りに心配されていたかも…。

 

暑い日に運動をして、汗をかく習慣が付くと、

汗がサラサラになってきます。

汗をかいても放熱や体温調節が上手になってくるのが分かります。

40代でも!体って凄いですね。

この1ヶ月ほど、自転車&バイクを週末ごとに乗っているので、

筋肉痛に苦しみながらも、汗をかきたくて乗っている気がします。

自転車もバイクも吹く風が心地よくて、

汗をたっぷりかいても、その後のシャワーが実に気持ちよく、

汗をかくのも爽快になってきます。

 

当然、そうなると運動以外の場面で汗をかくのも嫌ではなくなりました。

もちろん、他の誰よりも真っ赤な顔をしているのは恥ずかしいですが、

梅雨明けした秋田県は、連日30℃超え

9:00には30℃に達し、19:00頃まで下がりません。

日が沈んでも暑さが残るって、本州ハンパ無いというのが、感想です。

 

梅雨の無い、ジメジメしない北海道が懐かしくなりますし、

25℃を超えた日は、お祭り騒ぎのような北の果ても懐かしい。

しかも、時間帯で言うと短時間なので、

日が沈むと長袖が必要な北の果てと比べると、

本当に同じ日本でも、ここまで違うのかと驚きです。

 

この土日も自転車&バイクで、バッチリ汗をかきました。

バイクは久しぶりなので、片道1時間程度の場所を流す程度

自転車に至っては超初心者なのにマシンだけは一人前なので、

そのスピードに体が追いついていない状態で、

15㎞走るだけで、体が悲鳴をあげます。

(ガチの方々は100㎞ライドなんて余裕だそうですよ)

しかも、

ロードバイクは平地でも30㎞/h 下りだと40㎞/h は余裕で出ます。

(あくまで私の場合は)

(ガチの方々は50㎞/h ぐらい出るそうですよ)

車体は軽いのですが、タイヤも細く、今はまだ怖いくらいです。

 

しかし、自転車&バイクにより、筋肉がついてきたようで、

日々の暮らしが少しラクに感じます。

体脂肪や体重もほんの少しずつ落ちてきているので、

体も軽く感じ始めています。

残念ながら体型は変わりませんが、

そもそもダイエットが目的では無く、膝のリハビリや体力向上が目的。

 

お風呂上がりの汗とは、また少し違う運動による汗。

 

向き不向き・好き嫌いがあるので、

「皆さんも是非!」とは言いませんが、

今の荒馬には、心身共に良いことです。

 

汗の質を変えるには、やはり習慣的な運動なのですね。

食事だけでもダメだし、服装だけでもダメ。

少しだけ負荷をかけた運動が良いのだと思います。

汗の質が変わると、汗をかいた後の体の反応が変化しますよ。

本格的な夏を迎えていますが、

熱中症には気をつけつつも、体を動かすことを習慣化しようと思います。

 

興味を持った方、是非!

『阪急電車』

こんにちは。

今日は久しぶりに小説・映画のことについて…

 

小説が映画化された時

映画を観る時と観ない時があります。

小説を読んで感じた世界観や想いなどを大切にしたい時は、

観ないことが多いです。

逆に

あの小説をどう映像化したのだろう?どの部分を切り取ったのだろうと

興味が沸いた時は観ています。

おそらく、皆さんが同様なのかもしれませんね。

あっ、出演される俳優さんにもよるのでしょうか。

 

荒馬の場合、その8割ほどが、

「やっぱり小説の方が好き」となります。

残りの2割は、

「小説も映画もそれぞれ面白かったー」

「いや、これは映画の方がよかったー」

というもの。

 

両方とも好きになるのは、稀なので、

その場合は、何度も小説も映画も読み返したり、観返したりしています。

その一つがこちら

 

先日、映画を観ました。

何度も観ているのに、毎回、感じることや観る視点が違っていて、

その都度、楽しんでいます。

となると、

やはり小説も読みたくなるもので、読み返し。

 

うん、やっぱりどっちも好き。

 

荒馬は、電車通学・通勤を経験したことがありません。

バスでの通学や習い事に通ったりはありますが…。

ですので、

何となく憧れに近いものがあります。

車の運転は好きなんですけどね。

車通勤は、オンとオフのスイッチの役目を果たしてくれて、

とても良かったです。

とはいえ、電車通学・通勤は憧れがあります。

 

もう20年以上前、1ヶ月だけ東京で暮らしていたことがあります。

その時、毎日電車に乗っていました。

満員電車も経験し、ガランとすいた電車も経験しました。

そのときは「電車キツいな」と思っていたのですが、

この小説と出会って、見方が変わった気がします。

 

毎日乗る・定期的に乗る電車では、

身近な他者が存在するからなのかもしれません。

相手の素性も何も知らない、ただ顔を知っているだけ。

もちろん、乗り合わせていることも知らない他者もいます。

しかし、そこには、

毎日違うドラマが生まれている気がしてなりません。

三者として、人の機微に触れたり、人生の機微に触れたり…

誰かの生活や人生をちょっとだけ垣間見られる時間だったりします。

自分は良くも悪くも影響しない・登場しない

ごく稀に登場人物になる時もある。

 

小説を読んでいるだけで、情景がくっきりと浮かび、

楽しい事も嬉しいことも嫌なことも鮮やかです。

映画や小説は

「いや、フィクションの世界だからだよ」という出来事が多いもの。

「実際は、こんな人いないし、こんなこと起こらないよ」と…。

しかし『阪急電車』は、

「ありそう」「いそう」と思えるんですよね。

 

だから余計に憧れが増します。

 

バスに乗ったり、新幹線に乗ったり、電車の旅に出かける時にも

似たような経験はありますが、

そこには、何となく「これっきり」が存在します。

それが毎日となると、一体、どうなのだろう?

憧れというよりも、興味かもしれません。

 

都会に住んでいれば、電車・地下鉄での通学通勤は当たり前。

そこにドラマを求めている人なんて、いないのだろうと思います。

家から学校・職場などへの移動手段

ただ、自分で操作する車と違うのは、目的地に着くまで「待つ」ということ。

その待っている間、

たくさんの人が乗っているのに、交わらず、1人の時間を過ごせるという人もいます。

友人や家族と過ごす人もいるかもしれません。

 

乗り合わせている、「1人」の人達。

観察してみたいです。

 

阪急電車』のような作品探しをしてみようかな。

せめて小説の世界から知るのも楽しいかもしれません。

ああ、『電車男』も電車から始まる物語ですね。

他にはあるかな?

 

条件やテーマを決めて小説を読むことがないので、

今度は「縛り」を設けて読んでみるのも楽しそうです。

 

この先も電車に毎日乗る生活は訪れないはずの荒馬

車には毎日乗るけれど…

『もしも徳川家康が総理大臣になったら』

本を読みながら様々な感情を愉しめるのが、

読書の好きなところ

ハラハラ・ドキドキ・ワクワク・イライラ・キュンキュン

モヤモヤ・フワフワ・ホカホカ・ルンルンなどなど…

オノマトペにすると、

一気に語彙力が下がってしまう。

 

直近で、最もワクワクしたのが、こちらのビジネス小説 

ビジネス小説というカテゴリです。

なかなかの長編大作となっており、二部構成になっていますが、

荒馬は、サクッと読みやすいなーと感じました。

AI技術で蘇った偉人達。ホログラムを使って復活します。

最強内閣として、

徳川家康の他にも、名前だけを見ただけで興奮するような偉人達

歴史的な内容に関しては、注釈などがあり、

歴史に明るくない人が読んでも、分かりやすく、そこで躓くことはない気がします。

そして、

政治の仕組みというか、流れというか、

それが分かりやすく書いてあります。簡略化されているのかもしれませんが、

荒馬には非常に塩梅良しの難易度でした。

 

コロナ禍を収束させ、信頼を取り戻せ

 

これを合い言葉にAI最強内閣が奮闘するのですが、

その決断力や実行力には、とにかくワクワクしか残りませんでした。

本当にこれが実現したら、

この現状も少しは変わることができるのではないだろうか、

そして、

施策は実行されないまでも、

我々国民が大切にしなければいけない、改めなければいけない

思考や言動があるのではないか…と自問自答・自戒できる内容もあります。

 

確かになー

自分自身もそう思っているかも…

という耳の痛い内容もありました。

 

その部分だけでも、改善できれば、何かが変わる気がします。

政治を語れるほど、一生懸命に考え、参加し、訴えてはいないけれど、

自分には何ができるのだろうか…と考えさせられました。

 

どうせ、何も変わらないだろう が根底にあるのだと思います。

都道府県や市町村の指針や施策などは、まだ身近に感じられますが、

それでも、声が届いている実感は少ないです。

というほど、大きな声で訴えてもいない自分もいます。

それでも、

秋田県に移り住んでから、

ほんの少しだけですが、行政から委嘱を受けたお仕事をやらせて頂いています。

絵本セラピストとしての仕事とは、別に…

 

その中で、県や市の活動の一片ですが垣間見えて、参加できて、

見えてくるものがあります。

秋田県の良さと課題も見えてきます。

それをどんな風に伝えて、何をすれば、変えられるのかまでは、

さすがに難しいのですが…。

 

教師として働いている時も、

力を持たなければ(上の立場に立たなければ)、

やりたくてもできないことの多さに何度も直面しました。

そして、実際に

上の立場に立つことで、変えられる事がたくさんありました。

もっともっと上に登れば、

生徒・保護者・教職員のために、何かできたのではないか?

志半ばで退職せざるを得ませんでしたが、

荒馬は、教師の中でも学歴も低く、女性でしたが、

上昇志向だけは、誰よりも強く持っていたと自分では思っています。

 

短大を卒業して教師になって、

ずいぶんと学歴については、バカにされたりしました。

「それなら体を動かそう。仕事のスキルを磨こう」

自分にできることは、がむしゃらにやりました。

学歴は過去のもの。

スキルと知識 決断力・実行力・牽引力・リーダー力などなど、

とにかく勉強しました。

女性という点は、北海道だけかもしれませんが、

そこまで苦労せずに済みました。

その点は、学校社会は能力さえあれば、年齢や性別は重視されません。

学歴をバカにするのも、それが足枷になることは一切ありません。

 

北海道では、20代後半になれば、責任ある立場にどんどん昇格できます。

教員の世界での責任ある立場とは、人によって考え方や価値観が違いますが…

早ければ30代後半で管理職になれます。

他府県の実情の詳細は分かりませんが、

少なくても秋田県では、その現象がないので、もったいないと感じます。

 

教員だけで無く、様々なところで、

若手のくくりが違います。

なんだかんだ言っても、20代・30代が期待されていないことに、

寂しさを感じます。

若い人がいない。高齢者が多い。

問題点は口々に出るのに、今居る若い世代を表舞台に出すことはしない。

ちょっとした矛盾を感じます。

だから、

北海道と比べて、20・30代の覇気とのびのびさが低く感じます。

もちろん、

それじゃダメだ!と立ち上がる人達はいますが、

いかんせん、人口の大部分を占める高齢者達が冷たい。

見守ったり、応援するという姿が見られない というのが、

荒馬の感想です。

 

憂いていても仕方ないので、

自分にできることはやろうと奮闘中です。

田舎の中の田舎ですが、だからこそ、声が届く距離感があります。

とは言え、

移り住んで5年目。こちらでは、まだまだ[よそ者]扱い。

もっと溶け込んで、認知してもらうことが大事です。

 

この小説を読んだからでしょうか。

そんな壮大なことを考え出してしまって、

「自分、どこを目指してる?」とツッコミを入れてしまうくらい。

 

やる気みなぎるという表現は正しくありませんが、

何か滾るものが、荒馬の奥底に感じられます。

これは荒馬の人生において、とても珍しい現象です。

あー、

私でもこういう風に感じられるんだね。

せいぜい、頑張れよ  と

本来の自分(何が本来かは分かっていないけれど)が

冷めた目で見ていることを感じています。

何もないけど、何となく大きな溜息をつきたい というか ついていた

悩みごとがあるわけでも無く、

呆れることや悲しいことが降りかかっているわけでもなく、

ただ、

何となく声を出して、大きな溜息をつきたくなる。

 

そういうことって、ありませんか?

溜息ではなくても良いけれど、

無性に

叫びたくなるとか大笑いしたくなるとか…

何かの現象が起きてそれによる感情や行動が出るのではなく、

先にその感情をわき上がらせたくなったり、

行動(行為)をしたくなる時が…

だから、それを誘発するためにあえて現象を作りだす。

もしくは、

現象すらすっ飛ばしてしまう

 

昔、同僚と飲みに出かけた時、

「溜息をつきたいから、たばこ吸って良い?」

と許可を求められたことがありました。

その同僚は普段はたばこを吸わない人でした。

お酒を飲んだ時だけ吸うという人には会ったことがあるけれど、

溜息をつきたいがために、たばこを吸う人には初めて会った瞬間でした。

 

「普通に溜息つけば良いじゃないですか」

「それだと、いかにも悩んでいます。と公言するみたいで嫌だ」

「悩んでいるんですか」

「うーん、それほどのものではないけど…」

「話を聞いて欲しいとかですか?」

「いや、そういう風に悟られたくないからたばこなの」

「でも言っちゃいましたね」

「だね」

 

そんな会話があったような気がします。(うろ覚えですが)

結局、溜息の正体は分かりませんでした。

そのときの荒馬は、何か悩んでいるんだなー 今後は少し気にしてみよう

と思ったのですが、

ここ数年、ただ溜息をつきたい時もあるのだと思うようになりました。

脳の酸素不足とか、そういう身体からの声なのかもしれませんし、

それこそ、正体は不明なのですが…

 

深呼吸と似ているけれど、

大きく吸って大きく吐く深呼吸と大きく吐くのみの溜息

似ているけれど違いそうです。

 

この現象って、誰にでも起こり得ることなのだろうか。

ただ溜息をつきたくなる

自分では溜息をつきたいだけ と思っていても、

その正体がはっきりしているのに気付いていない、

または、気付かないフリをしているだけなのか…

 

今日、気付くと声を出して大きな溜息をしていました。

そのことに自分自身でも驚くくらい。

 

その正体を後になって探れば、

まあ少しは心当たりもあるのですが…

 

感情や心が揺さぶられるほどのストレスを感じるような出来事ではないけれど、

ほんの少しだけモヤがかかっているような、

気がかりのような、そんなこと。

 

年齢を重ねるほどに、

言うべきこと

言わない方が良いこと

言うのを諦めたこと

そんな取捨選択というか、自分との折り合いの付け方というか、

そういう事だけが上手になっていくように感じます。

感情のままに行動していた若い頃とは違う行動。

これは、やはり衰えなのかもしれません。

 

なるべく平穏に保つ術

まだ自分の中でだけ留めておける程度のストレスや気がかり

諦めからくるものや、波風を立てないための術

私さえ我慢すればなんていう、自己犠牲ではありません。

それでも、

これを口に出して、誰かと共有する方が良くないっていうことありませんか?

 

言葉にして発した瞬間に、熱を帯びてしまって

感情やらが形作られ、増幅しかねない。

共感してもらったり、慰めや癒やしを求めるものもありますが、

結局それらは、やはり、負の感情なのだと思うと、

言葉にすることで、

誰かに背負わせてしまったり、誰かの心も負に巻き込んだり、

思ったような反応が来なくて、

余計に自分の中で収拾が付かなくなったり…。

 

あーたぶん、そんな出来事が自分の中で起こっているのですね。

何もないけどと認識しているのではなく、

何も無いということにしてしまっている。

何となくにも理由や発端があるんですね。

 

打ちながら、そんな気がしていました。

そうか、

荒馬の中で、今、何かがうごめいているんだ。

黒いものが。

しかも、1つだけではなくて、複数。

一つ一つが小さいから、それにすら気づけない。

 

大きなものであれば、気づくはずだし、

そんなことを思考する以前に、何かしら感じるはず。

 

そう、自分の中で完結できない事だから、

留まり、うごめき、気がかりになっているでしょう。

自分由来の出来事ではないんです。

誰かの何かが気になって、誰かの何かに怒っていて

それでも、

波風より平穏を取る方が1人のダメージで済むからなんだ。

 

あー、正体が見えてきましたよ。

感情の文字化って大事かも。

折り合いの付け方も見えてきましたよ。