荒馬のつれづれ日記

好きなことを、好きな時に徒然と綴る日記です。

自問する習慣

こんばんは。

自問する力を忘れずにいたい荒馬です。

 

人はいくつもの【顔】【立場】を使い分けて生活しています。

これは、子どもも大人も同じ。

嬉しくなる時もあれば、辛い時もある。

簡単なこともあれば、とても難しい事もある。

荒馬は、

特に退職してから、どんな小さな事も、

【チャレンジ】をすることを心掛けています。

今だからこそ見える世界、今だから直面すること、

今まで見ないフリをしていたこと、今まで見たことのなかったもの。

それらに対して、

損得勘定をせず、とりあえずやってみよう を大事に。

 

さらに、これまで身につけた知識や技術を、

再確認して、アップデートするようにしたいとも思っています。

 

常に「今の自分で良いのだろうか」「今の自分に何ができるだろうか」を

自問しながら…。

そんな視点に立つと、以前と比べるとですが、

少し謙虚に物を考えられたり、受け止められたりできるようになりました。

 

自分に自信を持つことも大切です。

しかし、それによって、頑固になってしまうのは考えもの。

素敵なアイディア・素敵な出来事のはずなのに、

プライドが邪魔したり、傲慢な自分が邪魔して、

取り込まずに、通り過ぎてしまう可能性もあります。

 

常に変化している世の中で、

アップデートが必要なこと、変わらず大切にするもの の

見極め・決断・覚悟・選択を

忘れずにいたいものです。

 

最近、よく感じるのが、学校の先生。

秋田県に引っ越して来て、

小学校・中学校・特別支援学校の先生と関わる機会が増えました。

そこで痛烈に感じることです。

「昔からこうなので」

「自分はこうなので」

という言葉をよく聞きます。

そこに、目の前の子ども達(児童生徒)が映っているのだろうか。

大人側の思想や価値観に、子どもを近づかせよう

もっと言えば、

こっちに合わせてよ と言わんばかりの強制力。

子ども達は素直ですから、

「先生が言うなら、正しいんだ」と疑うことをしなかったり、

「言ったら面倒なことになる」と諦めたり…。

 

もちろん、正しいことも多くありますが、

自問する習慣を付けると、

ちょっと立ち止まって、周りを見渡すようになると思うのです。

子どもや保護者の声に耳を傾けようと。

 

以前、他の保護者の方々に、

「こっちでは、少し意見を言ったり、質問するだけで、

 クレーム扱いをされて、目をつけられるからね」

と言われたことがあります。

保護者も面倒だから、表だっては言わない。

学校側も、まさか疑問や文句を持っているとは思っていない。

そんな構図が、【普通】に存在していて驚きでした。

そもそも、

保護者の声を聞こうとしない上に、

保護者の声を発する場がないのです。

 

子どもも同じ状況(らしい)です。

「なんかあったら言ってね」「何でも聞いてね」と

言う割に、実際に口を開くと、怒られたり、聞いてもらえないと。

 

他の職業の人だって、もちろんアップデートや自問は

必要だと思います。職業だけに限らず、生活のすべてに。

しかし、とりわけ学校現場では、

特に必要な事だと荒馬は思っています。

目の前にいる生徒・保護者は毎年変わります。

世の中だって変わります。

一年の中でも、めまぐるしく状況は変化します。

全ての変化に対応する必要はありませんが、

ポイントを絞った対応は大切なはず。

 

この数週間、そんなモヤモヤを常に抱えながら、

荒馬も自問して、次の行動や思考を組み立てています。

元教員だけに、学校運営・教員の力量や技術には、

ついうち目がいってしまうもの。

自分が感じていることが正しいのか、間違っているのか、

それは誰のためなのか、何なのか。

そこを見極めながら、

適切な時に、適切な場所で発信できればと…。

 

周りの人から、自分を見つめ直しています。

今は関わる人すべてが、鏡のように姿を現し、

投影している気がします。