みなさん、こんばんは。
年を重ねると、恥ずかしい思いや悔しい思いを、
できるだけ避けていくようになってしまうものかもなぁと感じた
荒馬です。
今日、小凡師くんとラーメン屋さんに出かけました。
そこで、見覚えのある顔を発見。名前もすんなり出てきました。
荒馬が初めて教師になって出会った生徒でした。
顔と名前を覚えていることには、少々自信があります。
しかし、教え子と会った時には、
やみくもに声をかけるのを憚られる時もあります。
みんながみんな、中学生時代の先生に会うことを喜ぶとは限らないからです。
その見極めが難しいのですが、目が合った時の表情で何となく分かります。
今日出会った生徒は、一瞬目が合ったような、気のせいかなという程度。
こちらからは、あえて声をかけなかったのですが、
わざわざ
「俺のこと覚えてる?」と呼び止められて、挨拶をされました。
「もちろん、〇〇君だよね。久しぶりだね」と返事しました。
その時の笑顔が何とも言えず素敵で……
直接的な関わりが少なく、1年ほどで彼は卒業。
むしろ、私の方が忘れられているよなぁと思っていました。
さらに、思春期・反抗期の真っ只中だった彼は、
目つきも鋭く、何にでも牙をむいて立ち向かっていた彼。
教師になりたての20歳の荒馬は、正直、
「怖いよ~」と思いながらも、彼らの集団と向き合っていました。
そんな彼が、同僚と一緒の場面でも声をかけてくれました。
本当に嬉しかったです。
同僚の方「だれ?」
彼「中学ん時の先生。世話になったんだ」
同僚の方「先生? 先生に見えないね。あの人」
彼「そう? 俺らと5、6歳しか違わないんだよ」
彼と同僚の方の会話が聞こえてきて、照れくさくなりました。
帰り際も目が合ったので、手を挙げてみると、
満面の優しい笑みで、手を振り返してくれました。
「私のこと覚えていますか?」と聞くのって、
けっこう勇気が必要ですよね。
もし、「え!? 誰?」と言われたり、そんな表情を見ると、
恥ずかしいなぁという気持ちが生じます。
もちろん
「〇〇です。△△の時にお会いした…。ご無沙汰しています」と
言いますが、何となく互いに気まずい空気が最初に流れてしまいます。
また、隠していたつもりの感情を、表情だけで見抜かれてしまうと
恥ずかしさや、ちょっと悔しいという気持ちも生じます。
荒馬も経験がありますし、
それを見抜く力も割と鋭い方だと思うので、
相手が恥ずかしい・悔しいという思いをしているのを感じたコトも。
表情で感情を見抜く力は、
幼少期からの環境によるものが強かった気がしますが、
教師になってからは、さらにその力の精度が上がったと思います。
久しぶりの再会がきっかけとなり、
また新しい関係を築くことができたり、やり取りが増えることも。
最初の一歩の勇気が、
豊かな人間関係や縁の広がりを作るモノになります。
年を重ねると、【スマートさ】【そういった意味での格好良さ】を
求めてしまっているのではないかと思いました。
知らないコトが恥ずかしい
相手に痛いところを突かれるのが恥ずかしい
覚えてもらえていないのが恥ずかしい
見抜かれて恥ずかしい
何事も【最初の勇気】を持つことの大切さを教えてもらった日でした。
その後も、数名の教え子や保護者の方、久しぶりに会う友人と
買い物へ行った先で出会いました。
休日に出かけると、田舎の町は、たくさんの知り合いに出会います。
もちろん、相手が気づく気付かないに関わらず、
積極的に挨拶をしたり、声をかけたました。
一緒にいた小凡師くんも
「初めまして」「こんにちは」「息子の小凡師です」などと
挨拶をし、会話を楽しんでいました。
小凡師くん、年齢を言うと必ず、
「背が高いね~。お父さんもお母さんも背が高いもんね」と
言われるのですが、
照れくさそうに「そうですか?ありがとうございます」と
今日も答えていました。
息子の成長を感じると共に、
素敵な出会いや教えてもらったことがあった、
とても良い休日になりました。