荒馬のつれづれ日記

好きなことを、好きな時に徒然と綴る日記です。

『てんごくのおとうちゃん』

 みなさん、こんばんは。

一度だけ亡くなった母に手紙を書いたことのある荒馬です。

 

亡くなる1週間前に急変。

家族の誰もが本人でさえも、快方に向かっていると思っていた矢先の急変でした。

それからは会話も殆どできず、最期の瞬間も。

何かを伝えたそうな目が今でも忘れられません。

荒馬母とは、そんな別れだったので、

何度も携帯メールを送ってみたり、電話をしてみたり(無理だと分かっていたも)。

手紙も何十枚にも渡って書いた記憶があります。

 

今日、ご紹介するのはこの絵本。

てんごくの おとうちゃん (講談社の創作絵本)

てんごくの おとうちゃん (講談社の創作絵本)

 

小学3年生の息子が天国にいるおとうちゃんに書いた手紙が

この絵本の内容になります。おとうちゃんとの思い出に触れてみたり、

謝りたいことだったり、おとうちゃんが亡くなった日のことだったり、

その後の生活についてだったり。

本当に子どもの目線で書かれた内容です。

全編を通して悲しくなるわけではなく、クスッと笑える要素もあります。

そういった作り方、特に絵本作家さんというのは、大変、上手だと思います。

 

印象に残ったのは、「かわいそう」と言われることについての部分。

この「かわいそう」という言葉。荒馬は苦手な言葉です。

というより、使う場面やタイミングがとても難しい言葉だと思っています。

とても手軽に使える言葉でもありますし、重みを与える言葉でもあります。

 

「かわいそうね」と荒馬も言われる場面があります。

27歳の時に母を亡くしたので、割と早めなのかもしれません。

孫の顔を見られなかった母に対して、実母のいない中で子育てをする荒馬に対して、

「かわいそう」という言葉を何度も聞きました。

小小凡師くんに対する「かわいそうね」

小小凡師くんの母である荒馬に対する「かわいそうね」は今でも聞きます。

 

「あー、私達は可哀相な人なのかぁ」

「いやいや、決して可哀相ではないよなぁ」

「辛かったり、苦しい時もあるけれど、可哀相ではないよ」

「可哀相って言葉、重いなぁ」

そんな風に考えたりします。言われすぎると、作り笑いすらできません。

 

絵本の中でも、

 ぼくより おとうちゃんが かわいそうなんと ちがうやろうか

と言っています。関西弁の微妙なニュアンスが分かりませんが、

似たような気持ちなんだろうと思います。

 

万人がすぐに手に取る絵本ではないかもしれませんが、

大人なら大人なりの受け取りや深読みができると思います。