みなさん、こんばんは。
聴くより話したい、「聞いて聞いて~」の荒馬です。
とにかく話すのが好きです。
好きという次元でありません。それが普通。
仕事をしていた頃は、
自分が話す場面では話して、聞く場面ではしっかりと聞く。
これが上手にできるのですが、
プライベートというか、仕事を離れた瞬間に、
永遠に話し続けられる。
子どもができて、ここに変化が。
たくさん話を聞きたいと思うようになりました。
小小凡師くんが産まれてからは、
声なき声、心の声も読み取りたくなりました。
そのためには、自分は口よりも【目と耳と心】を磨かないと!!と思うように。
【聴】という漢字は、
耳と、向きを変えた【目】と【心】が入っています。
まさしく!!です。
聴くためには、待つことが大切。
そうか、荒馬はこの【待つ】ことや【間】が苦手だったのです。
仕事を辞めてから、1日に話す人の数が格段に減りました。
当たり前です。教師だったのですから、毎日、100人以上と話します。
朝から、暗くなるまで。
それが、家に居るようになって、
少ない時は【凡師さんと小凡師くん】のみ。
寂しく感じていたのですが、これが功を奏したのか、
話さない事が苦痛ではなくなったのです。これは良い意味で。
それよりも、
聴きたい・知りたいと思うように。
もちろん、友人と話す時には、マシンガントークです。
普段の何倍も話すので、普通の速度なのに何度も噛むくらい。
でも、以前よりも、
人の話を聴けるようになりました。
以前は、どこかで「ねえ、私の話も聞いてよ~」というオーラが
自分でも出ているのが分かるほど。
話したくてウズウズしている自分に気付くほどでした。
聴けるようになると、考えるようになります。
考えるようになると、受け入れたり理解できるようになります。
新しい視点に気付いたり、発見がたくさんあります。
そして、自分が言おうとする言葉も
しっかりと考えて、吟味して、発することができるようになります。
こんなに、人の話を聴くのが面白いことだったなんて。
それくらいの変化です。
ただ、聴く際の合いの手を入れるのは下手です。
質問を入れたり、こうなんですか?などと言おうものなら、
まだまだ自分の話に持っていってしまいます。
もう少しです。
合いの手に関しては、小凡師くんの反応を見ていると、よく分かります。
小凡師くんの[もっと話したい]という気持ちを
時として削いでしまうのです。
この人に聞いて欲しい と感じてもらえるようになりたいです。
この人なら聴いてくれる と感じてもらえるようになりたいです。
聴く力は、単に耳を傾けるだけでは足りないですよね。
上手な合いの手を入れて、ある意味、相手をのせるという技が必要です。
そして、安心感を持ってもらえる。という雰囲気づくりも。
小凡師くんの話を聴くとき、
たまにテレビの画面を見ます。テレビの画面は電源を切ると鏡になりますよね。
そうすると、聴いている荒馬の顔が見られます。
「あ~、こんな顔の人に聞いてもらいたいとは思わないなぁ」と感じることも。
耳と目と心
これは、表情だったり、合いの手だったり、安心感だったりも加味されます。
これまでは「私ばっかりしゃべってゴメンね」という台詞が多かったので、
これからは「私ばっかりしゃべっちゃった」と言ってもらえるような、
そんな人になれたらと思っています。