荒馬のつれづれ日記

好きなことを、好きな時に徒然と綴る日記です。

泣くことだけが正解じゃないはず!

こんばんは。

あまり泣くほうではない

荒馬です。

 

昔から、

あまり泣くほうではありませんでした。

悲しい・辛い・苦しい

という感情の時は特に。

嬉しい・分かってもらえた、感動した

という時の方が、

泣いていた気がします。

 

大人になってからは、

それが一層、増した気がします。

と言うより、

涙を流す回数は減りました。

ポロっと涙を流す程度は

あった気がしますが、

大泣きは…。

 

教師になってからは、

辛い時や苦しい時の涙は出なく、

泣いて何が変わるんだ  と

強がりではなく、

本気で思っていました。

涙を武器にする、

女性の同僚は大嫌いでした。

と言うより、

大げさに騒ぎ立てることが、

ことさら嫌でした、

「冷静すぎる」

「感情はないの?」

と嫌味を言われることも、しばしば…

 

感動したり、嬉しい時は、

涙より笑顔でいたいと思うように

なりました。

卒業式などは、

生徒達は大泣きです。

もらい泣きを堪えながら、

生徒の前では、

おめでとうの気持ちを笑顔に乗せていた

つもりです。

職員室に戻って、自宅に戻って、

ホロリと…。

「鬼の目にも涙だな」

「泣けるんだね」

と意外がられることが多かったです。

 

子どもが生まれ、

保育園や小学校の行事で、

大泣きする保護者の方をたくさん見ました。

成長を喜び、

健気な姿に感動したり。

 

荒馬は泣けません。

嬉しいし、感動もしています。

でも、

目が合う息子達には、

やはり、

笑顔を送りたい。

 

「どうして、これを見て泣けないの?」

「学校の先生だから、

   こういう行事に慣れていて、

    耐性があるの?

    でも生徒と子どもは違うじゃん」

 

などと言われたりすることが、

本当に多いです。

 

泣くことが正解のような、

泣くことが当たり前のような

その風潮、

荒馬には違和感です。

と言うより、

どちらでも正解でしょ?と

思うのです。

 

泣こうが笑おうが、

感情は同じはずなのに、

泣かないことで、

感情がないとか、

冷酷だとか、

可愛がっていないだとか…。

 

そう感じることは構わないけれど、

わざわざ言葉にしなくても良いのに。

涙を流すことや

感情が揺さぶられることは

素敵なことだと思いますし、

心を解放したりすることにも

繋がる1つでもあります。

 

それでも、皆がそうではない。

同じように感じても、

涙を流さないこともありますし、

そうできない人もいると思います。

 

同様に、

笑うこと

怒ることも…。

 

荒馬も

泣くことも

笑うことも

怒ることも

当然あります。

ただ、

ひっそりとだったり、

外に出ないだけで、

内面では、ということの方が多いです。

 

だから、

素直に表現できる人を

羨ましいと思うこともありますし、

あまりに大げさだと、

苦手だなぁと感じることもあります。

 

年齢を重ねるにつれて、

感じたままに、

行動することや表出することが

少なくなったのも事実です。

それでも割と、

自分の感情を冷静に分析したり、

コントロールをしている傾向が…。

 

それについて、

良いとか悪いとかの判断は、

必要ではないと思うのです。

泣きたい時には泣きますし、

大声で笑うこともありますし、

怒り狂うこともあります。

感情とは裏腹に涙が流れることだって…。

 

卒業シーズンや行事のたびに、

感じていたことが、

特に今年は、

そういう場面に、

当事者として出くわすことも多く、

いつにも増して、

言われることが多かったので、

ついつい愚痴のように

書き連ねてしまいました。

 

ことの大小を問わず、

また、

いろんな出来事によって、

様々な感じ方、表出の仕方があっても

良いのに…