荒馬のつれづれ日記

好きなことを、好きな時に徒然と綴る日記です。

2021年本屋大賞が発表になりましたね。

こんにちは。

毎年楽しみにしている本屋大賞が発表になり、

全ての本を読みたくなっている荒馬です。

 

荒馬、絵本を含めると月に10~20冊ほど本を読みます。

このミス大賞

本屋大賞

荒馬が興味津々の大賞です。

 

ミステリは、サクッと読めるので、

頭の体操代わりや仕事前のウォーミングアップに読んだりします。

お気に入りの作家さんの作品ばかり読むので、

新たな発見が欲しくて、受賞作品を数冊は必ず読んでいます。

続編が出ないかなーと期待したり、

他の作品を読みたくなったりして、とても愉しんでいます。

 

昨日は本屋大賞の発表でした。

ノミネート作品10作が発表になってから、

荒馬は3冊のノミネート作品を読みました。

他の作品は、

あらすじを読んだ時点では、手が伸びず…

荒馬がイチオシしていた作品は大賞を逃し、

手が伸びなかった作品が大賞を受賞していました。

書店員さんが推すなら、

その時には手が伸びなかったけれど、読んでみたくなります。

 

北海道に居る頃は、社宅に住んでいたので、

異動があるたびに引っ越しが必要となるため、

物を増やすことができませんでした。

読書好きの荒馬としては、毎回、苦渋の選択です。

手元に置いておきたい本の選択が…

秋田県に引っ越してからは持ち家になったので、

そこまで気兼ねしなくなりましたが、

とは言え、残したい本を買うことは変わらず…

 

ただでさえ、仕事としても使用する絵本の数が凄いので、

他の本は、精査するようにしています。

大賞作品は、図書館で借りて読んでみてから、決めようかな。

 

対象以外の他の作品も時間を見つけて、手に取ってみようかな。

素敵な出会いが見つかるかなー

楽しみ! 楽しみ!

 

52ヘルツのクジラたち

52ヘルツのクジラたち

 

 

 

お探し物は図書室まで

お探し物は図書室まで

 

 

 

犬がいた季節

犬がいた季節

 

 

 

逆ソクラテス (集英社文芸単行本)

逆ソクラテス (集英社文芸単行本)

 

 

 

自転しながら公転する

自転しながら公転する

 

 

 

八月の銀の雪

八月の銀の雪

 

 

 

滅びの前のシャングリラ

滅びの前のシャングリラ

 

 

 

オルタネート

オルタネート

 

 

 

推し、燃ゆ

推し、燃ゆ

 

 

 

この本を盗む者は

この本を盗む者は

  • 作者:深緑 野分
  • 発売日: 2020/10/08
  • メディア: 単行本
 

 

 

 

『フンころがさず』

こんにちは。荒馬です。

最近、小難しいブログが続いていたので、

久しぶりに絵本の投稿をしようかなーと思います。

 

「大人にこそ絵本を」を合い言葉にして、

主に大人向けに絵本講座や講演会をしている荒馬。

一人でも多くの人(特に大人)に、

絵本を手に取って読んでもらいたいと願いつつ、活動を続けています。

絵本は子どものための本ではなく、

子どもからでも読める・愉しめる本。

 

先日、北海道に居る頃にお世話になったお医者さんと、

久しぶりにメールでですが、会話をしました。

その時、荒馬の活動についても話をしたのですが、

「私もたまに自分のために絵本を読むんです。

 大人にも学びこと・感じることが多いと感じています。

 より深く読むことができるのです。絵本って凄いですよね」

と仰っていました。

 

まさにその通りなのです。

 

今日は新しい環境で緊張感のあるこの時期に、

少し自分を見つめることができる絵本をご紹介します。 

フンころがさず

フンころがさず

  • 作者:大塚 健太
  • 発売日: 2020/05/21
  • メディア: 大型本
 

自己肯定感を高める

自分自身を好きになる

他者の目線が気になる

そんな時にこちらの絵本はいかがでしょうか。

 

日々、フンを転がすフンゴロガシ

周りのみんなに変だと言われ、フンを転がすのをやめてやる…と

意気込むフンゴロガシ。

そこからのフンゴロガシの行動が笑えます。

その後、

出会ったキツツキから素敵な言葉をかけてもらいます。

さて、

フンコロガシはどうなるのか…

 

大人であれば、この内容を読んだだけで、

どんな話なのか、どんなエンディングを迎えるのか分かると思います。

しかし、これは絵本。

絵をじっくりと見ながら、改めて文章に目を向けてみる。

当たり前のことが書いてあるかもしれません。

当然です。

子どもが読んでも理解できる、わかりやすい言葉が使われているから…。

だからこそ、

短い文の中にちりばめられた言葉が心に突き刺さる

絵をみることで、一層、それが増します。 

スッーと入り込んでくるような感覚が起こることがあります。

 

絵本にはそんな力があるのだと思います。

 

同じ内容の話を絵のない長文で読んだり、

講演会などで話を聴いたりするのとは、また違う学びが生まれます。

 

自己啓発系の書籍も荒馬は好きなので、よく読みます。

そこから学ぶこともたくさんあります。否定する気はありません。

たまに、そこに絵本を投入してはいかがでしょうか?というご提案です。

 

一昔前、【自己肯定感を高める子育て】と声高に言われていました。

最近読んだ記事や本では、

【自己肯定感を高めるという名の子どもを追い込む親】

という内容を目にするようになってきました。

叱る技術

褒める子育て

毒親

ここ数年、様々な子育て論の提唱があります。

 

子育て中の方を対象に絵本講座もするので、

専門書やHow to本なども読みますが、

どれも正論を言っているようで、偏っているというか…

成功論というか…

子どもにも親にもタイプがあって、

そのタイプによって手段や方法は変わってくると思いますが、

トレンドの子育て論の通りにやらないと…と気負ってしまう人も多数。

 

よく言えば子育てに真面目に真摯に向き合っているのですが、

[良い塩梅][良い加減][ゆるさ]が足りていない気もしています。

荒馬自身が手を抜きすぎて、テキトーだっただけかもしれませんが…

案外、親があれこれと心配して手や口を出すより、

任せてしまう方が、ラクだし、効果的なこともあるんですよね。

 

最近思うのが、

親は【待つこと】【任せること】【見て見ぬふりすること】が

大切だなーということ。

そして、

これが非常に難しいことであるということ。

それこそ、程度問題で、どこまでやって、どこでやめるのか

加減がつかめません。今でも。

 

荒馬の場合は、

自分の好きなことを存分に楽しむようにしています。

読書・バイク・クロスバイク(最近始めた趣味です)

もちろん仕事も…。

 

詰め込んで余裕が少ない方が、意外と丁度良い気もしています。

 

今日ご紹介した絵本。

子育てにも(子どもにも)良い意識付けにはなりますが、

中学生以上に皆さんに手に取って頂きたい絵本です。

絵本は10分程度で読み終えられるものばかり。

1日の中で寝る前の10分を絵本に使ってみる…

そんな過ごし方も悪くありませんよ。

 

 

苦手なことは苦手なままでも良いけれど、自分なりの【楽しみ方】を見つけたいとも思う

こんにちは。

苦手なことが少しずつ楽しくなり始めている荒馬です。

 

小凡師くんが、高校生になりました。

小小凡師くんは、小学5年になりました。

月日が経つのは本当に早い。

5年・10年過ぎるのが、実に早い。

 

4月から、お弁当作りをしています。

給食って、有り難い。心の底から感謝したい。

と同時に、[高校生にも給食を]と叫びたいくらいです。

今年度から凡師さんにもお弁当を作っています。

2人分のお弁当を作っているわけですが、

少しずつ[楽しさ]を見いだせるようになってきています。

と言っても、まだ1週間程度ですが…

 

荒馬、料理が好きになれません。

苦手ではなく、

嫌いではなく、

好きになれない。

これって、けっこう大きな差なんです。

どこに差が生まれるのかというと、私見ですがモチベーション維持

 

共働き家庭で育った荒馬は、小学生の頃から、

食事作りくらいは手伝いをしてきました。

1人で作ることもしばしば。

周りの人達がどのくらい家の仕事をやってきていたのか分かりませんが、

荒馬は、やっていない方だと自負しています。

それでも、

荒馬母は、独り立ち思考の高い荒馬に最低限の家事を根気強く教えてくれていました。

家から出て自立したいなら、[1人で暮らせる知識と力]を付けなさい。

これが、「少しはお手伝いしなさい」だと、全くやらなかったと思います。

荒馬母、当たり前と言われるかもしれませんが、

娘のやる気スイッチを見事に熟知していて、

タイミングも使う言葉も素晴らしかったです。

 

一通りできるようにはなりましたが、

家事というのは、得意不得意とか、好き嫌いじゃないのかもしれませんね。

もちろん、

お金で解決できることでもありますが、

これは住む場所や環境によって違いもあります。

できないより、できる方が

案外、コストダウンできたり、ラクだったりすることもあるものです。

これも個人差や価値観の違いでしょうか。

荒馬はそう思う ということで…。

 

ただ、[楽しさ]を見いだすのは、少々時間が必要。

そもそも、楽しさを見いだす必要性も絶対ではありません。

特に家事においては…。

お金で解決しない選択をするなら、

誰かがやらなければいけない事なのです。

一人暮らしなら自分しかいません。

家族で暮らしているなら、分担という方法もあるでしょう。

 

話が逸れてきていますね。

お弁当の話に戻しましょう。家事についてのあれこれは、いずれまた…。

高校には食堂や弁当販売がないというのは、

以前から聞いていたので、どこの高校へ行こうと自宅から通うのであれば、

お弁当作りが待っているというのは、理解していました。

 

小凡師君が保育園に通っていた頃は、

お弁当を作るという機会がとても少なかったのです。

幼稚園に通っている家庭では、割と頻繁にお弁当だったそうですが、

そのあたり、保育園と幼稚園の違いなのでしょうか。

小学生・中学生の頃は、そもそも給食が基本なので、

作るのは、本当にたまに。

北海道よりも秋田県のほうが、お弁当の回数が多いのは、

なにか地域による事情の違いなのでしょうか?

 

とは言え、毎日のことではなかったので、

お弁当作りのスキルが荒馬は低いのです。

料理を作ることとお弁当を作ることは、似て非なるもの。

作ってお皿に盛り付けるというのが、こんなにもラクだなんて。

お弁当は、

盛り付けにもスキルと経験が必要です。

そして、

食べる頃には冷めているお弁当に適したおかず・味付けというのがある。

出来たてで食べることと、数時間後に食べることにも違いがあるのです。

 

いやっ、当たり前じゃん

と仰る方もいるかもしれませんが、なかなか奥深いですよ。

嫌で嫌でしかたなかったのですが、(早起きもしないといけませんしね)

そこで荒馬、ふと思ったんです。

 

嫌々作る人の料理(お弁当)を誰が食べたいと思うのか…と

 

荒馬は食べたくない。

「あー面倒」「作りたくないわー」と思いながら作る人の料理を…。

 

それを自分自身がしようとしていることに、

凡師さんと小凡師くんへの申し訳なさが膨らんでしまいました。

新生活に目をキラキラさせ、ワクワクドキドキの高校ライフを送る小凡師くん

日々、馬車馬のように働きづめの凡師さん

互いに家の外で、様々な戦いをしている2人に、嫌々作った弁当を食べさせるなんて…

少しでも、

お弁当の時間がホッとしたり、落ち着く時間になって欲しいと

妻・母としては、思うわけです。(心ばかりの愛情と言うのでしょうか)

 

まずは向こう3年間、お弁当作りが続きます。

そのモチベーション維持のために、ポイントカード制の導入も考えました。

とても美味しかった日はポイントをもらえる。

男衆が設定したポイントが溜まったときに、ご褒美をもらうとか…

提案してみたら、あまり良い返事がもらえず…。

ですよね。

荒馬にだけ都合の良い制度なのですから…。

 

これは、自分で自分のモチベーションを保ったり、作らねば!と、

毎日、男衆が帰宅した後には、

味や量について、意見をもらっています。

そう、【お弁当を研究する】という仕事にすることにしたのです。

お世辞や気遣いは無用にし、

研究だから、正直に教えて欲しい。

必ず、今日よりも明日の弁当を美味しく仕上げます!

そして、

2人にとっては、最高の弁当だと思わせたいとすら!

 

その手の知識がないので、

味を濃いめにしましょうと言われても、

彼らの好みの味なのかまでは、レシピにはありません。

これは、実践あるのみなのです。

 

2人とも「今日も美味しかったよ」としか言ってくれないので、

嬉しいけれど、研究しごたえのない治験なのですが…。

味はさておき、

みんなが寝た後に下準備をして、早起きして弁当と朝食を作っている

その労力への感謝のほうを優先してくれているのだと思います。

優しい男達です。ありがとう。

 

先週末くらいから、

「あー明日は何を作ろうかな」

「そのためには、夜のうちに○○をやっておくと良いなー」と

計画を立てて、取り組めるようになってきました。

あと2・3ヶ月もすると、買い物のしかたも上手になってくると良いのですが…。

Instagramで、お弁当に関するハッシュタグを眺めているのですが、

本当に楽しそうな美味しそうな投稿が多く(実際は知りませんが)、

料理やお弁当作りが好きで、楽しさを見いだしている人を見ると、

羨ましいというよりも、凄いなーと思っています。

 

人の好き嫌い・価値観は様々だから、それは良いとしても、

苦手でも嫌でも、避けて通れないことが多くあります。

嫌々それに取り組んでいるのは、自分で自分を虐めているようですし、

逃げられるなら、避けられるのなら、迷わずそうすれば良いとも思うのですが、

荒馬はとりあえず、

逃げたり避けたりするほど、料理やお弁当作りが嫌じゃない

ということに気づけました。

「好きです」「得意です」とは言えないけれど、

それなりにならできます くらいでしょうか。

 

時間が経過し、習慣化することで楽しさを見いだせるようになることも

存在するのかもしれません。

 

そういえば、

ずっと興味を持てなかったゲームも、やり始めて、ある程度経つと、

楽しくて仕方ない領域にいくこともありますよね。

荒馬の場合は、モンスターハンターシリーズなのですが…。

ゲーム自体、あまり興味が無かったけれど、

あの時は必要に迫られて始めたんだったなー

今では、新シリーズが発売されるたびに購入し、

やりこむようになりました。

 

自分でも何が向いていて、何が不向きなのかは、

いくつになろうが、分かっているようで分かっていないのかもしれません。

それなら、

とりあえず、やってみようかな と荒馬は思うわけです。

 

おーーー、今日は長い。

こんなに長くかけるのも、日記ブログならではですね。

読む人がいても、いなくても、備忘録のように書き留める。

これもまた良きですね。

令和3年度の仕事を始めるに当たって…

こんにちは。

5月から今年度の活動をスタートさせる荒馬です。

 

3・4月は母親として大忙し時期なので、

例年、仕事は極力入れずに過ごしています。

5月からゆるりと活動をスタートさせるのですが、

今年度も引き続き、コロナウイルス感染予防が最優先ですので、

ご依頼頂いた仕事も、延期や中止になるかもしれませんが…。

それでも、

少人数開催という形で、予防対策を万全にした上で、

対面式での開催を続けています。

 

オンラインでの開催をしないのは…

昨年度のステイホーム期間中、

動画アプリなどによる読み聞かせの配信、

荒馬が行っているような、読み聞かせを取り入れたグループワークを

ZOOMなどで開催するという、

オンラインでの形が非常に盛んになっています。

盛んどころか、それが、定番になってくるのだとも思うのですが……

絵本の著作権使用許可申請が下りにくいという現状があります。

芸能人の皆さんが動画配信をしている際は、

しっかりと許可申請を取っているのですが、

使用許可申請を取らずに、朗読や読み聞かせ・講座を行っている人も

多くいらっしゃるというのが現状だそう。

それ故、

しっかりと使用許可申請をしている人にも、厳しい状況に。

 

基本的には主催者の方々に使用許可申請をして頂いているのですが、

荒馬自身が行うことがほとんどです。(知らない人が多いのです)

色々と書きましたが、

ハードルが高くなり、許可が下りず、絵本を入れ替えてプログラムを組み直す

という作業が、面倒というのも理由の一つです。

対面式で行った場合はOKでも、オンラインではNGというのが多いらしいです。

 

新しい生活様式を取り入れる必要性も感じているのですが、

古いアナログ人間の荒馬には、まだ抵抗があるのです。

会議ならアリだとは思うのですが、

初対面の方々とグループワークを取り入れたオンライン形式は難しいです。

いえ、できるんです。可能なんです。

慣れてしまえば、そっちの方がラクだということも…。

面倒だし、抵抗がある…

迷っている時はやらない

それが荒馬の行動の源です。買い物も然り。迷っているなら買わない。

自分にGOサインが自信を持って出せない時に、スタートすると、

周りの皆さんにも迷惑がかかりますよね。

 

おそらく、秋田県が、他県と比べて感染者数が少ないというのも、

荒馬の危機感を薄めたり、必要性を下げていることも分かっているです。

しかし、

絵本セラピーは、対面形式の方が、より多くの得られるものがある…

そんな抽象的なことに捕らわれているのかもしれません。

空気感というか、臨場感というか…

 

もっと広い世代にオンラインが浸透してきた時には、

荒馬もオンライン開催をしてく予定です。

今は、対面形式での開催を行っていきます。

まだまだ、ご依頼は少ないのですが、

頂いた仕事は、きっちりかっちり準備を進めて参ります。

 

3・4月は、アップデートと整理とインプットの時期。

常に自分の持つ知識やスキルは古くなっていきます。

磨いて、注入して、詰め込んで、情報の取捨選択をして、

自分の物にする

そんな時期です。暇だと思われているのが癪ですが…

 

家で仕事をするというのは、

在宅ワークが浸透していない地域では理解が得がたいです。

荒馬にとっては、

外での仕事もありますが、在宅ワークもあります。

在宅ワークの最大のデメリットは、

常に邪魔が入るという点。特に長期休業中だったこの時期は…。

「よし、やろう」

「いえーい、ノッてきたぞー」

という時に限って、仕事モードを砕かれます。

 

文句を言ったところで、

他に誰もやる人がいないので、やることはやって、その後に仕事…

という順位になります。

気まぐれで、やったりやらなかったり 自分の意思だけで動けるって、

本当に素晴らしいことです。

しかし、

必ず尻拭いをしてくれている人がいることを忘れてはいけませんよね。

 

その時期も、もうすぐ終わります。

通常モードがスタートすれば、挽回できます。

来月の始動に向けて、準備も本格化します。

 

 

音の記憶 音の感性 心の耐久性を考えてみた 

研ぎ澄まされていた「音」の感覚や感性が

鈍っていく自分が悔しくもある荒馬です。

それと同時に、

音の記憶により、心の耐久性を知ることになるなんて…

 

ひょんなことから最近はこちらを再読しています。 

ちはやふる(1) (BE・LOVEコミックス)

ちはやふる(1) (BE・LOVEコミックス)

 

そう、競技カルタを題材にしたコミック

アニメ化も映画化もされた作品です。

 

荒馬は北海道出身

競技カルタの文化はありませんでした。

同じようなルールで行う競技カルタはありますが、

下の句カルタと呼ばれるもので、札も木札です。 

 新品は売っていないのか、探しても中古品ばかりでした。

北海道に行けば、売っているのだろうか…。

その文化も廃れてきたのだろうか…。

 

荒馬は小中学生の頃に、この下の句カルタの競技カルタをやっていました。

北海道全体の大会(全道大会)に出て入賞した経験があります。

この当時は、自分で言うのもなんですが、

本当に耳が良かった。

ちはやふる』の千早とまではいきませんが、

読み手の声を聞き、次の札が読まれる直前の息づかいによって、

次に来る札を予測することができました。

あれは訓練ですね。そして、やればやるほど、精度が上がってきます。

敵陣の札を抜いた時の爽快感は忘れられません。

 

全国版の競技カルタを知ってからは、微妙なルールの違いがあり、

似て非なるものなのだと分かりましたが、それでも同じカテゴリです。

 

耳の良さは、音楽にも大事なもの。

ちょうど競技カルタをやっていた頃は、エレクトーンを習っていた荒馬

相乗効果で、カルタも音楽も存分に満喫することができました。

耳コピが得意で、一度聴いた音楽を演奏するのが大好きでした。

 

小凡師くんも小小凡師くんも、耳が良いほうだと思います。

音楽が好きというのもありますが…

だからこそ、イヤホンやヘッドホンは極力避けて欲しいなと思っています。

TVなどの音量なども含めて…。

 

年齢と共に衰える聴力

その他にも生活環境によって「耳の良さ」(聴力だけに限らず)

変化するものです。

生活音が最たるものでしょうか。

言葉遣い・動きの丁寧さなどによっても、耳の良さ・耳の感性は変わります。

生活音というのは、地味にストレスになるものですよね。

心地よい物音と不快な物音が存在します。

これは人によって違いがあるものだとは思いますが、

ドアの開け閉め・食器の扱い方・動作のドタバタ音

パソコンのキーボード・家具全般の使い方などなど

挙げればキリがありませんね。

 

物を丁寧に使う・所作を綺麗にする

それだけでも大きな違いが生まれると思っています。

よく[育ちが分かる]という表現をしますが、

言葉遣い・所作・物の扱い方は顕著に現れると思っています。

物を持たないシンプルな生活というより前に、

暮らし方の一つとして、大事なポイントなのだと思います。

 

聴力は最初に育ち、最期まで残っている感覚だと言われています。

生まれてから亡くなるまで、多くの音や声を耳にしますが、

1つでも多くの綺麗な音や声を聴いていたい

そんな風に思っています。

 

先日も自慢話という名の文句をたくさん耳にしました。

自分に関わる内容だっただけに、精神的ダメージもありましたし、

耳にも残る「不快な音」として、頭の中に記憶として残ってしまいました。

負の連鎖というか、フラッシュバックというか、

過去に耳にした「不快な音や声」の記憶を思い出し、

年度末の忙しさも重なって、精神的な落ち込みが著しかったです。

自分自身でも驚くほどに…

もう聴きたくない。だから、そういう場を避ける防衛策を取り、

同時に思い出した「不快な記憶の音」も抹消すべく、

荒馬にとっての心地よい音の上書きをしている最中です。

 

声の記憶・音の記憶は、映像の記憶でもあるので、

何年経っても残るものですね。

学生時代の不快な記憶

7年ほど前の不快な記憶

この2つが強烈に残る不快な記憶として呼び覚まされてしまいました。

 

耳の感性を磨いて、上書きをしないと、

年齢と共に衰えるのは耳だけでは無く、心もかもしれません。

心の耐久性が落ちていることに気付きました。

大人になると、嫌なことを避けるのが上手になるが故に、

耐久性がどんどん下がっていくのですね。

心と筋肉は鍛えなければ!

音の感性も鍛えられるのだろうか。

耳の良さは?

せめて、生活の中の音に気を遣い暮らしていこう。

 

 

 

家庭以外で作られていく「普通」「当たり前」が厄介な時もある

こんにちは。

周り(学校や友人など)によって、

ガチガチの価値観が作られるのは、少し厄介だなと感じることがあります。

 

様々な調査などの結果、

人の性格の半分は遺伝で、もう半分は環境によって形成されるそうです。

価値観は、

社会的価値観のベースは、およそ10歳までに形成され、

その後は集団の中で作り上げられてくるとか…

 

秋田県に来て、周りの人と話していると、

「普通は」「○○が当たり前だから」という言葉をよく耳にします。

小凡師くんも、クラスメートから

「普通は○○だよ」「○○が当たり前なのに」という言われ方をするらしく、

違和感を感じると言っていました。

 

田舎に行けばいくほど、それが強いのかもしれません。

狭い世界の中で、数少ない人間関係の中で暮らしている人と言った方が、

良いのかもしれません。

 

荒馬もモヤモヤと違和感が募っています。

荒馬は40数年生きているので、それでもまだ、

周りの言葉によって判断基準が歪められるようなことはありません。

自分で考え、判断が可能です。

時には、郷に入っては…というのも必要かもしれませんが、

全てにおいて、そうする必要は無いとも思っています。

 

対して、小凡師君にはもう少しだけサポートが必要だと思っています。

中学校を卒業した小凡師くん。

友人達との中学校生活全般は楽しかったようですが、

小さな価値観の押しつけや多様性の欠如に、

モヤモヤしたり、イライラしたり、戸惑いが見られました。

15歳やそこらで、すでに価値観の固定が見られている。

これは、

小凡師くんの友人に限らず、学校現場にも見られるので、

さらに憂いを感じます。

 

田舎特有の世話焼きが中学生にも多く、

あれこれと教えてくれるそうですが、

「基本、上から目線の上に、それぞれの価値観を押しつけてくる」

「なんか、小姑みたい」

と家では本音を吐露していました。

「僕はそう思わないから、伝えると、変わってるねと言われる」

「たまに先生達も、それじゃダメだと言うんだよ。

 ダメってことはないじゃん。色んな人が、色んな考え方があっても良いのに…」

 

基本、学校現場は万能を求めます。

全て上手にできないとダメという価値観。

北海道に居た頃は、そんなに強く感じていませんでした。

しかし、秋田県は、強すぎます。

学力は高いけれど、その他の部分では課題が多い気がしていますが、

一番の課題は、

誰もそれに疑問を抱いていないという点でしょうか。

授業ひとつとっても、アップデートされておらず、古い体質。

何より驚いたのが、道徳の授業

教師による価値観の植え付けが多くて、驚きを通り越して恐怖でした。

 

幸いなことに、小凡師君は家庭でその話をしてくれるので、

「小凡師くんはどう思う?」と問いかけることができますし、

学校が多様性について一切触れないのであれば、家庭でやれば良いだけ。

「普通」「当たり前」の呪いだね といつも言っています。

細かなことまで、突っ込まれるそうで、

それについても、都度都度、フォローをしています。

 

あー、こうやって「みんな」理論が生まれてくるのだな。

その現場を目の当たり人した気分です。

自分がそういう環境で育たなかったし、

教師になっても気をつけていた部分だったので、

まさに青天の霹靂レベルです。

 

早いうちに、一度、外の世界に出て欲しいな。

多くのものを見聞きして欲しいな。

そんな事を強く強く感じます。

 

大人達の場合は、時すでに遅しかもしれません。

一度植え付いてしまった価値観を変えるのは難しいので。

それでも、若者達は、逆に苦労するかもしれません。

この先も、ずっとこの地域に残るのであれば、大きな問題はないかもしれません。

(本音はどうかと思うけれど…)

しかし、今後、この地域を飛び出していくのであれば、

多様性の欠如は非常に危うい気がします。

特に、昨今、多様性がより多様になっているので、

昔ながらの価値観

小さなコミュニティのみで培われたものが

本人達を苦しめることが起こり得ます。

 

自分の子どもだけ良ければ…と思っているわけではないけど、

まずは、小凡師くんの思考や価値観をガチガチからカチカチへ、

カチカチからユル~へ変化できたら良いなーと思っています。

地元の高校へ進学が決まったので、

もう少しだけ自宅で一緒に過ごせるので…

 

二十四節気が自然と意識できる土地

こんにちは。

秋田県に来てから四季・二十四節気を意識するようになった

荒馬です。

 

以前まで住んでいた土地は、四季というより二季という印象が強い場所。

10月下旬から5月初旬までは、雪が降り、

夏場も平均気温が20℃前後(寒い日は13℃ 暑い時は27℃くらい)

真夏ですよ。

それに加えて、毎日の強風(体感気温が下がるんですよね)

 

海は綺麗だし、海鮮は美味しいし

裏表のない人柄の人が多いし、育った場所ですから大好きです。

今すぐにでも帰りたいくらい。

 

秋田県に来てから丸4年が経とうとしていて、

生活にも慣れ、景色も見慣れてきました。(田舎の中の田舎、最高ですよ)

二十四節気の訪れと、ほぼ合致する景色が広がります。

今日は啓蟄

道路の雪はすっかり溶けて、脇や田んぼにはまだまだ雪が残りますが、

草や虫たちが顔を出しています。

気温もプラス気温が推移するようになっています、

(北海道は、積雪が多くて、まだまだ寒いんだろうな-)

 

新聞などには必ず掲載される二十四節気

日々に忙殺されて、意識している人は少ないかもしれません。

たった5分でも、いえ、2分でも良いので、

外に出て、前後左右上下もくまなく、観察してみると、

季節の訪れと終わりを見ることができます。

 

そんな今日はこちらの絵本です。

 

富士山うたごよみ (日本傑作絵本シリーズ)

富士山うたごよみ (日本傑作絵本シリーズ)

  • 作者:俵 万智
  • 発売日: 2012/12/20
  • メディア: 単行本
 

 二十四節気と短歌が載っている絵本です。

全てのページに富士山が載っていて、様々な色づけや模様付けがされています。

素敵な絵本です。

 

田舎の中の田舎に移り住んだことを不思議がる人もいます。

嫌がる人もいます。

楽しいことばかりではないし、どう頑張っても受け入れがたいこともあります。

好きになれない部分もあります。

不満だってあるし、泣きたくなることもあります。

それでも、

外に出て、景色を見渡すと気持ちも晴れてきます。

 

そろそろバイクに乗れるシーズン。

今年は、膝のリハビリも兼ねてクロスバイク(自転車)にも

乗り始めています。

開放感たっぷりの景色の中、

風を感じて、匂いを感じて走るのは気分が良いです。

 

公平と平等についてずっとモヤモヤしている

こんにちは。

何が正しいのか分からないけれど、

分からないからこそ、モヤモヤとしている荒馬です。

 

我が家の小小凡師くんは医療的ケアが必要な重度心身障害児です。

出産時のトラブルによるもので、重度の脳性麻痺が残りました。

脳性麻痺と言っても、人によって様々です。

それを、障害児という一括りにすると、一層、複雑で様々です。

 

障害に限らず、ここ数年[公平と平等]について実によく考えさせられます。

種類を上げれば多岐にわたり、どの部分にもそれぞれの言い分があるのだと思います。

そこまで詳しく調べたり学んでいないので、限定的ですし、私見ばかりです。

 

小小凡師くんは、特別支援学校に通っています。

公立(市町村立)小中学校は普通級・支援学級と分けられています。

その他に都道府県立学校として、特別支援学校があります。

秋田県に来てから感じるのが、

この普通学級・特別支援学級・特別支援学校の線引きが非常に曖昧だということ。

全ての都道府県の学校現場に調査したわけではありませんが、

少なくても私が知っている範囲で言うと、

あまりにも特別支援学校が軽視というか、便利屋扱いされていると感じています。

特別支援学級を開設している学校も少なく、

開設していても児童生徒数が少ないです。

そして、特別支援学校に転校してくる割合が非常に多いです。

教育委員会・教師は特別支援学校について、しっかりと説明をしているのかな。

そんなことを感じたりする場面を、特別支援学校保護者として感じます。

特別支援学校はカリキュラムが異なるので、

高等部まで在籍していても、高校卒業認定とはちょっと違います。

中学部から、就労に向けて、校内外で実習を行います。

保護者はしっかりと理解した上で、通う決断をしているのだろうか。

 

特別支援学校の中でも、知的・肢体不自由など様々な児童生徒がいます。

さらに、小小凡師君のような医療的ケア児もいるわけです。

学校生活はどこも集団生活です。

それは十分理解しています。

荒馬は元教師です。支援学級の担任を務めた経験もあります。

 

障害児の保護者になってみて、さらに重度心身症児の保護者になってみて、

平等って何だろう?

普通って何だろう?(普通という言葉を使ってはいますが…)

と考える機会が多くあります。

心身共に健康な人たちの自己満足に見える時もあります。

 

平等いう名のナイフを突き立てられている感覚は何度もあります。

角度を変えると、[平等]はナイフにも思いやりにもなるものですね。

それは、感じ方の角度も含めてです。

インクルーシブ教育とか共生の社会という言葉が、

非常に一人歩きしているように見えてきます。

少しだけ勘違いの方向を向いていないだろうか?

そんな風に感じることも…。

 

何でもかんでも、同じ土俵に上げれば良いというわけではありません。

下図のイラストは、ネット上でよく見られるものです。

左の2つだけという記事もありますし、

[現実]という右図も入ったものもあります。

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よく分かるんです。理想と現実が。

小小凡師くんが生まれて10年。

荒馬の生活環境が大きく変化し、同時に物の見方が大きく変わりました。

これまで、知らなかった(見ようとしなかった)こと知らないフリをしていたこと

そこを直視しなければいけなくなった状況。

家を一歩出れば、あちこちに存在しています。

 

荒馬自身もそうなのだと思いますが、

結局のところ、自分が一番カワイイというのが土台にあるんです。

そして、

社会的に弱者の立場である人達も様々だというのも…。

やってもらって当たり前と思っている人

ひたすら方々に謝っている人

立場を利用し我を通しすぎる人

遠慮しすぎる人

学校でも病院でも役場などでも、その他の場所でも、

それに対応する人達の大変さは理解しているつもりです。

個に応じた対応には限界があるのも理解しているつもりですが、

それでも、

「ここは一括りにしちゃダメじゃない?」

「むしろこころは、一括りで良いだろう」

これを行ったり来たりです。

 

今、多くの場所で[平等と公平]がフツフツと煮立とうとしている気がします。

様々な場所で、様々な種類の[差]

どちらかを立てれば、どちらかが…というのを、あちこちで目にします。

 

公平と平等を、今一度、学び確認する時期なのかもしれません。

先日、あるテレビ番組で大正・昭和初期の頃が取り上げられた番組を観ました。

その時代の人達の多くは亡くなっているかもしれませんが、

その人達に育てられた子ども達が、今、後期高齢者

10代の子ども達が生きている世の中とは、

それこそ[普通]が大きく違う時代

多くの世代が生きている現代で、全員が幸せというのは無理なのでしょう。

しかし、

互いに理解し、歩み寄ることはできます。

そのためには、

互いの[普通]を理解するための学びが必要です。

 

様々な立場の人達の声を聴きたいな。

正解は出ないけれど…

 

昨夜『にじいろカルテ』というドラマを観ました。

みんなそれぞれ[山あり谷あり][激動のストーリー]を抱えていて、

[普通][何もない]と思っている人がいて、

その[普通]であることが自分を苦しめている人がいて。

ドラマを観てもスッキリ解決はしないけれど、

荒馬自身も小小凡師くんに関して、

見ないようしていた現実を目の当たりにして、悲しく落ち込んでいたので、

いやむしろ、

「あー、吹っ切ってはいなかったんだ。私。」

「本当はまだ引っかかっているんだ。私。」

と気付かされたというか。

 

冒頭でも書いたように、モヤモヤしているだけで、

正解も何も分からないし、出す必要もないと思っています。

でも、何かにぶつけたくて、

ブログに書き綴ってみました。

 

1日中眠い いつでもどこでも眠れるくらい眠い

こんにちは。

十分寝ているのにずっと眠い荒馬です。

 

基本的に怠け者です。

何もしなくても良いなら、ずっと寝ていたい。

独身の教師時代、

休日の部活が無いときがありました。

こんなチャンスはめったにない!と、

前日の夜までは色々と計画を考えました。

まずは、

仕事を一切しない。

そこまで考えて、思考停止。

再び思考が始まったときには、

「こんなチャンスはめったにないなら、思う存分寝ていよう」

という思考回路に変更。

 

かくして、いつもよりも早めに布団に潜り込み就寝

目を覚ましたときは、あたりは真っ暗。

「おいおい、ずっと寝ていようと思ったのに、まだ夜中じゃん」

それにしては、何かが違う。

空腹具合・身体の重さ

リビングへ行き、TVをつけると、番組が入っている。

夜中なら放送は終わっているはず。

 

昔は、今のように番組表機能がTVに搭載されてしないし、

新聞は購読していないので、

今が、何曜日の何時なのか????

携帯をチェックすると、友人や家族からの連絡が数件。

そこから察すると…そう、休日の夜でした。

20時間ほど寝ていたことになります。

 

後にも先にも、これほど時間を忘れて寝たのは、

あの時だけでした。

 

今は、結婚をして、子どもがいる身になりました。

そうなると、自分の思いだけでは時間を過ごせなくなるもの。

それでも、

荒馬は世の妻・母である女性と比べれば、甘やかされています。

 

この眠たさの原因は何かは分かりません。

とにかく眠い。十分に睡眠を取っているのに眠い。

さらに、

荒馬は幼い頃から、とにかく夢を見ていました。

鮮明に覚えているほど、たくさんの夢を一晩で。

リアルな夢

ファンタジー仕立ての夢

小説や映画・ドラマなどの続きを観たり…

自分が観たいと思った夢を見られるときも。

 

ですので、寝る前は妄想タイムを設けてから寝ています。

割と高い割合で、そのまま夢を見られます。と同時に寝ています。

しかし、

夢を見ている時は、浅い眠りらしい。

 

ということは、寝不足になっているのか。

それに加えて、加齢という抗えない状況もあります。

今日は特に辛かったです。

一日中、頭と身体が重くて、とにかく寝たい。

同じ姿勢を一定時間保つと、オチそうになります。

今の荒馬は、(ここ10年くらいずっと)

「今日は早く寝よう」ができません。

小小凡師くんのケアがあるため、どんなに早くても0時を過ぎないと、

布団に入ることができません。

23時半くらいまで、仮眠をとることもありますが、

そうなると翌日がとても辛いので、あまりしないようにしています。

0時に布団に入れたとしても、

途中、何度か起きることになります。これも小小凡師くんのケアのため。

 

よく早起きを推進する記事を見かけますが、

荒馬にはちょっと厳しい。

今は起床してすぐに朝食を作ります。そこである程度、脳が目覚めてくるのですが、

それでもボーッとする時は、

男衆が朝ご飯を食べてから、出かけるまでの30分ほど、

二度寝をしています。

 

その後、小小凡師くんを学校へ送りと届けて、

仕事場へ出向いたり、家で仕事をするのですが、

学校へ迎えに行くまでの時間、自宅で過ごせる時には、

思い切って寝るようにしています。

それなのに、

とにかく眠い。眠すぎる。

 

年を取って、体力が落ちているからなのか、

ただただ怠け心が働いているからなのか、

慢性的な寝不足によるものなのか…

 

とにかく眠いので、明日、辛くなることを覚悟して、

これから少し仮眠をとろうと思います。

強風が運んできた地元への懐かしさ

こんにちは。

思いがけず、地元を思い出して嬉しくなった荒馬です。

 

爆弾低気圧の影響で昨夜から強風が吹いています。

荒馬の住む地域では、風が強いだけでしたが、

同じ県内でも地域によっては、

停電が起きたり、家屋破損があったり、

交通機関が麻痺したり、臨時休校になったりと、

朝から大変なようでした。

 

医療的ケア(痰吸引)が必要な小小凡師くんは、

スクールバス乗車ができないため、荒馬が毎日、学校へ送迎しています。

学校へ着くと、

先生や保護者、児童生徒達が

「ひどい風だ」

「寒いし、風は強いし、逆戻り」と、

口々に言っていました。

荒馬と小小凡師くんは、他の人たちほど動じません。

というのも、

以前住んでいた北海道北部は、

毎日、今日のような強風が吹き荒れている場所だったから。

もちろん、4年も経てば、身体が忘れ始めているのですが、

一度、体験したものは、記憶として残るので、

周りの人たちほど、驚きなどは起きませんでした。

 

ここは秋田県内陸部

確かに強風が吹き荒れるのは、とても珍しい。

対して、北海道北部は、

四季を通して強風(暴風)が吹き荒れます。

おそらく、今日はとても大変なことになっていたのでしょう。

 

家から出て、

車から出て、肌と身体で感じる強風

風に運ばれてきたのは、

愚痴や文句でもなく、

冬に逆戻りの気温でもなく、

遠く離れた地元の感覚でした。

懐かしい

嬉しい

木々が揺れて、ゴーゴーと鳴り響き、

建造物が鳴らす聞き慣れない音が響き、

大人でも「怖いね」と言っているのを横目に、

荒馬は、ニヤニヤしてしまいます。

(不謹慎ですね)

 

それでも、とても心地よくて、懐かしくて、嬉しかったのです。

何事も感じ方・捉え方ですよね。

今日は、マイナスを受け取らなかっただけかもしれませんが、

とても良い心地がしました。

 

そんな今日は、こちらの絵本をご紹介(おっ、絵本紹介も久しぶりです)

 

かぜ

かぜ

 

 

風がどこから吹いてくるか見に行こうと、姉弟が歩いていきます。

途中で出会う人・動物

風に喜んだり、愉しんでいたり、嘆いたり、文句を言ったり、

感じ方は様々

風の音に耳をすませて聞こえてくるもの。

風が運んできてくれたものや香り

そんなことが描かれた絵本です。

 

 

ふと空を見上げると、青空と曇り空が混在していて、

強風の時に空を見上げるのが、好きだったなーと思い出しました。

雲の動きが速いので、めまぐるしく変化する空や雲が、

ただ面白かった。

窓からの景色が良い場所に住んでいたので、

こんな強風の日は、ボーッと空を見つめていたなーと……

 

今の家は、窓からの景色が良くないので、

外に出て、何歩か歩かないと、空を見渡すことができません。

こちらに来てからは、車から見える空が多くなりました。

 

杉の木が大きく揺れる景色は、北海道ではなかったので、

新鮮です。

そもそも杉の木が新鮮。

真冬でも緑色は変わらず、季節が変わろうとも、

俺は変わらずここに居るという強さを感じます。

(花粉に悩まされているので、勘弁して欲しいですが)

 

明日も引き続き警戒が必要な天候のようです。

今月は、絵本セラピーや講演会の予定は、もう入っていないので、

次の仕事に向けて、家でお仕事&勉強タイムが続きます。

時間に余裕を持って、心に余裕を持って、

風の音に耳をすませて、何を運んできてくれるのか期待しながら、

過ごそうと思っています。