こんにちは。
[ひとり]で過ごすことが全く苦ではない荒馬です。
最近、テレビやネットを観ていて思うのが、
「そんなに[ひとり]が嫌なのかな」ということ。
ニュースで流れる映像は特に大都市圏が多い。
そこに溢れる人々を観ていると、ふと思う。
家を一歩出ると、
どこに行こうか迷うほど、お店が多い。
娯楽施設も多い。
これを便利・羨ましいと感じるのか否か。
秋田県に住んでもうすぐ丸4年が経とうとしている。
荒馬の住む県北部は、
そんな大都市に憧れを抱く人や住む人々にとっては、
[何もない]場所に見えるのかも知れない。
この4年。
「何にもない」
「どうして、ここに住もうと思ったの」
何度も、幾人にも言われた言葉。
いやいや、あるじゃないのよ。
山も川も海あって、四季折々の花々が咲き誇り、
四季折々の景色を、この大自然が見せてくれるじゃないのよ。
海の幸も山の幸もあって。
住むには全く困らないではないか。
(あっ、車がないと不便な部分もあるかな)
やはり、商業施設や高層ビルが建ち並ぶ方が良いのだろうか。
人それぞれの価値観があるので、否定も肯定もできないが、
荒馬は、大満足している。
なんと言っても、冬が穏やかで短い。
記録的大雪なんて言うけれど、寒波なんて言うけれど、
北海道北部に住んでいた荒馬は、
あっちのほうが雪が多いし、
あっちのほうが寒いし
と、いつも心の中で言っている。
ところ変われば主張も愚痴も変わるもの。
冬に対するネガティブ発言が多くて、冬を愉しむ気持ちが葬られている。
あー、こういう部分は北海道の人の方が、ポジティブだな。
自然に身を任せる…というのを日常の中で無意識に体現しているな と
比較してみて初めて気付く。
旅行程度では、帰省程度では、まったく気付けなかったな。
住んでみて気付くこと。
とは言え、田舎の強みを今まさに感じている。
北海道でも秋田でも。(どちらも都会ではない場所に住んでいるので)
家を出ても、迷うほどお店はない。
娯楽施設は、圧倒的に少ない。
もちろん、車を走らせれば最適な場所へは行けるけど…。
ステイホームと言われなくても、
家で愉しめる術を身につけている。
[ひとり]時間を満喫できるのは、案外、田舎の人の強みな気がする。
もちろん、
田舎の人が、みんなそうではないだろう。
都会の人だって、満喫できる人は多いだろう。
以前、「便利は不便だよな」と言われたことがある。
その時は「ですよねー」と返したものの、深く考えた上での返事はなかった。
最近、その言葉を何度も思い返している。
便利に慣れてしまった人々は、ちょっとした制約や縛りにも不便さを感じ、
精神的にもダメージを受けやすくなるのではないだろうか。
とは言え、
孤独感というのは、また別物なのかもしれない。
秋田県は全国一、自殺者が多いらしい。
県内のあちこちで、自殺対策に取り組んでいる。
人口の約半分が60歳以上と言われている秋田県だから、
自殺者の多くが高齢者と言われても、人口比率や年齢分布で見ると、
一体どうなのだろう?とは思うけれど…
自殺問題を掘り下げて調べていないので、
軽々しく持論を述べても、薄っぺらくなってしまうが、
荒馬なりに感じている・考えていることはある。
これを県民性という一言で片付けて良いのかも分からないし、
まだ4年しか住んでいない秋田県を知った気で発言するのは、
気が引ける。
もう少し、秋田県の深部を知ってから、この件は発言しようかな。
全国的に緊急事態宣言が出て、休校措置が出た時、
凡師一家は、非常に楽しい毎日を送っていた。
家族全員で、こんなに長い期間一緒に居られるのは、レアだったので。
凡師さんは仕事へ出ていたけれど、早めの帰宅が多かった。
小凡師くんは、中学3年生なので、
こんなに一緒にずっと過ごすのは数年ぶり
小小凡師くんは、小学4年生
昼間は毎日学校へ行っているので、小凡師くんと同様。
みんなで過ごす時間があり、
それぞれで過ごす時間があり、
あー良いなぁ。こういうの。と、しみじみと感じた。
TVでニュースを観るたびに、
「どうして、そんなに辛いんだろう?」
「楽しむ気持ちを持てば良いのに」
「えっ!? むしろ時間が足りないくらいなのに」
「そんなに家にいたくないのかな」
「学校に行けなくても、勉強はできるじゃん」
そんな言葉が小凡師くんから、ポツリポツリと発せられる。
そんな小凡師くんは、
ステイホーム期間、実に楽しそうであった。
「あー、もう1日が終わりか。あっという間だったな」
「やりたいことがありすぎる」
[ひとり]を確立するのって、案外、大事なのかも。
何事も土台が安定していないと難しい。
[ひとり]も同様なのだろう。
1人で過ごす・生きることができて初めて、
他者と過ごすことや生きることができるのかもしれない。
依存し合うのも、執着し合うのも、
まずは[ひとり]を確立できていたら、ないのかもしれない。
そこには、現象面だけではないものも必要になるけれど、
性格や考え方についても、[ひとり]を追究して確立すれば、
場に応じて変幻自在になれるのかもしれない。
そんなことを、この1年ずっと思っている。
コロナによって露呈したのは、そんな本質的なことなのかもしれない。
崩れてしまう人
ブレない人
明暗を分けるのは、[ひとり]を確立し愉しめるのかどうか。
なのかもしれない。