荒馬のつれづれ日記

好きなことを、好きな時に徒然と綴る日記です。

公平と平等についてずっとモヤモヤしている

こんにちは。

何が正しいのか分からないけれど、

分からないからこそ、モヤモヤとしている荒馬です。

 

我が家の小小凡師くんは医療的ケアが必要な重度心身障害児です。

出産時のトラブルによるもので、重度の脳性麻痺が残りました。

脳性麻痺と言っても、人によって様々です。

それを、障害児という一括りにすると、一層、複雑で様々です。

 

障害に限らず、ここ数年[公平と平等]について実によく考えさせられます。

種類を上げれば多岐にわたり、どの部分にもそれぞれの言い分があるのだと思います。

そこまで詳しく調べたり学んでいないので、限定的ですし、私見ばかりです。

 

小小凡師くんは、特別支援学校に通っています。

公立(市町村立)小中学校は普通級・支援学級と分けられています。

その他に都道府県立学校として、特別支援学校があります。

秋田県に来てから感じるのが、

この普通学級・特別支援学級・特別支援学校の線引きが非常に曖昧だということ。

全ての都道府県の学校現場に調査したわけではありませんが、

少なくても私が知っている範囲で言うと、

あまりにも特別支援学校が軽視というか、便利屋扱いされていると感じています。

特別支援学級を開設している学校も少なく、

開設していても児童生徒数が少ないです。

そして、特別支援学校に転校してくる割合が非常に多いです。

教育委員会・教師は特別支援学校について、しっかりと説明をしているのかな。

そんなことを感じたりする場面を、特別支援学校保護者として感じます。

特別支援学校はカリキュラムが異なるので、

高等部まで在籍していても、高校卒業認定とはちょっと違います。

中学部から、就労に向けて、校内外で実習を行います。

保護者はしっかりと理解した上で、通う決断をしているのだろうか。

 

特別支援学校の中でも、知的・肢体不自由など様々な児童生徒がいます。

さらに、小小凡師君のような医療的ケア児もいるわけです。

学校生活はどこも集団生活です。

それは十分理解しています。

荒馬は元教師です。支援学級の担任を務めた経験もあります。

 

障害児の保護者になってみて、さらに重度心身症児の保護者になってみて、

平等って何だろう?

普通って何だろう?(普通という言葉を使ってはいますが…)

と考える機会が多くあります。

心身共に健康な人たちの自己満足に見える時もあります。

 

平等いう名のナイフを突き立てられている感覚は何度もあります。

角度を変えると、[平等]はナイフにも思いやりにもなるものですね。

それは、感じ方の角度も含めてです。

インクルーシブ教育とか共生の社会という言葉が、

非常に一人歩きしているように見えてきます。

少しだけ勘違いの方向を向いていないだろうか?

そんな風に感じることも…。

 

何でもかんでも、同じ土俵に上げれば良いというわけではありません。

下図のイラストは、ネット上でよく見られるものです。

左の2つだけという記事もありますし、

[現実]という右図も入ったものもあります。

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よく分かるんです。理想と現実が。

小小凡師くんが生まれて10年。

荒馬の生活環境が大きく変化し、同時に物の見方が大きく変わりました。

これまで、知らなかった(見ようとしなかった)こと知らないフリをしていたこと

そこを直視しなければいけなくなった状況。

家を一歩出れば、あちこちに存在しています。

 

荒馬自身もそうなのだと思いますが、

結局のところ、自分が一番カワイイというのが土台にあるんです。

そして、

社会的に弱者の立場である人達も様々だというのも…。

やってもらって当たり前と思っている人

ひたすら方々に謝っている人

立場を利用し我を通しすぎる人

遠慮しすぎる人

学校でも病院でも役場などでも、その他の場所でも、

それに対応する人達の大変さは理解しているつもりです。

個に応じた対応には限界があるのも理解しているつもりですが、

それでも、

「ここは一括りにしちゃダメじゃない?」

「むしろこころは、一括りで良いだろう」

これを行ったり来たりです。

 

今、多くの場所で[平等と公平]がフツフツと煮立とうとしている気がします。

様々な場所で、様々な種類の[差]

どちらかを立てれば、どちらかが…というのを、あちこちで目にします。

 

公平と平等を、今一度、学び確認する時期なのかもしれません。

先日、あるテレビ番組で大正・昭和初期の頃が取り上げられた番組を観ました。

その時代の人達の多くは亡くなっているかもしれませんが、

その人達に育てられた子ども達が、今、後期高齢者

10代の子ども達が生きている世の中とは、

それこそ[普通]が大きく違う時代

多くの世代が生きている現代で、全員が幸せというのは無理なのでしょう。

しかし、

互いに理解し、歩み寄ることはできます。

そのためには、

互いの[普通]を理解するための学びが必要です。

 

様々な立場の人達の声を聴きたいな。

正解は出ないけれど…

 

昨夜『にじいろカルテ』というドラマを観ました。

みんなそれぞれ[山あり谷あり][激動のストーリー]を抱えていて、

[普通][何もない]と思っている人がいて、

その[普通]であることが自分を苦しめている人がいて。

ドラマを観てもスッキリ解決はしないけれど、

荒馬自身も小小凡師くんに関して、

見ないようしていた現実を目の当たりにして、悲しく落ち込んでいたので、

いやむしろ、

「あー、吹っ切ってはいなかったんだ。私。」

「本当はまだ引っかかっているんだ。私。」

と気付かされたというか。

 

冒頭でも書いたように、モヤモヤしているだけで、

正解も何も分からないし、出す必要もないと思っています。

でも、何かにぶつけたくて、

ブログに書き綴ってみました。

 

1日中眠い いつでもどこでも眠れるくらい眠い

こんにちは。

十分寝ているのにずっと眠い荒馬です。

 

基本的に怠け者です。

何もしなくても良いなら、ずっと寝ていたい。

独身の教師時代、

休日の部活が無いときがありました。

こんなチャンスはめったにない!と、

前日の夜までは色々と計画を考えました。

まずは、

仕事を一切しない。

そこまで考えて、思考停止。

再び思考が始まったときには、

「こんなチャンスはめったにないなら、思う存分寝ていよう」

という思考回路に変更。

 

かくして、いつもよりも早めに布団に潜り込み就寝

目を覚ましたときは、あたりは真っ暗。

「おいおい、ずっと寝ていようと思ったのに、まだ夜中じゃん」

それにしては、何かが違う。

空腹具合・身体の重さ

リビングへ行き、TVをつけると、番組が入っている。

夜中なら放送は終わっているはず。

 

昔は、今のように番組表機能がTVに搭載されてしないし、

新聞は購読していないので、

今が、何曜日の何時なのか????

携帯をチェックすると、友人や家族からの連絡が数件。

そこから察すると…そう、休日の夜でした。

20時間ほど寝ていたことになります。

 

後にも先にも、これほど時間を忘れて寝たのは、

あの時だけでした。

 

今は、結婚をして、子どもがいる身になりました。

そうなると、自分の思いだけでは時間を過ごせなくなるもの。

それでも、

荒馬は世の妻・母である女性と比べれば、甘やかされています。

 

この眠たさの原因は何かは分かりません。

とにかく眠い。十分に睡眠を取っているのに眠い。

さらに、

荒馬は幼い頃から、とにかく夢を見ていました。

鮮明に覚えているほど、たくさんの夢を一晩で。

リアルな夢

ファンタジー仕立ての夢

小説や映画・ドラマなどの続きを観たり…

自分が観たいと思った夢を見られるときも。

 

ですので、寝る前は妄想タイムを設けてから寝ています。

割と高い割合で、そのまま夢を見られます。と同時に寝ています。

しかし、

夢を見ている時は、浅い眠りらしい。

 

ということは、寝不足になっているのか。

それに加えて、加齢という抗えない状況もあります。

今日は特に辛かったです。

一日中、頭と身体が重くて、とにかく寝たい。

同じ姿勢を一定時間保つと、オチそうになります。

今の荒馬は、(ここ10年くらいずっと)

「今日は早く寝よう」ができません。

小小凡師くんのケアがあるため、どんなに早くても0時を過ぎないと、

布団に入ることができません。

23時半くらいまで、仮眠をとることもありますが、

そうなると翌日がとても辛いので、あまりしないようにしています。

0時に布団に入れたとしても、

途中、何度か起きることになります。これも小小凡師くんのケアのため。

 

よく早起きを推進する記事を見かけますが、

荒馬にはちょっと厳しい。

今は起床してすぐに朝食を作ります。そこである程度、脳が目覚めてくるのですが、

それでもボーッとする時は、

男衆が朝ご飯を食べてから、出かけるまでの30分ほど、

二度寝をしています。

 

その後、小小凡師くんを学校へ送りと届けて、

仕事場へ出向いたり、家で仕事をするのですが、

学校へ迎えに行くまでの時間、自宅で過ごせる時には、

思い切って寝るようにしています。

それなのに、

とにかく眠い。眠すぎる。

 

年を取って、体力が落ちているからなのか、

ただただ怠け心が働いているからなのか、

慢性的な寝不足によるものなのか…

 

とにかく眠いので、明日、辛くなることを覚悟して、

これから少し仮眠をとろうと思います。

強風が運んできた地元への懐かしさ

こんにちは。

思いがけず、地元を思い出して嬉しくなった荒馬です。

 

爆弾低気圧の影響で昨夜から強風が吹いています。

荒馬の住む地域では、風が強いだけでしたが、

同じ県内でも地域によっては、

停電が起きたり、家屋破損があったり、

交通機関が麻痺したり、臨時休校になったりと、

朝から大変なようでした。

 

医療的ケア(痰吸引)が必要な小小凡師くんは、

スクールバス乗車ができないため、荒馬が毎日、学校へ送迎しています。

学校へ着くと、

先生や保護者、児童生徒達が

「ひどい風だ」

「寒いし、風は強いし、逆戻り」と、

口々に言っていました。

荒馬と小小凡師くんは、他の人たちほど動じません。

というのも、

以前住んでいた北海道北部は、

毎日、今日のような強風が吹き荒れている場所だったから。

もちろん、4年も経てば、身体が忘れ始めているのですが、

一度、体験したものは、記憶として残るので、

周りの人たちほど、驚きなどは起きませんでした。

 

ここは秋田県内陸部

確かに強風が吹き荒れるのは、とても珍しい。

対して、北海道北部は、

四季を通して強風(暴風)が吹き荒れます。

おそらく、今日はとても大変なことになっていたのでしょう。

 

家から出て、

車から出て、肌と身体で感じる強風

風に運ばれてきたのは、

愚痴や文句でもなく、

冬に逆戻りの気温でもなく、

遠く離れた地元の感覚でした。

懐かしい

嬉しい

木々が揺れて、ゴーゴーと鳴り響き、

建造物が鳴らす聞き慣れない音が響き、

大人でも「怖いね」と言っているのを横目に、

荒馬は、ニヤニヤしてしまいます。

(不謹慎ですね)

 

それでも、とても心地よくて、懐かしくて、嬉しかったのです。

何事も感じ方・捉え方ですよね。

今日は、マイナスを受け取らなかっただけかもしれませんが、

とても良い心地がしました。

 

そんな今日は、こちらの絵本をご紹介(おっ、絵本紹介も久しぶりです)

 

かぜ

かぜ

 

 

風がどこから吹いてくるか見に行こうと、姉弟が歩いていきます。

途中で出会う人・動物

風に喜んだり、愉しんでいたり、嘆いたり、文句を言ったり、

感じ方は様々

風の音に耳をすませて聞こえてくるもの。

風が運んできてくれたものや香り

そんなことが描かれた絵本です。

 

 

ふと空を見上げると、青空と曇り空が混在していて、

強風の時に空を見上げるのが、好きだったなーと思い出しました。

雲の動きが速いので、めまぐるしく変化する空や雲が、

ただ面白かった。

窓からの景色が良い場所に住んでいたので、

こんな強風の日は、ボーッと空を見つめていたなーと……

 

今の家は、窓からの景色が良くないので、

外に出て、何歩か歩かないと、空を見渡すことができません。

こちらに来てからは、車から見える空が多くなりました。

 

杉の木が大きく揺れる景色は、北海道ではなかったので、

新鮮です。

そもそも杉の木が新鮮。

真冬でも緑色は変わらず、季節が変わろうとも、

俺は変わらずここに居るという強さを感じます。

(花粉に悩まされているので、勘弁して欲しいですが)

 

明日も引き続き警戒が必要な天候のようです。

今月は、絵本セラピーや講演会の予定は、もう入っていないので、

次の仕事に向けて、家でお仕事&勉強タイムが続きます。

時間に余裕を持って、心に余裕を持って、

風の音に耳をすませて、何を運んできてくれるのか期待しながら、

過ごそうと思っています。

 

 

 

[ひとり]を愉しめるか

こんにちは。

[ひとり]で過ごすことが全く苦ではない荒馬です。

 

最近、テレビやネットを観ていて思うのが、

「そんなに[ひとり]が嫌なのかな」ということ。

ニュースで流れる映像は特に大都市圏が多い。

そこに溢れる人々を観ていると、ふと思う。

家を一歩出ると、

どこに行こうか迷うほど、お店が多い。

娯楽施設も多い。

 

これを便利・羨ましいと感じるのか否か。

秋田県に住んでもうすぐ丸4年が経とうとしている。

荒馬の住む県北部は、

そんな大都市に憧れを抱く人や住む人々にとっては、

[何もない]場所に見えるのかも知れない。

この4年。

「何にもない」

「どうして、ここに住もうと思ったの」

何度も、幾人にも言われた言葉。

 

いやいや、あるじゃないのよ。

山も川も海あって、四季折々の花々が咲き誇り、

四季折々の景色を、この大自然が見せてくれるじゃないのよ。

海の幸も山の幸もあって。

住むには全く困らないではないか。

(あっ、車がないと不便な部分もあるかな)

 

やはり、商業施設や高層ビルが建ち並ぶ方が良いのだろうか。

 

人それぞれの価値観があるので、否定も肯定もできないが、

荒馬は、大満足している。

なんと言っても、冬が穏やかで短い。

記録的大雪なんて言うけれど、寒波なんて言うけれど、

北海道北部に住んでいた荒馬は、

あっちのほうが雪が多いし、

あっちのほうが寒いし

と、いつも心の中で言っている。

ところ変われば主張も愚痴も変わるもの。

 

冬に対するネガティブ発言が多くて、冬を愉しむ気持ちが葬られている。

あー、こういう部分は北海道の人の方が、ポジティブだな。

自然に身を任せる…というのを日常の中で無意識に体現しているな と

比較してみて初めて気付く。

旅行程度では、帰省程度では、まったく気付けなかったな。

住んでみて気付くこと。

 

とは言え、田舎の強みを今まさに感じている。

北海道でも秋田でも。(どちらも都会ではない場所に住んでいるので)

家を出ても、迷うほどお店はない。

娯楽施設は、圧倒的に少ない。

もちろん、車を走らせれば最適な場所へは行けるけど…。

 

ステイホームと言われなくても、

家で愉しめる術を身につけている。

[ひとり]時間を満喫できるのは、案外、田舎の人の強みな気がする。

もちろん、

田舎の人が、みんなそうではないだろう。

都会の人だって、満喫できる人は多いだろう。

 

以前、「便利は不便だよな」と言われたことがある。

その時は「ですよねー」と返したものの、深く考えた上での返事はなかった。

最近、その言葉を何度も思い返している。

便利に慣れてしまった人々は、ちょっとした制約や縛りにも不便さを感じ、

精神的にもダメージを受けやすくなるのではないだろうか。

 

とは言え、

孤独感というのは、また別物なのかもしれない。

秋田県は全国一、自殺者が多いらしい。

県内のあちこちで、自殺対策に取り組んでいる。

人口の約半分が60歳以上と言われている秋田県だから、

自殺者の多くが高齢者と言われても、人口比率や年齢分布で見ると、

一体どうなのだろう?とは思うけれど…

 

自殺問題を掘り下げて調べていないので、

軽々しく持論を述べても、薄っぺらくなってしまうが、

馬なりに感じている・考えていることはある。

これを県民性という一言で片付けて良いのかも分からないし、

まだ4年しか住んでいない秋田県を知った気で発言するのは、

気が引ける。

もう少し、秋田県の深部を知ってから、この件は発言しようかな。

 

全国的に緊急事態宣言が出て、休校措置が出た時、

凡師一家は、非常に楽しい毎日を送っていた。

家族全員で、こんなに長い期間一緒に居られるのは、レアだったので。

凡師さんは仕事へ出ていたけれど、早めの帰宅が多かった。

小凡師くんは、中学3年生なので、

こんなに一緒にずっと過ごすのは数年ぶり

小小凡師くんは、小学4年生

昼間は毎日学校へ行っているので、小凡師くんと同様。

 

みんなで過ごす時間があり、

それぞれで過ごす時間があり、

あー良いなぁ。こういうの。と、しみじみと感じた。

TVでニュースを観るたびに、

「どうして、そんなに辛いんだろう?」

「楽しむ気持ちを持てば良いのに」

「えっ!? むしろ時間が足りないくらいなのに」

「そんなに家にいたくないのかな」

「学校に行けなくても、勉強はできるじゃん」

そんな言葉が小凡師くんから、ポツリポツリと発せられる。

そんな小凡師くんは、

ステイホーム期間、実に楽しそうであった。

「あー、もう1日が終わりか。あっという間だったな」

「やりたいことがありすぎる」

 

[ひとり]を確立するのって、案外、大事なのかも。

何事も土台が安定していないと難しい。

[ひとり]も同様なのだろう。

1人で過ごす・生きることができて初めて、

他者と過ごすことや生きることができるのかもしれない。

依存し合うのも、執着し合うのも、

まずは[ひとり]を確立できていたら、ないのかもしれない。

 

そこには、現象面だけではないものも必要になるけれど、

性格や考え方についても、[ひとり]を追究して確立すれば、

場に応じて変幻自在になれるのかもしれない。

 

そんなことを、この1年ずっと思っている。

コロナによって露呈したのは、そんな本質的なことなのかもしれない。

崩れてしまう人

ブレない人

明暗を分けるのは、[ひとり]を確立し愉しめるのかどうか。

なのかもしれない。

 

少し困っている?戸惑っていること…

こんばんは。

悩みと言うほどではないのですが、

少々、困っている・戸惑っている荒馬です。

 

秋田県に来てから、もうすぐ丸4年が経とうとしています。

2020年になってから、荒馬自身の環境が変わり始め、

ブログを開く余裕がなくなっておりました。

と言うのも、

絵本セラピストとして活動している荒馬の様子が、

徐々に口コミなどで広まり、活動範囲や仕事の量が増えております。

これは、大変嬉しいことなのです。

それに伴って、

テレビ・ラジオ・新聞・雑誌などから取材依頼があり、

(あっ、ちなみに全て秋田県内のローカルなものです)

一層、顔と活動が知られ始めています。

 

県内では珍しい資格と活動ですので、本当にありがたい限り。

 

そんな中、少し困っている・戸惑っているというのが…

仕事依頼ではない、連絡が増えてきたということ。

新聞や雑誌・WEB記事には、

「お仕事のご依頼は ○○○@○○.○○」と、

仕事用のメールアドレスを載せて頂いています。

それを見て、連絡を下さる方がいます。

その8割は、仕事依頼。

その他の2割は………

荒馬にも「???????」なのです。

 

これまでにあった内容のパターンとしては、

①「○○の記事を見ました。すごいですね。よろしくお願いします。」

 

②「○○の記事を見ました。絵本にも絵本セラピーにも興味あります。

  詳しく知りたいので、連絡下さい。」

 

③「○○の記事を見ました。△△に住んでいる、◇◇と申します。

  私はーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーで、

  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーです。

  それでーーーーーーーーーーーーーーーーーーで、

  ーーーーーーーーーーーーーーーーーなんですよ。

  ーーーーーーーーーーーー知ってます?

  ーーーーーーーーーーーーーーーーーオススメですよ。」

 

おおよそ上記の3つのパターンが多いです。

3つに共通しているのは、携帯電話アドレスからのメールだということ。

 

①に関しては、相手方のアドレスは表示されているのですが、

その他の情報が一切ありません。

「よろしくお願いします」と言われても…と頭を捻ります。

これについては、

返信はしません。ちょっと怖かったので…

①パターンの場合、

約半日ほどすると、

「ご迷惑のようですね。すいません」(いや、すみません だろう?)

「返信がありませんが、迷惑でしたか?」

という内容が、さらに送られてきます。

申し訳ないのですが、こちらも返信はしません。

 

 

②に関しては、相手方の情報がなく、何について聞きたいのかが

あまりにざっくりしています。

お仕事のご依頼だという前提で、返信をするのですが、

だいたいが、

「私は主催しません」

「いつ、どこでやるのか知りたかっただけですけど」

「もっと知りたいので、電話かLINE教えて下さい」

という内容で返事があります。

 

こちらも「どういうこと?」と頭の中は「?????」

それでも、

仕事の依頼だと勘違いしてしまった件を詫び、

丁寧に返信を一度だけして、それ以降は返信をしていません。

 

③に関しては、相手方の情報をたくさん教えてくれるのですが、

個人的な繋がりが欲しいような文面。

しかし、仕事のご依頼では一切なく、ご自身のことを長文で書いてきます。

一定の距離感を取りつつ、返信をする時もあるのですが、

割と、定期的に

お相手から連絡が来ます。プライベートな内容もさらに多くなり、

グイグイ来る感じです。

 

 

私自身も40歳を超えて、人との距離の取り方は、私なりに心得ているつもりです。

ですので、

新たな出会いの構築の仕方、言葉は悪いですが、取捨選択の仕方を、

慎重に、丁寧にやっています。

 

記事には、絵本セラピストになるきっかけになった、

小小凡師くん(我が家の次男)のエピソードは欠かせないので、

文章量の多い記事には掲載されています。出身地や現在地(市町村名までですが)も。

略歴も載っている記事もあります。

読み手の側からすると、

案外、多くのことを知ることができます。顔写真も載りますし…。

 

大人にも絵本を手に取って頂きたい。

そんな思いを持って、活動をしたり、取材を受けているのですが、

怖い一面を知ったなーと思っています。

 

荒馬は、アナログ世代ですので、

流行のSNSはやっているけれど、見えない・分からない相手との密な繋がりは、

未だに怖いと思ってしまいます。

一定の距離感があるからこそ、繋がっていられる。

そこから新しい発見や学びがあるのも事実ですので、SNSも続けています。

それでも、

ここ最近のメールでの現象は、戸惑っています。

SNSでの繋がりとは、また違う気がするんですよね。

 

とは言え、

もの凄く困った事態にはなっていませんし、

相手の方にとっては不快になるかもしれませんが、

あまりに酷い時には、「NO」とお伝えしています。

凡師さんにも、逐一報告をしつつ、1人で抱えないようにもしています。

もし何か悪い事態になった時にも、

1人で抱えていて、隠していたら、もっと大変な事になり得るかもしれませんしね。

 

それにしても、

一番ビックリしたのが、アドレスが記載されているとは言え、

興味を持ったというだけで、連絡をしてみるという行動力!!

こういうコミュニケーションの取り方や知り合い方もあるのですね。

自分ならどうするだろうか?

どうしても会いたい とか 興味があることを伝えたい という時は、

私なら、自分の情報を出して、

相手の方に安心感を持ってもらえる努力はするかもなぁ。

文字だけのコミュニケーションの怖さと楽しさは紙一重かもしれませんね。

 

私自身への戒めや、今後、気をつけて行かなければと思っています。

知らなかった世界に触れると、いくつになってもワクワクする を実感

こんにちは。

知的好奇心は、年齢や性別やその他諸々に関係なく、

湧き上がり、伸びていくのかもなーと思う荒馬です。

 

驚くほど放置していた、こちらのブログ。

有り難いことに、これだけ放置していても、

読んで下さる方がいらっしゃる。

 

秋田県民になって丸3年。

4年目の梅雨・夏を過ごしております。

暑さには慣れてきました。

しかし、この湿度には全く慣れることができません。

梅雨がない北海道が懐かしく、恋しくなります。

とは言え、

梅雨対策というものは、しっかりできるようになりました。

昨年も今現在も、カビによるダメージは受けておりません。

 

すっかり秋田での生活にも慣れ、

絵本セラピストとしての活動も軌道に乗り始めた4年目。

普段は、

小小凡師くんが学校へ行っている間に、在宅ワークをし、

1ヶ月に数回、絵本セラピー・講演などのお仕事をしています。

在宅ワークでは主に、それに向けた準備・調べ物・台本作り。

小小凡師くんも、今年で10歳。

すっかり、在宅介護のある生活も板についてきました。

昼間は学校

午後3時以降は在宅介護

荒馬自身の生活リズムもようやくカッチリとベースが完成。

 

年齢のせいなのか、適応しているつもりでも、

ベースの完成に3年かかりました。

基盤を作るというのは、本当に大変なことです。

これは、

北海道から秋田県へ移り住んだこともあるかもしれません。

言葉も文化も違う土地。

しかも、田舎ならではのローカルルールなどもあります。

凡師家で言えば、

福祉・医療体制の確立には、現在も苦労や危惧が残りますが、

それでも、

3年でようやく、整ってきたと実感。

 

生活基盤が整うことによって、

余暇を楽しむ・探し出す余裕も生まれてくるものです。

こちらのブログ、そういった意味では、

荒馬自身の余暇を楽しむ余裕のバロメーターともなるので、

更新が途絶えた、この数ヶ月は、余裕なし ということになります。

 

前置きが長くなりました。

秋田県に来てから、【生まれて初めて】を多く経験しています。

今日は、その中の一つ【虫】について。

 

世の中には、こんなにもたくさんの種類の虫がいるのだ!

それを実感しています。

もちろん、図鑑で見たり、知識としては分かっているつもりでした。

しかし、

実際に目にしなければ、知識と結びつかないものですね。

体験が何よりのインプット。

百聞は一見にしかず 

まさに、その通り。

 

蜘蛛ひとつ取り上げてみても、

こんなに多くの種類が存在するのだと、むしろ感動しています。

そして、

蜘蛛の種類によって、蜘蛛の巣の形も違うのです。

図鑑や絵本を買って、ネット検索して、

実物を見て、写真を撮って。

「あー、虫取りに夢中になる子どもの気持ち、よく分かる。

 このワクワク感、堪らない!」

なんて思っています。

 

カメムシも初めて出会いました。

ゾウムシ・シロハラコカゲロウ・特大カミキリ虫・ゲジゲジ

蛾や蜂も、多くの種類を目にします。

名前の分からない虫も…

怖かったり、気持ち悪さもあるのですが、

虫は総じて、キレイな彩色

身を守るためだったりするのでしょうが、

見惚れるほどの虫がたくさん。

 

凡師家の男衆は、みな虫が苦手。

ですので、

荒馬がこの興奮を伝えても、反応が鈍い。

むしろ、話題にして欲しくなさそう。

まして、画像を見せようとすると、明らかに不快な表情と態度。

 

嘆かわしい。

知らなかったことを知るのは、こんなに楽しいのに。

とは言え、

荒馬自身が楽しいと思っているだけなので、

家族と言えど、いえ、家族だからこそ、

無理強いをしてはいけません。価値観の相違。

 

大概、虫の話題を出すと、同じ表情と態度に出会います。

香川照之さんほどではなくても、虫が大好きという大人、

なかなか出会いませんね。

香川照之さんと一緒に森を歩き、虫の解説をして頂きたいです。

香川さんの説明は分かりやすいですし、

虫に対するテンションの高さ、それに触れてみたいです。

 

好きをトコトン突き進む人のテンションに触れる、

最近、荒馬、そんな人を求めている気がします。

どんな分野でも、そういう人のパワーは偉大です。

 

我が家では、小凡師くんの歴史に対するテンションがそれ。

中3になった小凡師くん、さらに磨きがかかっております。

修学旅行の予定が延期となり、

現在も行き先が決定せず、二転三転の情報がおりてきます。

そのたびに、

「ここは○○がある、ここなら○○に行ける」と、

歴史的建造物などを列挙しては、モチベーションを保っています。

東京へ行けないというだけで、

「修学旅行、つまらなくなる」と口にする中学生が多いのに…。

こういう部分、見習いたいです。

 

ここから、しばらくは、

まだ虫を楽しむことができそう。

 

明日からの4連休、家族の中の誰か、

近所の森の散策に付き合ってくれるだろうか、

虫探しではなく、お散歩と称して、誘ってみようかしら。

 

 

やっぱり苦手

こんばんは。

やっぱり苦手を克服できない、

荒馬です。

 

克服できないのは、歯医者。

歯医者というか、歯科医。

どうしても、

歯科医とは相容れない気がします。

初めて歯医者に行ったのは中学生。

そこから、かれこれ25年。

通っていない期間もあるので、

25年間ではありませんが、

どうしてもダメ。

 

痛いのは多少は我慢できますし、

痛すぎたら、きちんと訴えます。

匂いや音も、そんなに苦ではありません。

最も苦手なのは、

何と言っても歯科医。

 

確かに専門職ですから、

偉い人なのでしょう。

偉い職業ですよ。

だからって、

人として偉そうな言動はどうなのか?

鼻で笑ったり、

「言う通りにしないなら知りませんよ。」

「やれって言うならやりますけど、

 うちでやったなんて、言わないでね。

 責任取らないよ」

平気でそんなことを言うなんて。

 

専門知識はないですし、

どんな治療があるのか、

費用はどのくらいなのか、

説明を聞いて、相談しながら、

決めていきたいのに…。

なるべく低価格で短期間でと願うのは、

そんなに悪いことなのでしょうか?

 

いくつも歯科医を変えて来ました。

本来なら、かかりつけ医のように、

継続して診て頂くのが良いことは、

よく分かっています。

我慢できるとは言え、

様々な痛みを抱えながらは、

辛いものがあります。

さらに、

精神的にも傷みつけられては、

一層、辛い。

 

自分が怠った結果ですよ。

年齢には逆らえないとは言え、

こちらに丸投げですか?

まぁ、やれって言うならやりますけど。

 

どの歯科医も、同様のことを言います。

 

物凄い罪を侵した気持ちになります。

それでも、

痛みが続いたり、悪化するのは嫌なので、

頑張って通うのですが、

叱られて、鼻で笑われる上に、

色んなものを買わされ、

治療費だって決して安くない。

これって、

新種の宗教か?って思ってしまうのは、

荒馬の考え方が歪んでいるのでしょうか?

 

北海道にいる頃に、

最後に通っていた歯医者は、

唯一、素敵な場所でした。

長年、通っていたので、

離れたくありませんでした。

秋田県に来てから、すでに3軒目。

やっぱりダメです。

むしろ、秋田の歯医者の方が、手厳しい。

秋田県は、

[先生]と呼ばれる人が、総じて敷居が高い。

話が通じない。いや、耳を傾けてくれない。

 

これは荒馬の態度がいけないのかなぁ。

自分が悪いのだ。たぶん。

 

周りの人にオススメの歯医者を聞いても、

参考にならないものですね。

荒馬の持論ですが、

美容室と歯医者は、

自分で行ってみないとダメですね。

 

さて、

かなりひどい状況の荒馬の口内・歯。

分かってはいるのに、

ここだっ!

という歯科医に巡り会えません。

3軒目の歯医者は1回しか行っていないので、

少し通ってみようかなぁ。

 

あんなに偉そうに、鼻で笑ったんだから、

相応の仕事をするのでしょう。

美容整形の話までされて、

心底、気分は悪いですが、

そこまで言うなら、

やってもらおうじゃないか!

 

ところで、

歯の治療って、

どうしてあんなに高いのでしょう?

そして、

サラッと費用を口にして、

「まっ、これで高いと思うのは、

 価値観の違いもありますが、

 自分の歯がどうでも良いということですかね」

とニコッと笑えるなんて。

 

病院は、

金持ちしか行けないセレブな場所なのだろうか?

◯十万をポンッと払えない人間は、

行ってはいけないのだろうか。

 

「分割払いやデンタルローンはありますが、この程度の治療で、使います?まっ、考えてみて下さい。やれって言われたらやりますから」

 

今日の2時間の診察時間、

なんど「やれって言うならやります」を

聞いたか。

 

別の場所を探すべきか。

でも、

その労力をここには使いたくないしなぁ。

 

やっぱり、諸々苦手です。

 

大人が絵本で涙して、笑顔になって、深く味わう

こんばんは。

荒馬の地元では雪が積もっているという話を聞き、

あー秋田県も もうすぐ雪が降るのだなぁと思っています。

 

勉強の日々を過ごしつつ、10月中旬からは、

お仕事に精を出しておりました。

秋田県を飛び出し、

静岡県で中学生への道徳の授業と教職員研修

秋田では、

保育園の保護者学習会

子育て支援センターでの絵本講座

3つ隣の町で、絵本セラピーを2回開催

市民定期講座

お隣の町でも、こども園や特別支援学校でのお仕事も。

 

絵本セラピストとして活動するようになって4年目。

いつも思うのは、絵本ってスゴイ ということ。

絵本セラピー?

絵本セラピスト?

何やるの?

という疑問と不安が入り交じった参加者の皆さんが、

絵本を読み始めると、

シーンと静かな空間となり、絵本を味わって下さいます。

内容によっては、

声が漏れるほど笑ったり、

思わず涙がこぼれたり、

深いため息が出てきたり…。

 

その後のワークでも、

ご自身の言葉で皆さんとシェアリングをする様子を見る度、

温かく安心できる雰囲気ができあがっていて、

絵本の持つ力が、そういった雰囲気を作り出しているのだなぁと

思っています。

大人が絵本の読み聞かせをじっくり聞くというのは、

日常の生活では、あまりありません。

いえ、全く無いと言っても良いくらいだと思います。

 

60分~120分

ゆったりとした時間をお過ごし頂き、

絵本を楽しんでもらえるよう私も一層努力しようと思います。

絵本は、

子どものための本ではなく、

子どもからでも楽しめる本。

大人が絵本を好んで読んだって、全く問題はありません。

小説はちょっと読むのにパワーが必要 という方には、

是非、絵本をオススメしたいです。

 

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勉強の日々

こんばんは。

勉強が楽しい日々を過ごしている荒馬です。

 

自分の好きな分野、

自分に必要な分野の勉強というのは、

本当に楽しく学ぶことができます。

10・11月は、有り難いことに、講演や講座のご依頼が多く、

準備をしつつも、

依頼主の方・参加される方に合わせて、その分野の勉強をします。

教育・保育・心理学・社会教育・生涯学習

先生・親・赤ちゃん・高齢者・中学生などなど。

日々、変化し進化する制度や情報をアップデートし、

話す内容の中に取り入れています。

 

小難しいことに限らず、対象者の皆さんが興味がありそうなことも

同時に。

映画・アニメ・トレンドのことやもの。

田舎に住み、視野が狭くなると、

自分の好きなものや事柄にしか興味を持たなくなりますが、

様々なジャンルにアンテナを張り巡らせるようにしています。

これは昔から気をつけていること。

 

学生時代は【雑学博士】と呼ばれていたことがあります。

広く・やや深く知っている。

そう言われる自分が嬉しくもありました。

周りから秀でた才能も得意分野もありませんでしたが、

平凡の中の非凡をちょっとだけ持っている。

そんな自分が荒馬にはちょうど良かった気がします。

 

再来週は学校現場にお邪魔します。

久しぶりに中学生に道徳の授業をやります。

その後、教員研修の場でも出番を頂きました。

というわけで、

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上記の本を再読し、エッセンスを抽出して、
台本作りをしています。

他にも、

ネットの記事や論文などを読んだりしています。

 

勉強は楽しい。

ここ数年は本当にそう感じます。

学生時代はそう思えませんでしたが、

おそらく、

学生時代の感情や習慣によって素地が作られ、

それが今に繋がっているのだと思うことにします。

 

戦争と平和について考える

こんにちは。

戦争と平和について勉強をしている荒馬です。

 

今年度から、市民定期講座の講師を務めさせて頂いています。

秋田県民になって3年目。

絵本セラピストとして、お仕事の依頼を定期的に頂けるようになり、

有り難い忙しさの日々を過ごしています。

市民定期講座では、基本的には絵本セラピーを行っています。

参加されている方は、20代~80代の女性。

毎回、テーマに合わせて数冊の絵本を使い、

読み聞かせを取り入れて、ワークシートに感じたことや考えた事を書き、

それをグループごとにシェアリングするという内容です。

 

8月9日に第3回目があります。

3回目は、受講者の方々からリクエストがあり、

テーマを【戦争と平和】に決定しました。

 

教師時代、毎年、平和教材を使いながら、授業をやっていました。

国語の教科書には必ず戦争がテーマの作品が掲載されており、

その作品を学習する中で、

作品に合わせた資料を準備して、授業の導入をしていました。

また、それとは別に、

道徳の授業で扱ったり、以前住んでいた土地には、平和の日があり、

その時にも平和教育を行っていました。

 

毎年、別の教材を扱っていたので、その都度、事前準備のために

しっかりと勉強をして、間違いのないように、

また、

感情的にならず、私見のみに偏らないように気をつけていました。

 

教職を離れて9年。

私自身が戦争や平和について考える機会がなくなりました。

息子達と語ることもありません。

今回、受講者の皆さんのおかげで、講座の準備のために、

改めて勉強をしなおす機会をもらえて、

今は、絵本選びや資料作りをしています。

 

今回、調べる中で、これまでの知識が、いかに浅かったのかがよく分かりました。

自分の中にしっかり落とし込まずに、知識の詰め込みで満足していたことが。

もちろん、

今回の勉強でも足りていない部分は多くあると思うのですが、

それでも、今回は以前よりも深く学べた気がしています。

 

そして、秋田に来てみて、

高齢の方々と接する機会が増えたので(さすが高齢者県)、

戦争の捉え方や感情が違うのだと実感です。

次の定期講座は荒馬の方が学ぶべき時間となりそうです。