荒馬のつれづれ日記

好きなことを、好きな時に徒然と綴る日記です。

【許す】より【許される】方が難しい

みなさん、こんばんは。

けがの功名で、読書を楽しんでいる荒馬です。

 

同じ体勢でいるのがまだ辛いのですが、

横にならなくても、ラクな体勢が増えてきたので、

ここで無理せず、ゆるりと家事をやりながら、

今日は読書に明け暮れました。

紙の本とKindle版をiPadminiで。

小説では少ないのですが、

小説以外の本を読むときには、

メモをしたり、調べたり、関連する本を引っ張り出してきたりしながら

読書をする荒馬。

少し前までは、1冊の本を読み終わってから、

新たな1冊に手をつけていたのですが、

最近は、同時に数冊の本を読んでも、

頭の中で整理したり、区別できるようになってきました。

 

前置きが長くなりましたが、ある本で見つけたフレーズ。

題名にもある言葉【許す】より【許される】方が難しい。

妙に納得してしまいました。

【許す】ことは、自分で処理ができる行為。

どうしても許せないこともあるでしょうし、速攻で許せることもあるでしょう。

それでも、優しさにしろ、勇気にしろ、自分で決断ができます。

 

対して【許される】ことは、相手に委ねなければなりません。

こちらがどんなに、謝意を述べても、行動を起こしても

言葉にしても、ダメな時はダメです。

「許してもらえるはずがありませんが」と許して欲しい側は使いますが、

それすらも「許して」のアピールにしか過ぎず、

「いいよ。許そう」と言われたところで、

本心は分かりません。

 

【許される】実感はできませんよね。確かに難しいことです。

以前、「学生時代の悪行のツケが、今を招いているんだ」と

言われたことがあります。

私の学生時代も知らないあなたに言われたくないわ。と憤慨したり、

因果応報にしても、ここまで悪いことはしていない。と思ったり、

自分を正当化してみるのですが、

【許され】ていないのかもしれませんね。

 

 

過去と他人は変えることができない。

未来と自分しか変えられないのだ。 という言葉を聞きますが、

自分でも忘れてしまっている、もしくは確実に解決していない

【許されない】ことに捕らわれ続けるのではなく、

未来と自分を変えるために、

平然と暮らしたり、語ったり、何食わぬ顔で変身してしまったりして、

果たして本当に良いものなのか

そんなコトを考えた今日の荒馬。

 

考え事はしばらくストップと言いながら、

大好きな読書タイムに思わぬ【哲学】を

投げかけられ、

今日は少し頭も痛くなりました(笑)

荒馬は強情で妙に潔癖で固いところがあるので、【許す】のも

結構な労力を必要とします。

【許す】ってパワーが必要ですよね。

【怒る】もパワーが必要。

 

最近は、そのパワーを使うことが面倒になってきています。

老化でしょうかね。