荒馬のつれづれ日記

好きなことを、好きな時に徒然と綴る日記です。

『音楽は心と脳を育てていた ヤマハ音楽教室の謎に迫る』

みなさん、こんばんは。

ヤマハ音楽教室に通っていたことがある荒馬です。

 

今日はこの本をようやく読みました。

興味があったのに、なかなか読めなかった本です。 

音楽は心と脳を育てていた ヤマハ音楽教室の謎に迫る

音楽は心と脳を育てていた ヤマハ音楽教室の謎に迫る

 

ヤマハメソッドなるものがあったのだと初めて知りました。

言われてみれば、心当たりが…という部分がたくさん。

著書の中にもあったのですが、

これはできて当たり前だと思っていたことが、

実は、ヤマハに通っている子達しかできなかった。

確かに、そんなエピソードがありました。

音楽を楽しむことを目的にしているヤマハ

8年ほどしか通っていませんが、

ヤマハも、今の荒馬を作ってくれた存在なのだと思いました。 

 

とにかく習い事をしたかった幼少時。

自宅にはオルガンがありました。

荒馬は、オモチャ代わりに、いつも弾いていました。

聞こえてくる音をオルガンで弾いたり、

TVで聴いた音楽を、耳コピしながら歌っていたとか…。

音を探して弾くのも、遊びでした。

母が「この子、天才かも」と思ったらしく、

ヤマハ音楽教室へ。

母の理想は、毎日スカートをはき、おしとやかで、

黒く長い髪の毛のピアノができる女の子だったそうです。

真逆の荒馬。

山や森の中を駆けずり回り、秘密基地をたくさん作って、

短髪の活発少女でした。

理想に少しでも近づけたいと思ったのかもしれません。

そして、音楽教室見学の時に、

ピアノかエレクトーンを選択する場面がありました。

母は迷わず「ピアノで」

荒馬は迷わず「エレクトーンで」

本人がやりたいならと、エレクトーンに決定。

こうして、初めてのお稽古事がスタートしました。

 

通い始めて3年間は、家にあったオルガンで自主練。

自分で、教室で使うエレクトーンの寸法をはかり、

自作で、足の鍵盤(ベースといいます)を作成し、

音は出ないまでも、足で弾く練習もしました。

それなりのレベルになってきた時、

両親がエレクトーンを買ってくれました。

当時、いえ今もですが、エレクトーンは非常に高額な楽器。

目が飛び出るほどの金額だったのですが、

「これで、大好きなエレクトーンが、もっと大好きになるね」

「練習を頑張って、楽しく、レベルアップをしなさい」

と両親が言ってくれました。

 

当時は、嬉しくて楽しくて、1日4、5時間弾いていました。

休日は、部屋の窓を開け放ち、【勝手にリサイタル】を開催。

そのうち、近所の方から、

「日曜日に聞こえる、荒馬ちゃんの演奏が楽しみなのよ」と

言われて、リクエストを聴いて、その曲を弾いたり…。

母も楽しみにしてくれて、

エレクトーンを弾き始めると、家事の手を止めて、

お茶をすすりながら、聴いてくれていたようです。

 

中学生になり、部活の全道大会とエレクトーンの全道大会が重なり、

自分の意に反して、部活の方を選択しなければならず、

それがきっかけで、

エレクトーンの講師の先生とぎくしゃくしてしまい、

辞めてしまいました。

グレードという、昇級試験目前で、もっと上を目指していただけに、

悔いが残りました。

しかし、

その時すでに、かなりのお金を親に使わせてしまっていると知り、

バイトもできない中学生には、申し訳ない気持ちだけが残り、

辞めることへの気持ちも固まったのは覚えています。

 

エレクトーンを買ってもらい、月謝もけっこうな額。

レベルが上がるのは嬉しいのですが、

その度に、新しい楽譜・昇級試験・特別レッスン。

発表会の時には、その洋服などなど、

習い事を続ければ続けるほど、お金がかかります。

将来、

音楽を仕事にしたいわけではなく、趣味としてもう少しレベルを上げたい。

というくらいの熱量のために、

親が必死に働いて稼いだお金を使わせているのが、申し訳なくて…。

 

音楽は、好きなら続ければいい。教室に通わなくてもできる。

そう、荒馬にはエレクトーンがあるから。

 

ストレス発散で弾き、嬉しくて弾き、悲しくて弾いていました。

 

働くようになってから、すっかり遠のき、

退職して、また再び弾くようになりましたが、

ここ2年ほどは、また遠のいています。

 

久しぶりに、弾いてみようかなぁ。

小小凡師くんが、観客になってくれるはずなので…