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凡師と荒馬のフクロウ日記

最近は絵本ネタが多いですが、徒然と書いているブログです。

足を止めて、深呼吸が必要な時に開く本

荒馬日記

みなさん、こんばんは。

猪突猛進型の荒馬です。

 

瞬間湯沸かし器のような荒馬。

感情のままに動く荒馬。

若い頃はそれが『勢いのある若者』と解釈され、

許されていたこともありました。(当然、こってり叱られましたが)

 

年を重ねると、それでは通らないことの方が多くなりました。

結婚し、少し角がとれ

子育てをするようになって、丸みを帯び、

退職してから、完全な丸に近づきつつある。

と自分では感じています。(周りの評価はさておき)

 

それでも、

気持ちが落ち着かない時、

イライラしている時

何だか心がざわついている時、

いくつになっても、そんな感情は生まれます。

そうなると、視野がぐ~んと狭くなり、

自分しか見えなくなって、自分の尺度でしか考えられなくなります。

 

空高く飛んで、俯瞰的に眺めるためには、

足を止め、大きく深呼吸が必要です。

ストレス発散とは少し違うんですよね。

「あっ、狭くなっている。自己中になっている」と感じた時、

それを修正する。

 

そんな時、荒馬はよく絵本を手にします。

色々と手にしますが、最近はこれがマッチします。

それが、これ!!

 

ざっそうの名前 (福音館の科学シリーズ)

ざっそうの名前 (福音館の科学シリーズ)

 

『ざっそうの名前』です。

 

少し前まで、雪で全てが覆われていました。

草花を恋しく感じると共に、

普段は移動がほぼ車。歩くことが極端に少ない。

それゆえ、

草花をゆっくりと眺めることができない。

庭先に綺麗な色をつける花には目がいき、「あれは〇〇だなぁ」と

考えますが、

道ばたの雑草には全く目が行きません。

 

雑草にも種類がたくさんあって、名前もある。

そんなことに目がいかなくなっている自分。

これって、視野が狭くなっている自分と重なる。

 

そう感じて、この絵本を開くと、

実にたくさんの雑草が出てきます。

散歩に出かけたら、探してみよう。

近所には何種類くらいあるかなぁ。と考えながらページをめくるだけで、

何となく、心も軽くなった気がしています。

そして、

「そうだ!! 今の自分は、いかん! いかん!!」

と、狭まった視野がぐ~んと開けていく心地がします。

そうなると、心のモヤも晴れ、考え方も正常に。

 

絵本を見る以外にも、

荒馬は、書き物が好きなので、

ノートに、とにかく思いの丈をぶつけます。

もう他人様にはお見せできない内容・言葉遣いのオンパレードです。

「ありがとう日記」「ポジティブ日記」というのもありますが、

ありがとうを探して書くコトも、もちろん良いのですが、

荒馬の場合は、

心の中のどす黒いものを、すべて紙に書き付けるコトの方が、

効果的です。「怒り日記」「闇日記」とでも言いましょうか。

そのノートにぶつけている分、イライラや理不尽な文句やモヤモヤした思いを

他の人にはぶつけません。悪口も言いません。陰口も。ウソも。

言う必要がないのです。

 

伝えなければいけない意見や要求は、きちんと伝えます。

言葉も態度も、もちろん考えてですが…。

ですので、言いたいことを我慢しているわけではありません。

それでも、

伝える必要の無いこと、わざわざ相手を傷つける必要の無いことは

口にして言葉にもしたくありません。

相手ばかりか、自分自身をも傷つけたり、悲しませてしまいます。

 

主張と文句・意見と批判は違いますよね。

言いたいことを言うことが正義や正論となりがちですが、

そこには人の機微に触れるという思考が欠落しているように思います。

言葉にしないことも、言葉にしすぎることも

どっちも嫌です。

 

言葉にするからには、そこに誠意を持ちたいですし、

誠意があるから、言葉にできると思っています。

 

だから、誠意のない、人の機微に触れていない言葉は、

自分の中で消化させています。

 

絵本を見て浄化・ノートに書いて消化というところでしょうか。

 

今日はマイナスの思考ではありませんが、

新学期を迎えるということで、

やらなければいけないことが山積みの状態に、

少しだけ落ち着きのない心だったので、

『ざっそうの名前』を開いてみました。

 

今日の所は、『闇日記』は必要なさそうです。