荒馬のつれづれ日記

好きなことを、好きな時に徒然と綴る日記です。

自分を変えるだけで

みなさん、こんばんは。

まずは自分の考え方・言動を変える努力が必要だと感じた荒馬です。

 

以前書いたブログに、ジャンルで言うと【語り】のCDを

聴いているという記事を書きました。 

fuku-fukuro.hatenablog.com

今日もそこから得たこと・思ったことです。

 

これは、6枚組のCDです。

喜多川泰さんの声や話し方ももちろんですが、内容も素晴らしく、

「ながら聴きで何度も聞いて下さい」とCDの中でおしゃっていましたが、

ながら聴きをするのはもったいないほど。

今日聴いたのは

【自分の考え方や言動を少し変えるだけで、周りが徐々に変化してくる】

という内容のもの。

 

最初に、喜多川さんが娘さんの音楽発表会で経験したお話でした。

それは、頑張っている子ども達を観ずに、ずっとおしゃべりに講じている

保護者達の【鑑賞する姿】について。

あまりにざわつき、後ろの方に居ると子ども達の声が聞こえないというもの。

業を煮やした先生が「静かにして下さい」と怒り口調で言っても、

効果が無く、マイクで話すので、それを上回る音量になってしまったそうです。

実は荒馬、似たような経験を先日体験。

それは、小凡師くんの参観日でのこと。

日曜参観ということ・クラス替えもありまだ規律が確立してないことを

考慮しても、大変ざわついた様子。

数人の子ども達が、平気で立ち歩いたり、ずっと話をしていたり、

果ては全く授業に向かえていないという状態でした。

そして、一番呆れてしまったのは、

参観している保護者が、自分の子どもの席の近くで、

数名の保護者と子どもを巻き込んで、おしゃべりに夢中になっている姿です。

 

授業中ですよ。

発表を聴く場面で子ども達が静かになっても、

保護者達のおしゃべりは止まらず…

だからなのか、子ども達の集中も静けさも持続せず…。

別の方のブログを拝見した時も、

廊下でずっと話をしている保護者がいて、「何しに来たの?」と思った。

という内容がありました。

思わず、「分かるわーーーーー」とパソコン画面に向かって相づち。

 

荒馬も13年ほど教師をしていたので、

こういう場面にでくわすと、

ついつい「自分だったら、どんな風に子ども達や保護者達と向き合うだろう」と

考えてしまいます。他の場面でも同様です。

「自分なら、何を考え、何をするのか」という教師の目線で考えてしまうのです。

 

喜多川さんも同様でした。

音楽発表会の場で、「静かにして下さい」と言っても収まらない状態で、

「自分ならどのタイミングで、どんなことをするのだろう」と考えたようです。

「うるさかったよ。静かにしなさい」という言葉ではなく、

耳を傾けられるような言葉をかけることはできないのだろうか。

そして、本番の前からそういう【聴くための雰囲気作り】を

創り出すことはできないのだろうかと。

 

いきなり本番に保護者の方々に向かって言うのも勇気が必要です。

受け持っているクラスの保護者ばかりではないですし、

たとえそれが、当たり前の行動だったとしても、

注意をする・叱るためには、それを伝えられるくらいの信頼関係も必要です。

生徒と向き合う時も全く同じ。

いきなり否定から入ったり、叱ったり、指示をしても

伝わるはずがありません。

そこには、日常の積み重ねによる、双方の信頼関係があって、

初めて伝える・聞くという位置に立つことができます。

そしてすぐに改善されたり、行動に移してもらえるかは、また別の問題だったり

するのです。

もちろん、初対面でも伝えられる・伝わることもあります。

ただそれは、その時に限るという限定的なものになることが

多いように思います。そこがスタートになったとしても。

 

日常的にできること。

誰かを変えようと躍起になるのではなく、

自分の思考や言動を変えて、それを見せていく・話していく。

その積み重ねで、【聞く耳】を持ってくれる。何か【心を動かす】きっかけと

なり得る。

誰かを変えるよりも、自分を変える方が、どれほど簡単か。

それにより、相手へのイライラ度は一定期間増しますし、

「どうして分からないのだろう。伝わらないのだろう」と自分にもイライラ

してしまうかもしれません。

それでも、自分を変えて、相手を理解しようとすることで、

今まで思いも寄らなかったアイディアが浮かぶことも。

 

喜多川さんのCD6枚を聞き終えましたが、

もう一度最初から聞き直したいと思います。講演会なども聞いてみたくなります。

まずは、喜多川さんの著書を再読しようと思います。