荒馬のつれづれ日記

好きなことを、好きな時に徒然と綴る日記です。

心の会話・心の目

みなさん、こんばんは。

小凡師くんのモノの考え方や価値観は素敵だなぁと思った荒馬です。

 

小凡師くんは、物を大切に使います。

小凡師くんは、大切にするあまり捨てられない男です。

短くなりすぎた鉛筆を新しいのに変えるさえ、

今でも「鉛筆くん、今までありがとう」と言ってから、

新しい鉛筆に変え、

「新入りくん、これからよろしく」と言います。

 

小凡師くんも分かっています。

物が話すわけではないことも、心を持っているわけではないことも。

それでも、

幼い頃に

「大切に使った物には[付喪神]が宿る」という話を

荒馬がしたことがありました。

当時、妖怪にはまっていた小凡師くんに話した内容です。

全てに神が宿ると、みなが信じていた時代がありました。

子どもから大人まで、みなそうして、物を大切に使ったり、

妖怪・呪術などが生活の一部だったり、身近に思っていた時代が。

 

その話をしてから、

「お父さんやお母さんに買ってもらったものは大切に使うね」と

言うようになり、

荒馬たちもプレゼントをする時には、

「大切に、楽しんで使ってね」と渡すようになりました。

 

その頃の名残が今も残っているのだと思います。

現実を分かる年齢になってもです。

小凡師くんが、

「分かってるよ。そんなのないこと。でも、大仏様が心の目で

 民衆を見ていたように、心の会話ができると思うのって、

 悪いことじゃないよね。聞こえてくるような気がするし、

 聞いていてくれるような気がするじゃん」

と言い出しました。

 

と言うのも、小凡師くんんが小学1年生の時から使っている辞典。

漢字事典と国語事典が一冊に集約された、

小学生向けの辞典です。

新しい漢字を習う度に付箋をつけ、新しい言葉を調べたら付箋をつけ、

今では、付箋だらけになった辞典ですが、

とても大切に使っています。

おそらく、中学生以上になれば、別の辞典が必要になってきます。

それでも、

「使わなくなっても、ボクが最初に買ってもらったこの付箋だらけの辞典は、

 とっておきたいなぁ。ボクがこれまで頑張ってきたのが分かる辞典だから」

と言い出しました。

 

さらに、我が家の小小凡師くんは、声を出すことができません。

ということは、家族との会話ができないのです。

こちらが、思いを表情や体の動きで汲んであげています。

小凡師くんも5年生ともなれば、

そういうことを受け入れた上で、弟と接してくれます。

 

辞典のくだりの話になった時に、

「小小凡師だって、話せないでしょ。でも、言いたいことを

お母さんもお父さんも、ボクも、何となくかもしれないけど、

分かっているでしょ。心の中で会話しているんだよね。

声に出さなくたって、会話ってできるんだなぁって思うんだよね」

普段でも、

小小凡師くんの代弁として、みんなでアフレコをしています。

それが100%当たっているかは、荒馬にも分かりません。

それでも、外れてもいないだろうなぁとは思っています。

 

小凡師くんも、兄弟で遊んだりケンカしたりが夢だったようです。

友達の話を聞くと羨ましくも思うそう。

それでも、

我が家の形があって、それを受け入れ、工夫しようとする小凡師くん。

彼なりの兄弟愛で、大好きな弟と接してくれています。

 

「だから、心の会話や心の目は、あるんだよ。

 そう思っていれば、大事にできることってたくさんあるよね」と。

 

ずいぶんと大人になったなぁと感じました。

親が何かを言わなくても、日々の中で感じて、考えているのだと思いました。

こういうモノの考え方や価値観を持っている息子が、

誇らしく思うと同時に、尊敬もしています。

 

小小凡師くんも、素敵な兄がいる家庭に生まれたことを、

喜んでくれていると嬉しいのですが…。