荒馬のつれづれ日記

好きなことを、好きな時に徒然と綴る日記です。

さまざまな受け取り方と発し方

みなさん、こんばんは。

たかが言葉、されど言葉。言葉は本当に難しいと感じる荒馬です。

 

家族レースで子ども達は無事にゴールし、

残るは凡師さんと荒馬のみ。

凡師さんは小さなジャブをたくさん打たれている状態。

荒馬は大きいのを一発ちょうだいし、回復に向かっている状態。

 

本日、録画していたドラマを観ていると、

「頑張れ」の受け取り方について、やりとりしている場面が。

奇しくも、先週末に、その話題について何人かと話をしたので、

さらっと流していた場面を巻き戻して、改めて鑑賞。

  「頑張れ」の言葉を激励・応援と捉えて、パワーをもらえる人。

  「頑張れ」の言葉がさらなる追い打ちとなって、苦しめられる人。

荒馬も「頑張れ」と言われて嬉しく、元気になる時もあれば、

「もっと頑張らないとダメなの?」と思ってしまう時があります。

逆に、「頑張れ」と伝えて、

相手が喜んでくれたり、「やる気、出てきた」と返される時もあれば、

「十分、頑張ってんだよ。」と返されたこともあります。

 

その言葉自体には良いも悪いもないのかもしれません。

発する人の熱量と受け取る人の熱量、そこにズレが生じると、

ある意味【誤解】が生まれるわけです。

だからと言って、

相手が望む言葉を発することができるのか、それは無理に近いですし、

相手が望むような受け取りができるのか、それも無理に近いですよね。

 

どんなに近しい関係でも、難しいものです。

かえって、近いからこそ、その誤解が深まることも。

互いに他人よりは理解できているから、

適切な言葉をかけてくれるはず、適切な態度をとってくれるはず。

そんな思い込みや先入観を[言葉]にも求めてしまう。

 

万人に受け入れられる言葉・文章はないかもしれませんが、

発信する場所や発信する方法は選択できます。

伝えたい相手にだけなら、

顔を付き合わせて、その言葉を伝えても、

手紙やハガキ・メールでも、誤解は少なく伝えられますよね。

意図も含めて伝えられるので。

 

しかし、不特定多数が目にするブログやSNSは、

本当に難しいです。これは荒馬の個人的な思いですが、

「嫌ならスルーして下さい」というネタを書き込むのは、ナンセンスだと

思うのです。しかも、「嫌ならスルー」と書いてしまっているあたり、

作為的な何かを勘ぐってしまいます。

人や出来事が特定できることもそうですよね。


かく言う荒馬もブログを書くようになってから数ヶ月が経ちます。

日々、感じたことなんかを雑記の形で書いていますが、

読み手による感情まで深く考えていませんでした。

SNSの方は、公開範囲を限定しています。

それ故に、ある意味「自分本位」に偏っている投稿の気がします。

 

できることなら、

読んでいて【ほっこり】するような書き方や内容だったり、

【なるほどね~】と思ってもらえる内容が良いですが、

そこを目指すあまり、自分が自分に酔うのも、違いますよね。

ふと考えただけで、

普段からこんなに、ひねくれ者ではないんですよ。

単純すぎるくらいです。

だからこそ、このブログを通して、

【ふと立ち止まる】という機会を自分にも作りたいと思っています。

 

様々な受け取り方や発し方がある。

それを互いに理解して、受け入れてあげる。

そこに器の大きさは必要ありません。

みんなが少しだけ気をつけて、気がつけば良いのではないかと思うのです。

即座に切り捨てたり、即座にかみついたりしないで…。

 

最近、荒馬のブログ、小難しいですよね。

もっとシンプルに書けないものでしょうか。

伝えたいことを短くまとめられる訓練の意味合いもあったのに。

日記のような雑記のような、とりとめもないネタなのですが、

後で見返すと、それも楽しいですし、自分の文章で学ぶこともあります。

 

【受け取り】【発する】ことも念頭にいれつつ、

今後もブログを書いていこうかと思います。