こんばんは。
言葉が形や色になって現れたら、
どうなるのだろう?と考えてみた荒馬です。
今日は絵本の紹介から…
もしも話す言葉が目に見えたら…。
言葉の使い方は変わるのだろうか?
絵本の説明に、こんな風に書かれていました。
この説明を読んで、迷わずに購入した、こちらの絵本。
現実に、こんな風になったらどうなるのだろう?
ふとそんな事を考えてみました。
絵本の世界だから、
美しく、詩的な表現で書かれているので、
良いことのように思ってしまいますが、
リアルな生活の中で、そうなると考えると……
良いことばかりではないだろうなぁ。
むしろ、
都合の悪いことばかりではないだろうか…。
そんな風に考えてしまう荒馬は、
もう40歳間近だからなのでしょうか。
素直に受け取れば、
「ウソがなくなる」
「意思疎通が円滑に進む」
「使う言葉を変えるようになり、良い方向に向かう」
そうなれば、とっても良いのですが、
それは、難しいことのように思います。
ひょっとすると、
受け取る側の心が、
時にはたくましくなったり、時には素直になったりするのでしょうか。
人とのコミュニケーションという概念自体が、
変化するのかもしれません。
怒りや文句を言わなくなるということではありません。
それも、形や色で表現される。
受け取る側の、放つ側の、
言葉への責任感が生まれるのかもしれません。
そうなると良いなぁ。
そうなるかなぁ。
難しいだろうなぁ。
でも、
形や色にならない、この現実世界でも、
実は、
とても大事にしなければならないことですよね。
言葉は本当に変幻自在。
同じ言葉を使っても、
タイミング・相手・相手の心情・自身の感情などなど、
無限の組み合わせの中で、
良くも悪くもなります。
秋田に来てから、
よく考えている【言葉の使い方】【ものの言い方】という点。
これまで気にしなかったのは、
周りも、自分と同じような言葉を使うからだったのかもしれません。
もちろん、
キツイ言い方・優しい言い方というのは、地域は関係ありませんが、
こと、
方言やイントネーションとなると、
そこに生まれ育った人でなければ、
なかなか馴染むのに時間を要しますし、
心が折れそうになるものです。
さらに、
荒馬の場合は、小小凡師くんの存在が大きいです。
言葉を話すことができない小小凡師くん。
伝えたい気持ちは、同じくらいあるのに、
伝えられない。伝わらない。
お互いに、もどかしさの毎日のはず。
少なくても荒馬は、
分かってあげられないという、もどかしさが付いて回ります。
とは言え、
言葉だけが気持ちを伝える手段ではありません。
それを強く感じるようになったのも、小小凡師くんがいるから。
小小凡師くんは、
表情も変わりません。
しかし、目を見れば、体の動きを見れば、
伝えたいことが分かるのです。
全て理解してあげられていないと思いますが、
彼の伝えたいことの半分は、
分かっているつもりです。
小学生になってから、
より一層、【伝えたい】という思いが強くなったように感じます。
こちらの言っていることも、
どんどん、理解できるようになってきています。
【YES】【NO】くらいは、確実に分かるようになりました。
小小凡師くんが、
伝えたいことを、何とか分かってあげたい。
そのための【何か】はないのだろうか。
今も模索したり、試したりしています。
字を学習し、習得して、
50音図の指示表で、コミュニケーションを取る人もいます。
相手の手のひらに、文字を書いて、コミュニケーションを取る人もいます。
いつか小小凡師くんにも、できる日が来ることを信じて、
まずは、言葉の獲得です。
絵本を読んであげたり、どんどん話しかけたり…。
そして、
同時に、字の習得も目指して行こうと思っています。
どんな形であれば、会話ができるようになれば、
もっと楽しいはずです。
小凡師くんに、
「言葉が形や色になったらどう???」
と聞くと、
「うーん。思っていることと逆のことを言ったときは、
思っていることが形や色になるのかなぁ。
言葉だけじゃなくて、気持ちも入れられるなら、
ちょっと嫌かも」
と答えました。
相手のための優しいウソだって存在します。
自分勝手な、自己防衛のためのウソなら、
むしろ、相手に見えれば良いのに…と思いますが、
優しさから来ものまで見えてしまったら…。
この絵本で、【言葉】について、
あれこれ考えるのも楽しいものです。
いかがですか?
自分の言葉、見つめ直してみませんか?