荒馬のつれづれ日記

好きなことを、好きな時に徒然と綴る日記です。

私にとっての5月

みなさん、こんばんは。

5月は少し悲しい気持ちが勝ってしまう荒馬です。

 

「いつも元気だよね」と言われることの多い荒馬。

努めて元気にしていようと思っているわけではありませんが、

元来、お気楽者ですので、ストレスを溜めてドンヨリしたり、

落ち込んで沈むというのが、長続きしないのです。

例えケンカをしていて、仲直りしていなくても、

翌日には、

すっかりその事実すら忘れていて、

逆に相手にしこりが残っているのを見て、

「あっ」と思い出したり、「えっ、まだ終わってないの?」と思ったり。

ものすごく怒るような出来事があっても、

翌日には基本的には忘れてしまっています。

相手の反応を見て思い出して、

相手の機嫌を見て、怒っているフリや気まずいフリをしてごまかしています。

とても悲しい事があっても、

これも基本的には引きずりません。心の中でだけ。

周りに負のオーラを振りまくことの方がよっぽど嫌です。

 

仮に、怒っていたり、悲しんでいたりを出したところで、

家族でさえも、それを気遣うとは限りません。ましてや、他の人は。

自分が勝手に【負のモード】になっているのに、

周りを巻き込むのは、本当に傲慢。自分中心の考え方や態度ですよね。

おそらく、態度や表情に出す人は、

構って欲しかったり、

何かを言って欲しかったり、いたわってほしかったり、

優しくして欲しいのだと思いますが、

何かを言ったり、優しくしたところで、

逆ギレされたり、何だかよく分からない仕返しをしてくる人っていますよね。

 

荒馬、余計なお節介をしたがために、

けっこう痛い目をみているので、自己解釈で行動するのを控えていることも。

人間ってホントに勝手よねって心の中で思ったり、

それなら、きちんと言葉にしてよって、心の中で毒を吐いてみたり。

荒馬自身も

声のかけ方や態度に優しさが足りていないのだと反省もします。

それでも、心配しているという気持ちはウソではないのに、

「その親切が余計なお世話だ。自分のことを知りもしないで」なんて

返されると、少し怖くなってしまいますよね。

 

結局、自分のことは自分しか分からないということなんです。

自分の機嫌は自分でとる。

それを相手に過剰に求めるので、角がたつものなのだと思い至りました。

とは言え、

やはり人との関わりの中で、優しさに触れることができたり、

癒やされたり、励まされるのは、力になります。

自分も、そういう人になれたらとも思います。

これがなかなか難しいのですが…。

 

冒頭の文章から、随分離れてしまいましたが、

11年前、母が亡くなったのが5月です。

これまでの治療入院と同じだと思っていたので、家族みな、

お気楽なものでした。母、本人も。

しかし、

日に日に「なにか、いつもと違うぞ」という違和感が。

お医者さんは何も説明をしてくれなくて、

「私のことが信用できないなら、けっこうです」なんて言うし、

「話しても分からないでしょ」なんて言うし。

 

荒馬も小凡師くんを妊娠中で、体も心も不安定。

仕事もしていたので、あまり母との時間を持つことができませんでした。

突然の急変と、突然の死。

相変わらず、担当医師からは何も説明はなし。

気付けば、葬儀が終わっていたという状態でした。

 

それでも、日が経つにつれて感じることは、

親が亡くなるというのは、

人にとって、これほどまでに大きなことなのかということです。

上手に言葉にできませんが、

親の死を迎えると、色々な事を考えるようになります。

私は27歳の時でしたので、割と早くに親を亡くした方ではないでしょうか。

母親を亡くしたというだけではない、

何かもっと大きくて大切なものの喪失感。

それを経験した人と経験していない人の違いも、

これも上手く言葉にできませんが、

何となく感覚的に分かるような気がします。

 

上に書いたような内容も、これに通じることがあるような。

根底にある、最後の砦を失ったのか、失っていないのか。

そこに甘えているのか、何かしらの覚悟を決めているのか。

人としての深さとか。

 

来月は、父や兄と共に

たくさんたくさん、母の話をして、

たくさんたくさん、思い出そうと思います。

悲しみが勝ってしまう前に。

母の大好きな中華まんじゅうを食べながら…。